第20話「しかし、また変わった名前を付けたもんだね。ゴーレムイーツとは」
「――ふふっ、良い看板になりましたね」
ルシールちゃんが始めようとした新事業。
何度かのテストを越え、いよいよ実用に入ろうとしている。
そのために用意した看板がこれだ。
「しかし、また変わった名前を付けたもんだね。ゴーレムイーツとは」
新事業と言っても、完全に”銀のかまど”から独立した内容ではない。
簡単に行ってしまえば、配達だ。開拓都市でも大口なら弁当の配達がないわけじゃないが、今回やろうとしているのは王子の別邸に持っていったような個人向け。
これは俺のゴーレムがなければそもそもできないことだからと利益の1割ではなくもっと大きく押さえている。作った料理にかかる原価とその他の固定費を銀のかまどに支払うことを条件に、売上は全てルシールが押さえるそうだ。
「魔法言語からそれっぽいのを拾ってきました。なんか新しい感じを出したくて」
「故きを温ねて新しきを知るって奴か。
ゴーレムを押し出した良い名前になってると思うよ――」
そう、新事業の配達をゴーレムイーツと名付けるのは良いセンスだと思う。
問題なのは、その新しいサービスにつけたキャッチフレーズだ。
「――でも”これであなたも王子様気分!”は、流石に怒られないかな?」
「大丈夫じゃないですか? 気に入られているんでしょう? フランシスさんは」
こちらの心配を前に、軽く笑ってみせるルシールちゃん。
まぁ、確かにディーデリックには気に入られているとは思う。
それを自惚れだと思い込むのは、逆に失礼だと感じるくらいには。
「でもなぁ……筋を通しておいた方が良いような、今更かな……」
「――構わないよ、私は。あれだけ派手に”貢”をやってくれたんだ。
逆に大人しいくらいだと思うな? フランシス・パーカー」
背中に影を感じた、その直後。
耳元へ聞き覚えのある声が響いてきて、全身の神経が逆立つ。
思わぬ事態に呆気にとられ、ビクッと身構えてしまった。
「おっと失礼。そこまで驚かなくても良いじゃないか。君と私の仲だろう?」
「で、でぃ――」
名前を呼ぼうとした俺に対して、人差し指を立てる深めの帽子を被った男。
なかなかに気付かれにくい変装をしているが、俺には分かる。
トワイライトにお忍びで来ていた時と同系統の衣服だから。
「……メガネも、お似合いですわね。名前は、呼ばない方が良いのかしら」
「ふふっ、ありがとう。まぁ、大丈夫だと思うが、昼間の往来だ。
不用意に目立つことは避けたい。私の名前はちょっと個性的だからね」
”特に敬称なんて使われるとね――”なんて微笑んで見せるディーデリック。
深い帽子に、見慣れないメガネ。その下に隠れる特徴的な紫の髪と瞳。
しかし、ここは魔術師の街だ。意外と目立たずに紛れ込んでいる。
「承知しました。けれど、本当によろしいんですか?
あなたの名前をこんな風に使ってしまって」
こちらの言葉を聞いて今一度、用意された看板を見つめるディーデリック殿下。
そして、またフッと笑ってみせる。
「――いったい、どこに私の名前があるんだい?」
「ふふっ、なるほど、そう来ますか。確かに”名前”はありませんものね」
「ありふれた比喩表現さ。潰そうと思えば潰せる立場には居るけどね」
寛大な姿勢を見せながらも、手のひらの上だという釘を刺してくるか。
流石の振る舞いだ。全てを委任するほどの甘さを見せないあたりが巧くて、そういうところにゾクリとした痺れが走る。
「ところで、君がルシール・フォン・アッシュフィールドさんかな?」
こちらに向けていた視線を外し、隣に立っていたルシールに視線を向ける。
ルシールの方も、これがディーデリック・ブラウエルという男だということは察しているように見える。同時に名前を呼んではいけないということが枷になってうまく言葉が出ていない感じだな。
「――初めて、うちの配達を利用していただいたお客様ですよね?
名前を知ってもらえているとは光栄です」
「彼女が君のことを褒めていてね。ぜひ一度、直に会ってみたかったんだ」
……俺はルシールの名前まで教えてはいないはずなんだが。
調べれば分かることとはいえ、調べたということか。
「だからって約束も入れずにご来店ですか? 運よく居たから良いものの」
「ふふっ、そう言うなよ、フランシス。
たまの休みだ、当てのない過ごし方も良いだろう?」
……確かに今日は冒険者の休日だが、こいつの場合には休日にも予定が詰まっていそうだな。王子としての仕事もごまんとあるだろう。今の”たまの休み”の言い方からそういうニュアンスを感じる。
「せっかくの休みを使わせてしまったのに空振りでは申し訳ありませんわ。
といってもまぁ、そもそも約束をするのも手間というのは、分かりますが」
「分かってくれるかい? 予定のない時間というのが大切なんだ」
クスクスと笑うディーデリック殿下。
「――もしよければ、食べていきますか? 開店前ですが、特別に」
「ご厚意をありがとう。せっかくの誘いだが、他にも目当てがあってね」
他にも目当てがあってここに来たということは、閉まっている銀のかまどを見に来たところにたまたま俺たちが居たって感じか。
随分と気に入られているというか、そこまで彼の意識に入り込んでいることに恐縮してしまうな。
「フランシスが君を褒めていた理由が分かっただけで、今日のところは充分だ」
分かったのか……? たった、これだけのやりとりで?
洞察力が凄まじいと見るべきか、上に立つ者であればこういう言動をするだけで相手には効くと知っているからこその振る舞いか。
「――私が口説き損ねた魔術師を、口説き落とした貴女を尊敬している。
せいぜい私との縁を使って成功させて欲しい、ゴーレムイーツとやらを。
彼女の力の限界を見定める良い機会にもなるだろう」
真っ直ぐにルシールを見つめた後に、こちらに視線を寄こしてくる。
……確かに、今回の配達事業でまた新しいゴーレム運用法を編み出すことになるだろう。しかしこいつにまで同じことを期待されているとは。
「再征服への協力に向けて、ですか?」
「君にその気がないのなら仕方ないが、あの日の慈悲が生きているのなら」
「――生きてますよ。せいぜいご覧になっていてくださいませ」
最初の配達は3体だけで行うつもりだが順次数は増やす。
その過程で多数のゴーレムを遠隔操作するノウハウを編み出すことになるだろう。
……レオ兄の言っていたことじゃないが、ゴーレムの軍隊を造ることも不可能ではなくなる、かもしれない。と言っても今よりずっと頑丈で高価な材質を使わなければ戦闘には耐えられないだろうが。
「うむ。ならば、安いものだ。なんなら入れても良いぞ、私の名前を――」
彼の言葉に答える前に、軽く手を振ってディーデリックは去ってしまう。
直接使って良いってことか。王子様気分なんていう比喩表現ではなく、ディーデリック・ブラウエルの名前そのものを。
……なんか、後々あり得ないほど高い利子が付きそうな気がするんだが。
「本当、顔の良い男でしたね。聞いてたところから想像していた以上でした。
あんな深い帽子に丸いメガネをしてて、それでもなお分かるほどとは」
スラスラとディーデリックの顔面への評価が出てくるルシールちゃん。
こっちもこっちであの短い時間にめちゃくちゃ見てるな。
「惚れたかい? あの王子様に」
「いえ。そもそも私、たぶん王子様タイプに惹かれないんですよね」
トワイライトでのフィオナを見ても、まったく効いていなかったものな。
彼女がそう自認しているのも分かる気はする。
「そんなもんか。意外なような、妥当なような……」
「ふふっ、私はもっと実務家が好きなんですよね。カリスマ性で気取らない人が」