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第9話「――おかえり、おじさん」

(……俺が居なくても問題なし、か)


 昼営業を体感してからの夜営業は、まるで凪だった。

 酒を飲む冒険者がメインになるのでその意味では厄介なんだが、昼のような回転の速さがない。ゴーレムが給仕をしていることに驚いている奴も多かったが、俺を見て納得していた。


 ゴーレムの挙動については、俺は一切指示を与えずに見守るだけに留めたが問題らしい問題はなく、今さら挙動に不安があると言ってもルシールとおかみさんが納得しない水準に達している。


 自分の手を離れたところで自分のゴーレムが動くというのは、どうにも気持ちの悪いことなのだが、もう既に状況は動き始めた。理由なく止めることはできないだろう。そんな漫然とした始まりの不安を俺は感じていた。


(――まるで故郷を出た時みたいだ)


 冒険者という職業の存在を知り、故郷を出て、この開拓都市に来た。

 生活が安定するまでずっと漫然とした不安があった。

 これで良いのか、これで生きていけるのか、そんな不安が。


 新しく始めたのは命を賭けるような職業ではない。

 その意味では、あの時よりずっと不安は小さいはずなのに、どうしても無いことにはならない。慣れないことには常に不安が伴う。


『――娘がその気なら、僕も協力するさ』


 そして、どうにも親父さんのことが脳裏から離れない。

 ルシールの父親としての彼を、初めて垣間見た気がする。

 今まで見ていたのは、行きつけの店主としての彼だった。


 17歳の娘を育て上げ、商才にギラつく彼女のために自分の居場所を明け渡そうとしている彼は、今まで俺が見てきた男たちの中で誰よりも堅実で誠実な父親だった。


 ……そう、父親だったのだ。


「はぁ――」


 1人歩く帰り道、思わず溜め息が漏れた。

 息が白く変わって、そのことに気づく。

 ……結局、俺は、27歳にもなって未だに拘っているらしい。

 自分に父親がいないということに。父親を知らないということに。


 父親がいない子供なんて、別に珍しいものじゃない。

 俺の地元にだって、父親を亡くした子供はいくらでもいた。

 狩猟や鉱山での仕事を主にしている男が死ぬことなんて珍しくもない。

 ただ、俺のように父親が誰だったのかさえ知らない子供はいない。

 皆、名誉の死を讃えていた。それが慰めとなっていた。

 勇敢な父の血を引いていることが文字通りの血肉になっていた。


 ……俺には、それさえ無かった。

 父親というものの全てを知らない子供だった。

 だから、鮮烈にルシールの父親をやっている彼がずっと焼き付いているのだ。

 俺には居なかったもの、俺の知らないもの、俺が成れないもの。


 息が苦しくなって、無意識に胸を掻いてしまう。

 指先に触れる感触が、どうしようもなく柔らかくて、気持ちが悪い。

 この身体になって数か月、どうしてもたまに思うのだ。


 ――これは自分の身体ではないと。


 いつもよりも激しい気分の沈みに惑わされているうち、フィオナの屋敷の前に着いてしまっていた。正直、こんな気分で彼女と顔を合わせるのは情けなくて嫌なのだが、今はここが俺の家だ。逃げ場はない。


「――おかえり、おじさん」


 屋敷の扉を開き、居間の方へと進む。

 暖炉に火がついている気配がしたから、それに引き寄せられた。

 フィオナが居るのに無視して自室に戻れるほど、俺の気は大きくない。


「ただいま、フィオナ」


 暖炉の火を見つめながらフィオナはホットワインを飲んでいた。

 いつものカモミールじゃない。

 酒を飲んでいるから、休みなのに大人の姿なのか。


「おいで。2人分作れるようにしてたんだ――」


 用意されていた空のグラスに、スライスしたレモンを置いて、ポットから紅い酒を注いでくれるフィオナ。立ち上る葡萄の香りを感じながら、彼女の隣に腰を降ろす。そしていつものように彼女の腕が、俺の肩を抱いた。


「お店の手伝いは上手く行ったかい? なんて聞くだけ野暮だよね」

「……どうして、そう思う?」

「ふふっ、簡単さ。貴方のトワイライトでの働きを思えば」


 真正面から褒めてくれるフィオナの言葉に、心が落ち着く。

 そして、彼女が用意してくれたホットワインが、冷え切っていた身体を温めてくれる。


「まぁ、俺自身はほとんど何もしてないんだけどね」

「そうなの? お店を手伝うって」

「ゴーレムにやらせてるんだ。元からそういうオーダーでさ」


 こちらの言葉に頷くフィオナ。

 そういえば、ここまでは説明していなかったな。


「……もしかして、上手く行かなかった?」

「いや、自分でも気持ち悪いくらいに成功したよ」

「そうか。それは良かった。ちょっと心配しちゃった」


 フィオナが暖炉を見つめている。

 柔らかな炎を映す、その瞳に吸い込まれてしまいそうになる。

 そして、それが自分に向けられたことにゾクリとした。


「何か、良くないことでもあったのかい?」

「……別に、何も、ないんだけど」

「だけど……?」


 また、表情で察しをつけられてしまったか。

 隠す俺が下手なのか、彼女の観察眼が優れているのか。

 どちらにせよ、水を向けられてしまえば、話してしまう気がした。

 俺自身の過去と弱みを。幼い頃の話を。


「少し、昔のことを思い出しちゃってさ――」


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