第15話「流れる血が余りに多すぎる。私にそれを塞ぐことはできない」
――それは、まだ王子との一夜が余韻として残っていた頃。
彼に頼り切ったステップが、身体の感覚から抜けていなかった頃だ。
ギルド本部に併設された診療所、そこで聖職者を見た。
それも正装に身を包んだ聖職者を。
……ここまで見れば状況は理解できる。俺も冒険者だったから。
『あ、サンダースさん……』
『急患、入ってるよね? 診察の予約、ズラそうか?』
『すみません、そうして貰えると。先生しばらく手が空かなそうで』
俺の主治医であるシルビア・クリスタラーは、ギルドで一番の女医だ。
専門的な治癒魔法も使えるし、右に出る医者はいない。
彼女の手がしばらく空かないということは、最低1人生きている。
そして、正装の聖職者が居るということは、最低1人死んでいる。
冒険者ギルドに聖職者が来る機会は限られている。
個人的な用事や上層部との政治を除けば用件はほぼ1つ。
それは、死者を弔うためだ。遺体を運ぶ際に行われる清めのため。
見る機会は決して多くないけれど、目にするたびに肝が冷える。
「――昨日は悪かったね、フランクくん」
聖職者を見た翌日、俺はシルビア先生と向かい合っていた。
なるべく気取られないように努めているが、先生の顔には疲れが見える。
「いえ、死人が出るような事態だったんですよね?」
「……ああ、そうだ。1年と2か月ぶりの死者さ。
手は尽くしたが、そもそも肩から上がないんじゃどうにもならん」
言葉だけでゾッとする感覚が走る。
そして同時に何が起きてしまったのかに察しがついた。
「……深入り、したんですか?」
「分かるか。君なら」
「そりゃ浅い所に人体を切断できるモンスターは居ませんからね」
死体を壊すだけならともかく、生きた冒険者を切断できるようなモンスターはそうそう存在しない。そういうものと出会ってしまって、それに対応できなかったことが即ち深入りなのだ。深さに見合ったレベルがなかった。
「……ディーデリックに釣られて、深入りが増えてるとは聞いてましたが」
「その気配はあるな。だが、彼がいなければ死人は増えていたし、遺体の回収すらできなかったかもしれん」
ッ――潜ったというのか、すでにその深さまで。
ディーデリック・ブラウエルが。先行した冒険者たちを助けるために。
「無論、彼1人の功績ではない。君の元相棒と彼の護衛も居たがね。
相手はマンティスだ。いくらあの王子でも1人では無理だろう」
あのクソったれ巨大カマキリか。
見たことはあるが直接に戦ったことはない。
かなり深い所で見つけて、夕暮れが近かったことと武器と体力の消耗が激しかったことから退いたのだ。
……全盛期の俺たち3人でも確実に勝てる自信はないが、バッカスがあの王子たちと倒したということは、やれたのかもしれない。あの時の俺たちでも。
「王子に取り入ろうとしたパーティは壊滅、王子は名声をまた1つ積み上げたと」
「残酷な話だが、そうと言わざるを得ないな。
生き残った者たちも冒険者を続けることは無理だろう」
欲をかいて全てを失う。
冒険者としてはありふれた末路だが、辛いな。
マイルズの言ったとおりの事態がこんなにも早く起きてしまうとは。
「……先生は、どう思いますか? ディーデリックの再征服を」
こちらの質問を聞いて、視線を逸らすシルビア先生。
先生がこんな態度を取るのは初めて見たかもしれない。
そして、空になったグラスにぶどうジュースを注いでいく。
「難しい質問だ。かつての私なら、無邪気に応援していただろう。
私にとって、あの亡国を人類の手に取り戻すことは夢だったからね」
……意外な回答だった。
シルビア先生が、俺たち冒険者と同じような夢を持っていたとは。
しかし、それも当然なのかもしれない。
本来なら彼女ほどの経歴があれば、こんなところにはいない。
魔法を使える医者というだけでも凄まじいのに、西方戦争で積んだ若さに見合わぬ経験がある。王都でも引く手あまたの人材だろう。それがここに居る時点であの亡国への夢を持っていてもおかしくはない。
「しかし、ここでの日々を重ねて思っている。
あれを本気で攻略しようとした時、流れる血があまりに多すぎる。
私にそれを塞ぐことはできない。初めはできるつもりだったけれど」
……同じだった。俺たち冒険者が夢を見て、諦めるまでと。
実際には潜らない先生も同じ景色を見ていたのだ。
「誰も彼も同じですね。みんな、あの場所に夢を見て諦めを知る」
「そうだ。だから王子くんがそれを踏破するというのなら、応援はしたいが……。
失われる人命の多さと失敗に終わる可能性を思えば、気が遠くなる」
そう呟く先生を見ていると、彼女が主治医で良かったと思う。
冒険者として命を賭けに出していた時にこの人に診てもらえて良かったと。
「――さて、すまないな。フランクくん。
私のカウンセリングをやってもらってしまった」
「いえ、今はこれが仕事なんで。良い練習になりました」
こちらの回答にフッと笑みを浮かべる先生。
「レナくんと同じ仕事をしているのかな? 今の君は」
「聞いてます? 兄貴から」
「いや、雰囲気からの推測だ。化粧、随分と上手くなったじゃないか」
やれやれ、相も変わらず凄まじい洞察力だな。
しかし、そう見えるとも当然だろう。
自分自身で自覚している。だいぶトワイライトにかぶれてしまったと。
「とうとう化粧も自分のものにしましたからね。
最初はやってもらってましたけど」
「そうか。それは良い。人生を謳歌しているな――?」
先生の言葉に頷く。望んでこうなった訳ではないが謳歌していなければ、今も俺はフィオナに化粧をしてもらっているだけだったろう。それが自分でここまで覚えてしまったのだ。
「――さて、それでは診察を始めよう。服を脱いでくれたまえ」
お久しぶりです。いろいろと立て込んでいて2か月と2週間ぶりの更新になってしまいました。
前回のあとがきで書いた通り、現在は2節の最終回まで完成している状態です。
今日から隔日で20時に更新していこうと思います。
お待たせしてしまって、大変申し訳ありません。またお付き合いいただければ幸いです。




