第1話「――お嬢さん。君の思っていることを当てようか」
――表情と感情は切り分けられるようになった方が良い。
いつかフィオナに言われたことだ。
どうにも俺は知らぬ間にそれを手に入れていたらしい。
あれから2週間、未だにあの洞窟の中に居るような幻覚がつきまとう。
だというのに自分の顔には微笑みが張り付いていて、仕事ができる。
トワイライトでの舞台も接客も、いつも通りに。
ディーデリックに選ばれたと喜ぶ冒険者たちを何人か相手にした。
あいつの私兵集めは順調に進んでいる。
もうすぐ、レンブラントの提示した期限が訪れる。
それを越えれば、俺は本当にこの一件から手を引くことになる。
いつかフィオナに言われた通り、俺は真相を明かしたいと思っている。
親しかった人の死を前に”なぜ彼が死ななければならなかったのか”と。
理不尽を前にした代償行為だ。それを明かしたところで……。
なんて自分を客観視しようとしては、爺さんの与えてくれたマインウェブクラスタの偉大さを思い出す。彼に与えられた恩義を、彼の孫から向けられた信頼を。
あの霊柩馬車で握ったマルセロの手のひら、その温度をまだ覚えている。
だというのに、自分で飛び込む覚悟を持てない。
ふらついた迷いを抱えたまま、日々の仕事に忙殺されることで紛らわせている。
トワイライトも。銀のかまども。
慣れというものの凄まじさを感じながら。
「ロゼさん、今日は新しいお客様からの指名が――」
いつものスタッフから、いつもとは違う言葉を掛けられる。
新規客の相手は久しぶりだ。
なんて思いながら、スタッフへと探りを入れる。
「冒険者かどうかわかる?」
「たぶんそうだとは思いますよ。見ない顔ではありますが」
「ありがと♪」
トワイライトに勤めて長い彼が知らないということは本当の新規か。
ロゼを指名するのが初めてではなく、トワイライト自体が初めてだと。
これは少し気合を入れて接客しなければな。
そう思って近づいたというのに、新しいお客さんを前に思考が止まってしまう。
うちのスタッフが言っていた通り明らかに冒険者だ。
少なくとも元冒険者であるのは間違いない。
遠巻きに見ても分かる身体つき、背こそ低いが並み以上の筋肉量がある。
魔術師ではないだろう。恐らくは剣士か、それに類する近接戦闘職。
そして頬に刻まれた深い傷痕、あんなのダンジョン以外で負うことはあるまい。
けれど同時に、白髪だらけの短髪とそれにしてはハリのある肌が物語る。
高く見積もっても40代。おそらくは30代だ。
下手すれば元々の俺とそう変わらない年齢かもしれない。
……俺が知らないはずはない。
この肉体だ。現役を退いていても、そう時間は経っていないはず。
冒険者全員を把握しているはずもないが、歳が近くてこんな象徴的な傷を持つ男を今日の今日まで知らないはずがない。
「――お嬢さん。君の思っていることを当てようか」
傷の男が言葉を紡ぐ。
こちらが到着するより前に注がれていたウィスキーを揺らしながら。
特徴的な美声。その低音が心地よくて、一度聞けば忘れられない声をしていた。
「”知らない顔だ、明らかに冒険者なのに知らない奴が居る”あたりだろう?」
……ほう、ますますおかしなことになってきたな。
明らかに冒険者っぽいのに知らない顔をしたこの男。
どうにも俺のことは知っているらしい。そういうニュアンスを感じる。
いったい何者だ? 何が目的でどこまで調べてこんなところに。
「ふふっ、では”今の私”が考えていることは分かります?」
「――今の? なんだろうか。少しは俺に興味を持ってくれたろうけど」
「”うわっ、面倒なお客さんが来ちゃったな”です」
挑発的な笑みを浮かべながら、彼の隣に腰を降ろす。
その無意味に広げられた腕の内側へと。
黒い瞳がこちらを値踏みするように見つめ、フッと笑ってみせる。
「こりゃ一本取られたな。お詫びに一杯奢らせてもらえるかい?」
彼は、好きなのを頼んで構わないと付け加える。
まったくこんな店で”好きなの”なんて怖いもの知らずだ。
なんて思いながらスパークリングワインを注文する。少しだけ加減した。
「悪かったね、別に君への害意があるわけじゃないんだ。
ただ、こちらに興味を持って欲しかった。普通の客以上の興味を」
「……私もこんな仕事ですけど、冒険者全員を知っているわけじゃありません」
少しはぐらかしてみせる。明らかに相手はこちらの正体を掴んでいる。
が、腹を割るには相手の手札が見えない。
「ふふっ、確かにそれはそうだろう。けれど俺のくらいの世代は別だ。
30代の有名どころならほぼ全員を知っているんじゃないのかな」
「……私が、それくらいの歳に見えます?」
”ここに入るときには未成年じゃないかって疑われたのに”
なんて付け加えてみる。
もう少しはぐらかしていれば何か見えてくるだろうか。
「いいや、今の君はまるで10代前半の少女だ」
そう言いながら男はウィスキーを流し込む。
何気ない仕草に色気を感じる。
フィオナやディーデリックのような完成された美とは違う荒々しい色気を。
「けれど、君は元冒険者だろう――?」
明確に踏み込んできた。相手もそのことは認識しているようで表情が変わる。
初対面用の笑顔から、どこか鋭利な面持ちに。
そして、こちらの答えを待たずに彼は言葉を続ける。
「――俺が”元王国騎士団”であるように」
ッ……?! 王国騎士団だと? いま、ここで出会うのか。
あのディーデリックという男が憧憬を向ける騎士たちの1人と。
「俺の名前は、アンソニー・グッドゲーム。王国騎士団、黄金期の死に損ないだ。
今宵、君の力を借りるため、ここまで参上した。
フランク・ブライアント・サンダース、君の類稀なる魔法の才を借り受けたい」
大変長らくお待たせいたしました。今日から連載再開いたします。
現在のストックは4節20話まで書いています。
1日1話ずつ更新していこうと思いますので、またしばらくよろしくお願いします。




