人を見た目で判断しないことは重要だ
誓っただけで理想へとたどり着けるなら、私の人生は前の人生も今の人生もより楽になるに違いない。しかし理想は自ら近づいてくる事は無い従って私たちは歩いて行かなければならないのだ。
私は、正しく現状認識するために、城の書庫へと向かっている。因みにこの城は、軍事目的で建てられたものらしく、居住性はお世辞にも良い物とは言えなかった。
窓は少なく、昼間でも薄暗い。石造りの城なので昨日の夜など寒くてなかなか眠ることが出来ず、私自身、朝起きるのが遅いことも有り起きたのは大体8時から9時くらいの時間帯であった。この世界で初めて顔を合わせた人間である名前はアンヌというらしいメイドの顔をみて少なくともこれは夢ではないことを認識した。
書庫の中で私は、この世界であった不快なものを思い出していた。私は朝起きて、顔を洗った後私の母上で有るらしいマリア・アンネ・デ・ステイアーマルクと言う女性に会ったのだが、この女性の外見は若いことを除けば良いことはまるでなかった。豚のように肥え太り見るに堪えないお姿である。この容姿が私に引き継がれなかったことは私にとって幸運なこと間違い無しだ。豚がしゃべる。
「随分と、遅いお目覚めね。」
私にとって、何より腹立たしい事は早起き自慢の人間は、参加することに意味があるなどとほざいて、自分の専門外のことに首を突っ込んだあげく、常識では考えられない行動をして、結果見るに堪えない姿をさらす人間とおなじように、早く起きること自体が素晴らしい行動だと思早起きは三文の得とかいう有害なことわざをつくって悦に浸るのみで、社会に対してなんら有益な活動をせぬ事である。それが証拠に、私が彼等に早起きすることの利益について問うても多くのものは何も答えられなかったのだ。答えられたとしても、それは社会を利するものではなかった。私は、もちろん早起きすることの無益さを説明できる。
かつていや、今世だとまだ存在するはずだが、はるか東方にある大帝国ユエの政府は朝の5時に政務やら会議が始まって12時には仕事を終えていたようだが、この国は、我がジェルマニア帝国やまだ帝国であったエルーシャ帝国、プロビデンス連合国、アンゲリア王国など政務がどんなに早くとも9時からしか始まらない国々に植民地化されていったのだ。このことは寝起きの頭で政治をする国がどのような末路をたどるのか教えてくれる。
だが、おそらくこの女はその事を知らないのだろう。私は今の社会常識から外れぬ範囲で、豚にも理解出来るように分かりやすく答えた。
「寝るのが、子供の仕事です。」
これなら、目の前の雌豚にも理解出来るだろう。大人になっても人生の三分の一は睡眠だが、子供にとってはより長い睡眠が必要なのだから当然でもある。こうして、適当に対応しながら私はいそいで豚の部屋から脱出したのだった。
そして今私は、書庫にいるわけだが、書庫の中で私はあの豚が、思わぬ能力をもつことを知った。殆どの文書にマリア・アンネ・デ・ステイアーマルクの署名がしてあったのだ。領内の会計にも彼女が一部計算し直したようなあとがあったりと、人を見た目で判断してはいけないという原則を忘れていた自分を恥じざるをえなかった。
もう一つ私は自分の忘れていたことを思い出した。それは、この時代の女性は、男は外をは内をそれぞれ守るという一種の性別分業の考えに基づき女性は男性よりも高い教養を身につけていることがしばしばあるという事である。私は、前世でこの時代のこの性別分業の考え方を研究し、実際に、女性により高い教育を与えるという教育政策を実行にうつしていた。私は、まだ忘れていることはないかとそのときのことをおもいだしていた。
私がジェルマニア帝国宰相であったころ、女性蔑視主義の閣僚が
「女は子どもを産む道具である」
と公衆の面前で演説し、女性権利団体と称する女を捨てたような女の集団から非難の的となった。この言葉は完全に間違っていないことは、認められるかどうかはさておき皆内心では知っているはずだ。
だが私が思うに正しいと言うには、見落としているものが、いささか大きすぎたのだ。まず、女性の力強さを見落としていたことはもちろん大きな見落としである。外で威張っている男が家では妻と称する女に尻に敷かれていることは、世界最強の人間は世界最強の男の妻であるという冗句があるくらいには広く知られた事実である。このことを見落としていたことは、当然非難に値するだろう。
だが、さらに大きく致命的な見落としは、女が子どもを産む道具であるとするならば、男は子どもを産む事が出来ない欠陥有る道具であるという厳然たる事実を忘れていたことである。民衆がしばしば陥りがちな幻想だが、人間は雄と雌がおよそ1対1の割合で生まれてくるがそのことでもって男女が平等であるという幻想に取り憑かれてはならない。男の存在はたしかに繁殖の上で実に重要なものであるが、男女比率に占める男の割合はもっと少なくても構わないのである。
歴史上男を兵士にする社会は長続きした。例えば、今ステイアーマルク家が接している奴隷王朝は当時後方から別の国に攻め込まれていたり、土地があまり豊かでないこともあって当初は神聖帝国が連戦連勝していた。後の研究では奴隷王朝の成年男性のうち半分以上が死んだのではないかともいわれる大損害を負ったのだ。奪い尽くされた奴隷王朝はハーレムとかと称する重婚を推奨し、結果として勢力を回復し内輪もめを繰り返す神聖帝国に攻め込んだのだ。逆に今や伝説上の存在となっている亜馬森とかいう女性が戦士となる民族は一時的には隆盛を誇ったようだがすぐに歴史のゴミ箱へと消え去ったのである。
社会にとって男性が今日の活力だとすれば女性は社会の明日の活力なのである。従って国家を未来に渡って守り抜きたいならば、社会は傍目には守る必要もなさそうな力強い女性を守らなければならないのだ。そして、結婚をお節介と思われても推奨せねばならない。これを忘れた社会は、今いかに活力のある国であろうと早晩衰退するであろう。
したがって戦争など危険な業務は男が行わなければならないし、女性に結婚したいと思わせるように男に有利な給与体系にしなければならないのだ。というのも男という生物は女性よりも通常頭が悪く男のプライドとかいうものを失うと現実主義な女性と違い結婚したがらなくなるし、多くの現実主義な女性は自分をより豊かな生活をさせてくれるものと思わなければ結婚などせぬ為である。これは、悲しいことだが厳然たる事実なのである。
このような素晴らしい性別分業を忘れていたことはジェルマニア人が神聖帝国からジェルマニア帝国までの間世界覇権の奪い合いにすら参加できなかった一因である。
私は、人を見た目で判断しないこと、今の時代の性別分業観を忘れてはならないことを思いながらアンヌではない別のメイドが昼食に呼びにくるまで本に没頭していた。