次の朝
「何もなくとも私に知らせるようにと、あれほど言っただろう。」
色々あった一夜が明けて、アレクシアは滔滔と説教を受けていた。
台所の小さな机を挟み正面に腰掛けているのは、使い古された丸椅子が似合わない貴公子然とした男、フィデリオである。フィデリオはアレクシアと姉魔女グレッチェンの幼馴染で、幼い頃から二人のことを本当の家族のように可愛がってくれている。
「いいかい、塔の魔女殿。いくら君たちに知恵があって、術に長けていたとしても、不意をつかれれば、純粋な力では男に敵わないんだよ。」
それに君たちのように、見た目だけで判断できない実力者もいる。とフィデリオが少女を流し見れば、アレクシアの隣で大人しくしていた少女は、視線から隠れるように、アレクシアの背後にまわった。
「もう。騎士様が睨むから、怖がっているじゃない。」
アレクシアが避難にも、
「それは悪いことをした。」
と、全くそうは思っていない様子でフィデリオは淹れられたお茶を優雅に口にする。
(本当に貴族なのよねえ。)
気安く接してくるので忘れがちだが、フィデリオは貴族の子息だ。それも、間の森に接する大きな領の、領主の三男。幼い頃から文武に優れ、今は騎士として、領を支えている。長男、次男とも優秀で、彼の下には愛らしい妹たちもいる。皆、アレクシアたちに愛情と親しみを持って接してくれる、良い人たちだ。
そして皆、濃い蜂蜜色の髪にオリーブの瞳の麗しい兄弟として、地元では有名だった。彼らの親である領主もまた優秀で優しい人柄が領民に慕われ、冬の寒さが厳しく国境に近い不安定な土地柄にも関わらず、生活は質素ながらも安定している。そんな土地柄もあって、幼い頃行き倒れていたアレクシアとグレッチェンは手厚く保護され、一時は領主の館で過ごしていた。
(その時からフィデリオ兄さんは世話焼きで心配性で、ちょっぴり口うるさかったわ。)
その後二人を引き取ってくれた魔女の師匠のほうが、よっぽど大らかだ。
今朝も、結局台所でそのまま眠ってしまっていたアレクシアを起こし、事の次第を問い質し、説教をするにいたった。
アレクシアだって、悪かったとは思っている。以前、お客との間でごたごたがあり、心配をかけたことがある。以来、フィデリオは定期的に塔の様子を見に来てくれているのだ。
(分かってはいるのよ。でも……)
あまり、心配をかけたくはなかったのだ。昨日は月のない夜だったし、お客かも分からないお客は事情がありそうだし、何よりいつもならここにいるはずのグレッチェンがいない。
それが、どれだけフィデリオに心労を与えているのかを、アレクシアは本人以上に正しく理解していると思っている。
「とにかく、」
フィデリオは小さく息を吐き、立ち上がった。
「私がお客の様子を見ておくから。桶と布巾、あと湯も貰うぞ。」
そう言って、さっさと隣室に向かっていってしまう。
「あまり寝てないんだろ。魔女殿はゆっくり横になってきなさい。」
お嬢さんはどうする、とフィデリオに問われた少女は、台所の横の部屋を見遣り、それからアレクシアに目を向けると、アレクシアの服の端をきゅうと掴んだ。
少し懐いてもらえたように感じて、アレクシアは口許が緩むのを感じた。それを見たフィデリオもまた、表情を和らげる。
「決まりだな。軽い昼食も用意しておこう。」
フィデリオが持参したバスケットを指して、優しく笑った。それにつられるように、アレクシアも、ありがとうと微笑む。家族にはとても甘い兄だ。
そうしてアレクシアは、自身が強い眠気を憶えていることに気が付いた。
(私も気が張っていたのね。)
自覚すれば、とたんに座っている事さえ億劫に感じてくる。
アレクシアはもう一度フィデリオに礼を言った。そして少女と共に、覚束ない足取りで寝室に行き、慣れた寝台へと身を沈めた。