そして夜の終わり
夕食が済み、アレクシアは少女に眠るよう勧めてみた。しかし、少女は首を横に振るばかり。
(まあ、無理もないわよね。)
このくらいは想定内である。なので、少女には、アレクシアお勧めの絵本を数冊渡してみた。どれも、優しくて暖かくて、安心したい時に子どもの頃のアレクシアが読んでいた本だ。絵が綺麗で、眺めているだけでも楽しいし、お話もおもしろい。
眠れない夜のお供は本に限る。
少女も今は気が張っているのだろう。夕食に出したお茶は嫌な顔をせずに飲んでいたので、カモミールとラベンダーのお茶を出してみると、カップを両手で大事そうに持ち、ゆっくりと飲んでくれた。
少女は絵本を興味深げに開き、お茶を味わうように、ゆっくりと紙面を視線で撫でていく。
どうやら、気に入ってもらえたようだ。
アレクシアも、台所に常備している読み途中の本を数冊取り出し、二人でお茶を飲みつつ、静かな夜を過ごすことにした。
結局その後も男の意識は戻らず、アレクシアは、熱が出てきた男の額に濡らした布をあて、水を飲ませ、汗を拭い、と看病することとなった。
男は苦しそうに眉を寄せて眠っており、時折小さな唸り声をもらす。塔に現れるまでに何があったか知る由が今はないが、あまり良くない事があったのだろうことは容易に察せられる。
少女は最初こそ部屋に入るのを躊躇っているようだったが、男の様子を見るためにアレクシアが席を立てば絵本から目を上げてアレクシアを目で追い、何度目かの離席の際には後をついてくるようになった。
アレクシアが世話をするのを見守り、アレクシアが台所に戻ると、少女も台所の椅子に座り、絵本を手に取る。それを繰り返した。
何度目のことだったか。アレクシアが額の布を水に浸していた時、男が何かを呟いた。
アレクシアにはそれが何であったのか分からなかったのだが、少女は弾かれたように寝台に駆け寄り、男の顔を覗き込んだ。
少女は、眠る男を心配そうに見つめていた。
その瞳には労わりや慈悲、憐憫といった色が感じられた。そしてその瞳の色が表すように、少女の小さくほっそりとした手が、男の頬や手に優しく触れるのを、アレクシアは、ぼうっと見ていた。いつか教会で見た、壁画のようだと思った。
可憐な少女と、美しい男。天上の清廉な空気がそこにはあった。
少女が手を触れる、その一時。意識の無い男は安堵したかのように、ほう、と息を吐いた。
(二人は、ごく親しい間柄なのだわ。)
アレクシアはそう思った。
良かった、と思う反面、少しだけ、ほんの少しだけ、寂しく感じた。どうしてそう感じたのか、その時のアレクシアは考えることをしなかったが、この寂しいは、今までの寂しいとはちょっと違うな、ということは感じていた。
そのまま時が過ぎることしばし。ふと、少女の体が小さく傾いだ。すぐに姿勢は戻ったが、その大きな目は、半分閉じてしまっている。体力が尽きたのだろう。
アレクシアは冷たくなった布を男の額にのせた。そして、少女に椅子に座って待つように言い置き、目当ての長椅子を取りに部屋を出た。
少女は別の部屋で休ませようと考えていたが、男を寝かせている部屋にもう一つ簡易な寝床を作ることにした。
(本当はもう術を使うの、控えておきたいところなんだけど……)
長椅子はそれなりの重量なので、しょうがない。子どもの頃アレクシアもよく寝そべって使っていたので、この椅子の寝心地は保証されている。今も普通の椅子として使っているので、それなりに手入れをしており、埃も積もっていない。
部屋に戻ると、半分夢の世界に行っていた少女が、目を丸くした。
長椅子を、寝台とは反対の壁際にそっと下ろし、座面に、一緒に運んできたクッションと掛布を数枚敷き詰めれば、立派な寝床の完成だ。
急ごしらえの寝台が出来上がっていく過程を、少女は穴が開くのではないかと思うほどに見詰めていた。ふくふくと、頬が上がっている。
(分かるわ。こういうのって、楽しいのよね。)
小さな頃は、よくこうやってお気に入りの小物や隠していたおやつを、ひみつの場所にかき集めたものだ。
アレクシアは仕上げに大きなシャツを持ち上げ、
「今晩はここで寝てちょうだい。」
と、少女に手渡した。
少女はきらきらとした笑顔でそれを受け取り、そうして、アレクシアの長かった夜に、ひとまずの区切りがついた。
東の空がうっすらと明るくなっていた頃だった。