いろいろあったけれど
「意外となんとかなるものね。」
あの後、いろいろ。そう、色々とあったが、なんとかアレクシアは、台所でかなり遅くなった夕食を再開できていた。
少女と共に。
(たぶん、これでいいんだよね、グレッチェン?)
心の中で、姉魔女に問いかける。
たぶん、この少女たちは、迷っただけの旅人でも、物好きな盗賊でもなく、魔女の塔に用事のある”お客”ではないかと、アレクシアは思っている。いつもは、グレッチェンがお客を連れて現れる。先にお客だけを塔に寄越すなんて、今まで一度もなかった。だからお客ではないはずだ。
しかし、なんとなくだが、二人からは呪いの気配がするように思う。呪いを使ったのではなく、かけられた気配。
(こういう時、分からないってもどかしいわ。)
アレクシアは呪いを生業としているのだが、気配を感じ取ることはできても、本当に“微かに分かる”くらいで、むしろ、姉魔女のグレッチェンの方が、“呪いを視る”ことに長けている。そのため、グレッチェンが外でお客を見つけては塔に連れて来るのだ。
そして、アレクシアは、その呪いを”解く”ことをしている。
「もう少し食べる?」
と、小さな机で横に並んで座り、ジャムサンドを頬張る少女に訊くと、少し間を置いて、首が横に振られる。
そう。アレクシアがこうも考え込んでいるのは、少女が一言もしゃべらないからである。
こんな時間になぜ、あんな森の中になぜ佇んでいたのか。
事情が分かればアレクシアだって、できることがあるだろう。本当に呪いがかけられていて、それを解きたいと願っているのなら、早い方が良い。多くの場合は、時間の浅いものの方が、解きやすい。しかし早い方が良いからと言って、よく視ることをせずに解き、順番を間違えでもすれば、さらに呪いが深く絡みついてしまうこともある。
(警戒されてるのかなぁ……)
少女は、きれいにカールしている金の長い髪を、大きなリボンで一つにまとめている。濃い空色の目はぱっちりと大きく、ふっくりとした頬はばら色で、妖精のように愛らしい。
(最初からもう一人の人とは違って敵意とか感じなかったし、パンも渡したらすんなり食べてくれたから、大丈夫だと思ったんだけどな。)
かと言って、ここで「呪いが掛けられたとか心当たり、ある?」なんてこんな幼気な少女に気軽に訊くなんて、アレクシアにはできない。
(あの男の人が起きたら、何か訊けるかしら。)
剣を携えた男は、アレクシアの言葉を聞くなり、気を失ってしまった。よほど消耗していたのだろう。暗い所でうかつに動かすのも躊躇われ、魔術を使って母屋まで運び、台所の横の部屋に寝かせている。
男は騎士なのかもしれない。剣を携えていたし、軽くではあるが、良い装備をしていた。剣は、男を寝かせている部屋の隅に置いている。
(ああ、もう、どうして思い出しちゃうの!!)
アレクシアは先程のことを思い出し、頬が熱くなるのを感じた。
男を手当しようと、順に装備を外していた時だ。最初は深く考えもせずに、寝巻のほうが体が休まるし、手当もしやすいだろうと、意識のない男を着替えさせることにした。マントを外し、手袋を取り、と順に装備を外していった。これだけで、結構な重労働だった。意識のない人間は重い。そして、剣を握っていた相手である。筋肉がしっかりとついた体は、かなりの重みであった。大変な作業であったので、集中していた。そして、鎖帷子を固定する腰のベルトに手を掛ける、というところで、我に返ってしまった。
今思い返しても、我に返るのならば、もっと先か、もっと後。とにかくあの時でなくて良かったのでは、と項垂れる。はっきり言って、男性のベルトに手を掛けるのは躊躇われた。躊躇われたが、鎖帷子を着込んでいては休まらないだろうと思った。ここまできてしまったのだから、という訳の分からない義務感があった。後に引けず、前には戻れない心持ちだった。決死の覚悟でベルトを外し、k鎖帷子を脱がせた。怪我人の世話をしているのだから、恥ずかしがるなんてと、己を叱咤しながら。
この時、もっと人生経験豊富な魔女がいればきっと、それはおかしなことではない、と言ってくれたであろう。あなたは魔女だけど、まだ人生の半ばにも届かない乙女でもあるのだから、と。
しかし、その場に他の魔女はいなかった。アレクシアは這う這うの体で作業を完遂した。
そうやってあれこれと作業が一段落したところで具合はどうかとその顔色を窺おうとして、アレクシアは息を呑んだ。
美しい男だった。
額に掛かる黒髪は艶やかで、すっと通った鼻筋に、薄い唇。閉じられた目蓋には、冴え冴えとした月のような瞳が隠れている。いつか絵本で見た騎士が、そのまま現れたかのようだった。
先程まで姿形に意識を向ける余裕がなかったのは、かえって良かったのかもしれなかった。もし最初に気付いてしまっていたら、きっとあの恥ずかしさはもっと大きくなってしまっただろうから。
アレクシアはそうっと、男の首筋に手を添える。少し熱が出ているようだ。傷は深くなかったが、軽くもなかった。しばらく養生してもらうことになりそうだ。
本当は、傷をしっかり最後まで治してあげたい気持ちもあったのだが、そこはアレクシアの魔力の残量との兼ね合いだ。それに、元気になったとたんに切りつけられても困る。重篤にならないくらいに回復させてもらった。
そうして一通り処置をしたところで、隣の部屋からこちらを見守っていた少女の腹の虫が、アレクシアに夕食のことを思い出させてくれたのである。
「このジャムとパン、バターにチーズもね、知り合いから貰ったのよ。とってもお料理上手なの。」
穏やかでない夜ではあったが、こうやって自分の好物を誰かと分け合えるのは嬉しくて、少女に話しかける。すると少女は小さくうなづき、それからにこりと微笑んだ。
(うわ……!かわいい!)
反応を期待していなかっただけに、少女の可憐な笑みは、アレクシアの羞恥やら驚きやらで疲弊していた心を激しく温めた。
少女にはもしかすると、話せない理由があるのかもしれない。しばらく様子を見ることにしよう。そうしよう。と、アレクシアは一人、深く首肯した。