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ある日の魔女・アレクシア

 アレクシアは魔女だ。深い森――近隣の村々では『間の森』と呼ばれている――の塔に住んでいる。石造りの建物は堅牢で、天を突くような青い屋根の尖塔がいくつも集まり、うっそうとした森の中にもう一つ小さな森がすっぽりと隠れているようだった。


 冷たい風がローブの裾を揺らす中、桶と数枚の布巾を手に、アレクシアは乱立する塔の間を縫うように進む。ここのところずっとかかりきりだったある塔の掃除が、残すところ僅かになった。足元には目の覚めるような赤や黄色の葉が落ちていて、本格的に寒くなる前に掃除を終えることができそうだと、胸を撫で下ろす。塔の中は基本的に気温が低いのだ。


 目当ての戸に鍵を差し込み右に左にと手順通りに回し、少々長めの呪文を唱える。これが塔の数だけ異なるのだから、考える方も大変だろう。しかし、そう思う反面、長ければ長い程、込み入っていれば込み入っている程、気分が高揚してしまうのだから、自分でもどうかと思う。


 戸を開くと、雨戸の隙間から零れる陽の光で、内部の様子がうっすらと確認できる。靴底の泥を持ち込まないために簡易な部屋履きに履き替え、一番近い窓から順に開けていく。まだ日が昇ったばかりなので、明かりは点けない。


 塔の内部には、壁伝いにぐるりと螺旋階段が伸びている。壁一面に本が収められ、階段の途中にぽつぽつと設けられた踊り場には、溢れた本が山と積まれている。本の山に埋もれるように、小さな椅子や机が置かれているのだが、それらはすでに机と椅子ではなく、物置の一部といった有様だ。まあ、この塔にかぎらず、どの塔も同じようなことになっているのだけれど。


 初めてこの塔に入った日にさっと内部を改めたところ、四、五人の蔵書があるようだった。一つの塔に一人の魔女の蔵書しかないこともあるが、ほとんどはこの塔と同じく、何名かの魔女が塔を継いでいき、結果として似たような事柄についての蔵書が一つの塔に固まっていくようになっているのだ。


 この塔は明り取りの窓が豊富だ。今日のように空気の入れ替えのために窓を開け放てば、明るく開放的に感じる。光で本が傷むため窓が全くない塔もある中、それでも光と風を取り込むことを選んだ、この塔を作った魔女とは気が合うかもしれない、とアレクシアは感じている。


 いま着手しているのは、この塔を最後に継いだ魔女が収集したと思われる書架の辺りだ。整理する事がよほど苦手だったのだろう。おそらく、本は入手したまま適当に放り込み、覚書は隙間にねじ込まれている。書架に入っていればまだいい。溢れた本や紙面は雪崩ながらゆるやかな斜面を作っていた。しかも雪崩た面に新しい地層が積もっている。そっと一番上の紙面を手に取ってみれば、かなりの悪筆であった。


「順番に片付けていかないと、雪崩で遭難しちゃいそう。」


 見なかったフリをしてもいいのだが、こういうタイプの魔女の研究は、とても面白いものが多いのだ。アレクシアは早速、一番手前の斜面から手を付けることにした。





 にゃあ、と聞こえた気がして、反射的に窓の方を見遣った。


「――あ、もう夕方……。」


 すっかり日が傾いていた。悪筆な魔女の手記を解読している内に、うたた寝をしてしまったようだ。このところ夜更かしを続けてしまったのが原因かもしれない。有益な本が手元にあるのなら、読むしかないだろう。幸い今“お仕事”はない。いつまた忙しくなるか分からないのだ。時間は有効に使いたい。


 今のところ読破できた部分だけでも、この魔女の研究は素晴らしかった。広く諸国を回ったのだろう。一つの考察を多くの事象が多方面から支えているのが分かる。それは国をまたいだ、環境の異なる、信じるものが別のところにある人々のことを知っている魔女の言葉だった。アレクシアの大好きな『複雑な』見解だ。


 もう少し読んだらいつも使っている塔に戻ろうと、開いていたノートに再度顔を向けると、馴染みの黒猫が紙面に寝そべっていた。


 全身黒かと思いきや、四本の脚はほんのり明るいグレーの長い靴下を履いているように見える。目はきれいなアンバーだ。知的な顔をしており、身のこなしもどこか気品を感じさせる。名を、ゲシュティーフェルター・カーターという。が、長いので、いつもカーターと呼んでいる。


 カーターはアレクシアよりも塔のことに詳しい。何せ、アレクシアがここに来るより前から塔に住んでいたのだから。そして、とても面倒見がいい。アレクシアが幼いころには、どこまでも続く同じような建物の狭間でよく迷子になっていた。そんな時いつも最初に迎えに来てくれていたのがカーターだ。今でもこうやって、何かしらと様子を見るかのように現れることが多い。


「カーターったら、起こしにきてくれたの?」


 カーターは、にゃあ、と一鳴きしてするりと塔の外に出て行った。この「にゃあ」には、『本は閉じて掃除をしたまえ』『そうでなければ母屋に帰るように』という忠告が含まれている。アレクシアはそう聞き取った。感受性の鋭さには自信がある。決して後ろめたいことがあるからではない。断じて。


「よし。掃除は明日にしよう。」


 アレクシアは高らかに宣言をし、空気の入れ替えで一日を使った塔を後にした。



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