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「本当に留守ばっかだー……」


 ご近所さんに挨拶しようとして、クリスは痛感した。

 自分が貴族区に引っ越ししてきたことの意味を。


 付近の家は揃いも揃って無人なのだ。

 買うだけ無駄との声を無視して買った手土産が寂しそうにしている。


 当然ながら周囲の家々から灯りが点くことはない。

 日が暮れる頃になると、貴族区だけは暗闇に包まれていた。

 窓から光がこぼれているのはクリスの家だけである。


「他の人がいる地区に引っ越ししようかなぁ。でもせっかく建てた家を手放すのは嫌だなぁ……トホホ」


 家に戻るクリス。

 仕方ないので、手土産の洗剤は自分で消費することにした。


 ◇


 翌朝、クリスは家を出るなり感動した。

 畑に植えた魔法の種が発芽していたからだ。

 芽は既に育ち始めていて、とても昨日植えたばかりには見えない。


「その調子で美味しくなーれ!」


 クリスはジョウロを使って畑に水やりを行う。

 適切な量が分からない為、とにかくたくさん撒いておく。

 多すぎても味が薄くなるだけで問題ないだろう、と考えたのだ。


「そんなに水をやるとダメになっちゃうよ」


 狂気染みた量の水をばら撒く彼女に、若い男が声を掛けた。

 彼女と同年代と思しき金髪の男で、思わず二度見する程に端麗な容姿だ。

 服装は地味で、長袖の白シャツに茶色のベストを羽織っている。


「すみません、適量が分からなくて」


「作物にもよるが……」


 男はクリスに近づくと、畑から伸びる芽を確認した。


「コレとコレはサッと掛ける程度で十分。あと、こっちの作物は多めに。といっても、今回の半分くらいで大丈夫だよ。で、そっちの作物だけど――ペラペラ、ペラペラ」


「すごい! 芽を見ただけで作物の種類が分かるのですか!?」


 クリスにはさっぱり分からなかった。

 多少の違いはあるけれど、どれも同じような芽に見えるのだ。


「俺は幼少期から畑仕事をしているからね」


 男は畑の上にできた水溜まりの水を手ですくい、そこらに捨てる。

 そうして畑に与えられた過剰な水分を極力取り除いていた。

 それが終わると、汚れた手をジョウロの水で洗い、額の汗を腕で拭う。


「俺はレイ。よろしく、クリス」


「えっ? 私のことを知っているのですか!?」


「もちろん。昨日、皆の前で自己紹介をしていたじゃないか」


「ああ、あの場におられたのですね」


「まぁね。それにそこの表札にもそう書いてある」


 レイは服の裾で手を拭いてから、クリスと握手を交わす。


「よ、よろしくお願いします!」


「そんなにかしこまらなくていいよ。別に偉い人間じゃないんだし、俺」


「あはは、そっか、そうだよね、ごめん、普段は丁寧語だからさ、私」


「いいと思うよ」


 レイは握手を終えると、クリスの家の敷地から出る。

 表札の前に移動し、そこからクリスに言った。


「午後は暇かい?」


「うん、暇だよー」


「よかったら一緒にご飯でも食べないか? こんな国にも何店舗か飲食店が存在する。店ごとの特色などを教えてあげるよ」


「おー、ありがとー! 是非おねがい!」


「ならまた昼に来るよ」


「了解!」


「それじゃ」


 レイは颯爽と歩いていった。


 ◇


 約束通り、クリスはレイと昼食を楽しんだ。

 飲食店だけでなく、他の店についてもアレコレ教わる。


「レイ君とクリスちゃんかー、お似合いじゃないの!」


「お熱いねぇ、まるでワシらの若い頃のようじゃ。婆さんもそう思うじゃろ?」


「爺さんや、ワタシとあんたが結婚したのは70を超えてからじゃ。若い頃って誰のことを言うておるんじゃ?」


「そ、それはぁ……」


 クリスたちを見て、住民たちはニヤニヤと盛り上がる。

 かつてないアットホームな雰囲気に、クリスは妙な恥ずかしさを覚えた。


「一応言っておくと、俺たちが付き合っているなどと本気で考えている人間はいないから安心してくれ。皆、クリスのことを心から歓迎しているだけだ」


「そうなんだ?」


「単身でやってきた若い移住者なんて俺の知る限り初めてだからね。だから興味があるのだろう。ま、それは俺だって同じだけど」


 大半の施設を案内し終えたレイは広場に戻ってきた。

 そして、ポツンと佇むベンチを指して座ることを提案。

 クリスが承諾したので、二人はベンチに腰を下ろした。


「昨日の自己紹介によると、クリスは色々な国を回ってきたんだよね?」


「うん。ドーアからスタートして、ニクス、パルテ、レシューラ、プリメア、デサイアの順に回って、最後がここ!」


「どうしてここに家を構えようと思ったんだ? しかもデサイアの業者にわざわざ注文したくらいだし、相当なお金持ちなのか?」


「この国なら平和に過ごせるかなって」


「平和? 誰かに命を狙われているのか?」


「そういうことじゃなくて、他の国は何かと荒れているから。デサイアは国土に相応しい質の聖女を確保できないからって内乱状態だし、他の国も政府が腐敗しているだとか、何かしらの問題があるの。それで、そういう問題やしがらみのない国はないかなって調べてこの国を見つけたんだ。移住者も多いって聞いていたし。私以外は貴族だったけど……」


「なるほど。たしかにそういう意味だとこの国は平和だな。汚職を働こうにもそういう機会がないし、悪いことをすれば村八分になるから犯罪も起きない。良い着眼点だ」


「でしょー! だから、頑張って貯めたお金で家を建てることにしたんだ。デサイアの業者に注文したのは……業者の口車に乗せられただけだね。『お客さん、シャロンにはまともな業者がいませんよ。長く住む家でそれは不安じゃないですか。ウチなら信頼と安心の実績があり保証も完璧です』ってね」


 レイは腹を抱えて笑った。


「口車もなにもド定番のセールストークじゃないか。そんなの、人を疑うことを忘れたこの国のジジババにすら通用しないぞ」


「それが私には通用しちゃったんだよね」


「よく今まで無事に生きてこられたなー、クリスは!」


「それ、よく言われる」


 クリスも笑みを浮かべた。

 他愛もない雑談だけれど、それがすごく楽しい。

 レイとは気が合うように感じた。


「クリス、今から釣りにいかないか?」


 笑い終えると、レイが言った。


「釣り?」


「この国で数少ない娯楽の一つさ」


「いいけど……あと2~3時間で日が暮れちゃうよ」


「問題ないさ。この国には盗賊も魔物も出ないからな」


「そっか! なら大丈夫なんだ!」


「そういうこと。それに、日が暮れても町の外をぶらつけるってのは、この国の数少ないメリットの一つさ。堪能しないと損だろ?」


「たしかに!」


「少し待っていてくれ、家から釣り道具を取ってくる!」


 レイは立ち上がり、駆け足で自宅へ向かった。


 ◇


 クリスとレイは町から徒歩で数十分の川にやってきた。

 淀みのない綺麗な透き通った川で、様々な川魚が泳いでいる。

 二人はそこで横並びに腰を下ろして釣りを楽しんでいた。


「釣れたー!」


「やるじゃないかクリス!」


「レイの教え方が上手なおか――いや、私が上手だからだよねー! がはは!」


「おい、今、俺のおかげって言おうとして言い直したな!?」


「知らなーい」


 クリスはすこぶる上機嫌だ。


(シャロン公国、サイコー!)


 移住してきて2日目だが、既にこの国が気に入っている。

 ネガティブな要素がどこにもなく、町の人もとい国民もフレンドリーだ。

 何も考えずにただただ楽しく過ごせるのがいい。


「すっかり夜になったけど、町に戻らなくて本当に大丈夫?」


「大丈夫だけど、今日のところは戻るとしようか。若い男女が2人でってシチュエーションはジジババのネタにされかねない」


「りょーかい!」


 声を弾ませるクリス。


「グォーガイ!」


 するとクリスの隣から声が聞こえてきた。

 レイのいる右隣ではなく、何もいないはずの左隣から。


「んー?」と顔を左に向けるクリス。


 そして、次の瞬間。


「うぎゃああああああ! で、でたぁああああああ!」


 驚きのあまり後ろに跳んでしまう。

 そこには熊タイプの魔物ブルーグリズリーがいたのだ。

 全長二メートル級の熊さんは、何食わぬ顔でクリスの隣に座っていた。


「離れろクリス、そいつは魔物だ!」


 レイが慌てて立ち上がる。


 クリスたちが大きな声を出したことで、グリズリーも戦闘態勢に入った。

 牙をちらつかせて威嚇し、クリスをジッと睨んでいる。


「あわわわわわ……!」


 クリスは恐怖のあまり立ち上がれない。

 尻餅をついたまま、かかとで地面を蹴って、這うように後ろに下がる。

 クリスが離れる度にグリズリーは前進し、彼女との距離を詰めていく。


「ま、魔物はいないんじゃなかったのぉ!?」


「デサイアから流れてきたんだろう。油断した。国境から離れているし大丈夫だと思ったが甘かった」


「そんなぁ」


「大丈夫だ、俺が命に代えても君を守る」


「た、頼もしいけど、戦えるの!?」


「これでも戦闘は得意なほうだが……恥ずかしながら武器を忘れてきてしまった」


「ダメじゃん!」


 まさに万事休すだ。


「グォオオオオオオオオ!」


 グリズリーがクリスに飛びかかった。


「ひぃいいいいいいいいい」


 恐怖のあまり動くこともできず、ただ目を瞑るクリス。


「クリスはやらせん!」


 レイは迷わずに飛び込んだ。

 彼女の体を抱きしめ、身を挺して盾になる。


「グォオオオオオオオオオオオ!」


 グリズリーの前肢がレイの背中に向かって振り下ろされた――。

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