022
翌日、クリスは一人でバロンの邸宅に向かった。
ダッドリーとアルテには「食べ歩きをする」と説明してある。
顔に「ただいま嘘吐き中」と書いていたが、二人は気にしなかった。
「ここだよね、うん、ここに違いない!」
昼過ぎ、クリスはバロンの邸宅に到着した。
既にパーティーは始まっていて、敷地内には多くの孤児がいる。
孤児たちは一流シェフが作った料理をガツガツと堪能していた。
(どの子も凄い嬉しそう。バロン様は立派な方だなぁ)
かつて孤児だったクリスには、孤児たちの気持ちが痛いほど分かった。
孤児院はどの国でも貧しくて、食事は最低限の物すら与えられない。
たまのご褒美が飲食店で廃棄処分になった期限切れのパンだったりする。
なのでクリスは、聖女になるまで食事が楽しいものだと知らなかった。
生きる為に仕方なく行うものと認識していたのだ。
「おお、クリス殿! お越しいただきありがとうございます!」
門の外から眺めているクリスに気づき、バロンは声を弾ませた。
クリスは笑みを浮かべてペコリと頭を下げる。
「道に迷ってしまいまして、少し遅れちゃいました」
「そうでしたか。ささ、こちらへ。まずは客間でくつろいでください」
「あ、はい、わかりました、ありがとうございます!」
バロンに案内されて、クリスは敷地内に足を踏み入れる。
孤児や孤児院の職員たちが、クリスを見て嬉しそうに騒いだ。
そうした声に手を振って応じながら、クリスは公爵邸に入った。
その後の案内は公爵からメイドに代わる。
「こちらのお部屋をご利用くださいませ」
「はい! ありがとうございます!」
クリスは部屋に入ると、壁際にあった大きなベッドに腰を下ろす。
「いけないいけない、ここは宿屋じゃなかった!」
ふかふかで心地よくて、ついついそのまま寝てしまいそうになる。
「これでよし! さて、子供たちと遊ぶぞー!」
ウキウキで部屋を出るクリス。
孤児たちの笑顔を想像すると今から楽しみだ。
「あっ、クリス殿」
扉のすぐ外にバロンが立っていた。
手にはシャンパングラスを二つ持っている。
「こちらは私の領内で栽培しているリンゴから作ったリンゴジュースです。今日は暑かったので喉が渇いているかと思い持ってきたのですが……少し遅かったようですね」
苦笑いを浮かべるバロン。
「そ、そんなことありません!」
クリスはバロンの手からグラスを奪い取った。
勝手に部屋を出たのは失敗だったと思い、焦ったのだ。
「是非ともいただきます!」
そして彼女は、両方のグラスを瞬時に飲み干す。
「片方は私の分だったのですが……」
またしても苦笑いを浮かべるバロン。
「えっ? あっ……」
クリスは数秒遅れて理解した。
「す、すみません! バロン様!」
「いえいえ、気になさらないでください。それより味はいかがでしたか?」
「大変美味しゅうございました!」
「それはなによりです。では、私はグラスを片付けて参りますので、クリス殿は孤児たちの相手をしてやっていただけますか? 皆、クリス殿が来られるのを待っておりましたので」
「はい、よろこんで!」
クリスがバロンに空のグラスを渡そうとする。
その時、彼女は違和感に気づいた。
魔具の一つが小さく光っていたのだ。
だが次の瞬間には、その光は消えていた。
(気のせいだったのかな)
深く考えないでグラスを渡すと、クリスは館から出た。
バロンはグラスを持ったまま、その後ろ姿を見送る。
「なんで無事なんだ……?」
館の扉が閉まると同時に、バロンは顔を引きつらせた。
それから片方のグラスをマジマジと見つめる。
「沈殿しているようには見られないが……」
バロンには解せなかった。
クリスが平気で歩いていることに。
彼はグラスに毒を盛ったのだ。
無味無臭でありながら致死性の毒で、効果はすぐに現れる。
クリスのように平然と外へ歩いていくことなど不可能なのだ。
「毒と間違ってビタミン剤でも盛ってしまったか……?」
首を傾げつつ、バロンはメイドにグラスを渡す。
メイドが離れると、彼はこう呟いた。。
「次はもっと毒を盛って確実に仕留めないといかんな」
バロンはビクトルから密命を受けていた。
それが毒によるクリスの暗殺だ。
クリスにパーティーのことを他言しないよう言ったのもその為だ。
この場に有力者がいなければ、事件を捏造することなど容易い。
仮に真実が露呈したとしても、その頃にはドーアに降伏している。
(クリスはいい娘だが……何が何でも死んでもらわないとな)
バロンはポケットに忍ばせた毒を確認してから外に向かった。
◇
「クリス様すっげー! 食べまくりだぁー!」
「流石はレジェンドナイト、食欲もレジェンド級ですね!」
「うへへへへへぇ!」
孤児のパーティーでも食欲を爆発させるクリス。
彼女の為に用意されたテーブルで、目の前にあるもの全てを平らげる
その食べっぷりに誰もが舌を巻いていた。
「クリス様ー、俺のグリーンピースも食べてー!」
「クリス様ー、俺のトマトとピーマンもお願い!」
「アイアイサー!」
孤児たちの嫌う野菜類が全てクリスの胃袋に消えていく。
孤児院の職員は最初こそ止めていたが、じきに何も言わなくなった。
「楽しんでおられるようですな」
そこにバロンがやってきた。
皆が嬉しそうな声で歓迎する。
この場におけるバロンはクリス以上の人気者だ。
「美味しい料理をたくさんいただいております!」
クリスは唇の端についたソースを舌で舐める。
「食事だけだと喉が渇くでしょう。ささ、こちらのジュースもどうぞ」
バロンは大量の毒が入ったリンゴジュースを差し出す。
今度はグラスではなく瓶だ。
「これは全てクリス殿のものです。ここでは無礼講ですので、豪快に飲んでください」
「いいんですか!? では喜んで!」
クリスが毒入りリンゴジュースのラッパ飲みを始める。
「一気! 一気! 一気! 一気!」
孤児たちが手を叩きながらエールを送る。
ジュース瓶の一気飲みはこのパーティーの名物なのだ。
「ぷっはぁー! 美味しかったぁー!」
声援に応えてクリスはリンゴジュースを飲み干す。
バロンは「お見事です」と拍手する。ニヤけながら。
「いやぁ、このジュース、本当に美味し――ウッ」
話している途中で言葉が詰まるクリス。
突然、胸が苦しくなったのだ。
「おや、どうされました?」
バロンがしれっと言う。
彼はここからクリスが倒れ込むのを期待していた。
――が、現実は違っていた。
「ゲェェェェップ!」
クリスはド派手なゲップを繰り出したのだ。
大量の食事とジュースの一気飲みによるものだ。
「クリス様、はしたなーい!」
女の子がきゃっきゃと笑う。
クリスは恥ずかしそうに「えへへ」と顔を赤らめた。
「こ、ここ、これは、実に見事なゲップですね……」
バロンは目玉が飛び出そうになっていた。
人間どころかマンモスすら一瞬で殺せるだけの毒を盛ったのだ。
それなのにクリスはビクともしていなかった。
「いやぁ、食べた食べた! 食べ過ぎて眠くなってきちゃいました!」
おもむろに立ち上がるクリス。
「おねむの時間なので少し早いですが失礼させていただきます!」
「えー、もう帰っちゃうのー?」
「やだよー!」
孤児たちが駄々をこねる。
それでもクリスは「ごめんね」と言って譲らない。
「クリス殿、帰られるのですか?」
バロンも同じことを尋ねる。
彼は内心でとんでもなく焦っていた。
このまま帰られると暗殺できないからだ。
「すみません、もう眠くて眠くて!」
「ど、どうしても、ダメですか?」
「んー、すみません! また今度お願いします!」
「は、はい、分かりました」
「それでは! またね、みんな!」
クリスは逃げるようにその場から離れていく。
敷地から出て、適当な路地裏に行くと――。
「オエェェェェェェ」
盛大に嘔吐した。
それから魔具〈治癒の指輪〉を見る。
指輪は小さな光を放ち続けていた。
「やっぱり気のせいじゃなかったんだ……」
先ほどのラッパ飲みでクリスは確信した。
バロンが自分の飲み物に毒を盛っていることを。
指輪が光っているのは毒を中和しているからだ。
「孤児たちを笑顔にする素敵な方が……どうして、こんな……」
毒自体はクリスに何の影響も及ぼしていない。
それでも彼女の容態は急激に悪化していた。
バロンの秘めた殺意に気づいてしまったからだ。
そのことが悲しかった。
怖いのではなく、ただただ悲しかったのだ。
お読みくださりありがとうございます。
評価・ブックマーク等で応援していただけると励みになります。
楽しんで頂けた方は是非……!




