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002

 サリーが聖女になってから一ヶ月が過ぎた。

 今のところ、ドーア王国にこれといった変化は生じていない。


 聖女の効果は代わった瞬間から表れるわけではないのだ。

 それに状況を急変させるようなこともない。

 じわりじわりと変えていくのだ。


 平民となったクリスは国中を転々としていた。

 かつて神器を装着していた右手の指に、今は三種の魔具が備わっている。

 聖女の時に貰った莫大なお金を使って買ったものだ。


 魔具は神器と同じで、魔力によって効果を発揮する。

 ただ神器と違って効果範囲は限定的だ。

 効果対象は基本的に使用者のみである。


 クリスの装着している魔具は三つ。

 任意の場所に転移する〈転移の指輪〉、自身の治癒能力を高める〈治癒の指輪〉、そして、使い魔を召喚する〈召喚の指輪〉だ。


「来られたわ! ビクトル様よ!」


「サリー様もご一緒だわ!」


 ただいまクリスが過ごしている街に、王族用の馬車がやってきた。

 ビクトルとサリーが国内の主要都市を回っている最中なのだ。

 これは二人の結婚を記念してのものである。


「クリス様、今頃どうしているんでしょうねぇ」


「聖女手当で悠々自適な日々を過ごしているんでしょう」


「国民の税金が数年ぽっちの聖女に払われるってなんだかねぇ」


「ねー」


 娘たちがクリスの話をしている。

 すぐ近くにクリスがいるとは知らずに。


 クリスの顔を知る者は少ない。

 平民はおろか貴族ですら彼女の顔を知らない者がいる。


 聖女になって以降、殆ど宮殿に閉じ込められていたからだ。

 これはビクトルが決めたもので、「聖女は命を狙われて危険」とのこと。

 他国でも聖女は厳重に警備するものだから、この理由は別におかしくない。


 ただ、他国の聖女と比べても、クリスには自由がなかった。

 貴族のパーティーに出席することすら許されなかったのだ。


 その理由について、クリスは長らく誤解していた。

 ビクトルがそれだけ自分を大事にしているから、と思っていたのだ。

 愛が強すぎる故に束縛が強い、と。


 今なら分かる――それは大きな間違いだ。

 聖女の重圧に耐えきれず引きこもっていると演出したかっただけなのだ。


「クリス様は本当にもったいないことをしたよねぇ」


「ねー、ビクトル様ほどの御方はそういませんわ」


 クリスとビクトルの婚約が解消された理由について、政府の発表は事実と異なっていた。

 なんとクリスから婚約破棄を申し出たことになっている。

 聖女を辞めたのもクリスが強く希望したからというのだ。


 発表は簡単なものに留まり、詳細は述べられなかった。

 だから、民は勝手にアレコレと根も葉もない憶測を噂した。

 聖女であることに疲れたのだろう、と。


 政府が否定しないことで、その憶測は“真実”として認識された。

 全てはビクトルの思惑通りだ。


(ビクトル様は私を聖女にした日から今日に至るまでのことを計画していたんだろうなぁ)


 目の前を過ぎゆく馬車を眺めながら、クリスはそんなことを思った。


 ◇


 サリーが聖女になってから三ヶ月が経った。

 その頃になると、早くも聖女交代による影響が起き始めていた。


 ドーア王国の王城、謁見の間にて――。

 玉座に座るビクトルのもとへ伝令の兵士が駆け寄ってくる。

 赤い絨毯の上を走り、左右に立つ文武官たちには目もくれない。


「報告です! 南部地方に出陣した討伐隊から救援要請が出ています! 魔物が予想以上に手強くて戦況がかんばしくないとのこと! このままではいくつかの農村が陥落するやもしれません!」


 ビクトルは肩書きこそ「王子」だが、実質的な権力は国王と同じだ。

 現国王であり彼の父でもあるバルドレが病床に伏せているからである。

 よって、こういった問題の対策はビクトルが講じねばならない。


「ええい、魔物如きに手こずるとはなんたる有様だ。これでは他国を攻められぬではないか」


 頭を抱えるビクトル。

 最近はこの手の問題が増えていた。


 そのせいでナショナリズムにも待ったがかかっている。

 クリスを捨てた頃と違い、反戦派が増え始めているのだ。


(もしかして……)


 ビクトルが視線を横に向ける。

 隣の玉座に座っているサリーを一瞥した。


「ビクトル様、どうなされましたか?」


 ビクトルの視線に気づくサリー。

 彼女はビクトルを見て微笑む。


「いや、なんでもない」


 慌てて視線を逸らすビクトル。


(サリーがクリスに劣っているというのか……?)


 信じられなかった。

 大聖女テレサの血を引く者がどこぞの孤児に負けているなど。

 しかし現状を見る限り、クリスの頃の方が遙かに優れていた。


 魔物の活動が活発になったのはサリーが聖女になってから。

 ビクトルの父が病床に伏せたのはサリーが聖女になってから。

 悪天候の日が増えたのはサリーが聖女になってから。


(もしもそうであれば、この女と結婚したのは最大の過ちだ)


 ビクトルは伴侶について、野望を叶える為の道具としか見ていない。

 故に、彼にとっては最も魔力量の多い女が最も魅力的なのだ。

 容姿も、性格も、年齢も、全ては二の次である。


 だからビクトルは、ずっと昔からサリーに目を付けていた。

 しかし聖女になれるのは成人――18歳になってからと決まっている。

 なので、サリーが18歳になるまで待っていたのだ。


 クリスはそれまでの繋ぎでしかなかった。

 それなのに彼女と婚約したのは、そういうしきたりだからだ。

 未婚の聖女は王子と婚約するものという暗黙の慣例が存在している。


「ビクトル様、少しよろしいでしょうか」


 文官の最前列にいる公爵が手を挙げた。

 数少ないクリスのことを知っている男だ。

 そして、ビクトルと同じ主戦派でもある。


「言ってみろ」


「内密にお話したいことなのですが」


「分かった、来い」


 ビクトルと公爵は謁見の間の隅に移動する。

 二人は他の者に背を向けた状態で話した。


「国の現状を見る限り、クリス様とサリー様の質の差は歴然です。聖女が代わってからたったの数ヶ月でこれほど差がでることは滅多にありません。今ならまだ間に合います。クリス様を呼び戻されてはいかがでしょうか?」


「…………」


 言葉が出ないビクトル。


「お気持ちは分かります。私もサリー様こそ聖女に最適だと思っていました。しかしそれは誤りでした。かといって、サリー様とは既に結婚しておりますので、クリス様の時と違って簡単に関係を解消するわけにはいきません。ですから、サリー様との関係はこのままにして、聖女の座だけクリス様に就いてもらえばいいかと。適当な言い訳は私のほうで考えますので」


「むぅ……」


 ビクトルはしばらく黙考した。

 それから、彼はおもむろに口を開いた。


「公爵、馬鹿なことを言うな。サリーはテレサ様の孫だ。絶対に間違いない」


「しかし、ビクトル様」


「聖女の力がどれだけ優れていたとしても問題が起きることはある。テレサ様やクリスが聖女だった時にも、魔物の襲来や蝗害などが起きていたではないか」


「いえ、クリス様の時はどちらも起きては……」


「な、なら、大雨や台風はあっただろ?」


「それはたしかに、はい、ありました」


「な? 俺が言いたいのは大丈夫だってことだ。絶対に大丈夫なんだよ」


 ビクトルが話を切り上げて玉座に向かう。

 玉座に座るまでの間に、彼は何十回も「大丈夫なんだ」と呟いていた。

 自分にそう言い聞かせないと正気を保てなかったのだ。

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