プロローグ
耳障りな喚き声と甲高い金属音、血飛沫の上がる音がそこかしこで響く。
人々が歌い踊り、王を賢君と褒めそやし崇め奉り、賑やかな歓声に包まれていたドゥーレ王国の城下町は既に原型を留めていなかった。
王を詰る声が高まり、隣国の兵士たちに蹂躙される民たちが悲鳴を上げる。ざあざあと降りだした雨をもかき消すほどに大きな騒ぎだった。
その様子を白い城壁に囲まれた高みの塔から見下ろす人影があった。
美しい金髪を風に靡かせる麗しき女性の蒼い瞳には感情が宿っていない。虚ろな瞳で民たちを見下ろしていた女性は、興味をなくしたようにふいと顔を背けた。
「王妃殿下!」
先ほどまで民たちを見下ろしていた女性を王妃と呼んだ騎士が高価な調度品が揃えられ、ピカピカに磨かれた部屋に入ってくる。
王妃は虚ろな瞳のまま騎士を見つめた。
「何事ですか。騒々しい。」
「アドーナ帝国の軍勢が攻め込んできました。」
「王は?」
「―――崩御なされました。」
王妃は唇を緩めた。
「ならば、私のするべきことは終わったわ。」
「王妃殿下、それは・・・。」
「油と松明を持ってきなさい。」
戸惑った騎士を感情のない声で王妃が咎める。
「命令よ。早くして頂戴。」
「・・・はっ・・・。」
騎士が出て行った扉を見つめた王妃は再度窓から民たちを見下ろすと、嗤い出した。
「はっ・・・あははっ・・・!」
狂ったような嗤い声に何事かと駆け付けてくる女官たちにも気付かず嗤い続ける王妃。
「ああっ、いい気味・・・!」
「王妃殿下!いかがなされたのですか!」
王妃は女官が伸ばした手を振り払う。
「塔を燃やすわ。逃げたければ逃げなさい。」
王妃が紡いだ言葉に何人かの女官がヒッと息を呑んだ。
若い女官たちが慌てて靴が脱げるのも構わずに走り出す。裾の長い女官服に足を取られて転ぶ女官もいた。
それを嗤い続けながら眺める王妃の姿は異様だった。
「王妃殿下、松明と油をご用意しましたが・・・。」
「この塔に火をつけて頂戴。」
「王妃殿下!」
「早く油を。」
短い言葉にごくりと騎士は息を呑み、ただ一人部屋に残っていた年嵩の女官に油を渡した。
「これを、王妃殿下に・・・。」
「わかりました。」
年嵩の女官から渡された油の入った壺を受け取ると、王妃はそれを自分の肩にかけた。
全身を油で濡らす王妃を見て年嵩の女官が目を瞑る。
「塔を燃やして下さい。」
「ですが・・・!」
反論する騎士を一睨みで黙らせ、年嵩の女官は言葉を続ける。
「王妃殿下がそう望まれているのです。殿下の命令を聞けないというのですか。」
数拍の沈黙の後部屋を出て行った騎士を見送り、年嵩の女官は王妃を見つめた。
「王妃殿下。」
王妃から問うように向けられた瞳に年嵩の女官が微笑む。
「どうか、苦しまれることのないように。」
騎士がつけたのであろう火が部屋の扉を燃やし、王妃の部屋まで入ってきた。進むごとに激しさを増す火が年嵩の女官と王妃の間を塞ぐ。
火の手が迫ってくるにつれ、王妃の狂ったような嗤いが収まってきた。代わりに、無垢な笑顔が浮かべられる。
―――全てが壊れる前に戻れるような気がした。