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色褪せた写真  作者: 氷室冬彦
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5 再会に沁みる果実の甘味

大きな正門と敷居を囲う高い柵。華やかな花壇のある広い中庭。中心に青白い建物が二棟。大きく目立つギルド本部がどっしりと構え、その隣に小さな建物は本部と渡り廊下でつながっている。ロワリアギルド、その正面から見た姿だ。


「到着っと。礼は司令室にいるだろうし、涼嵐も医務室だろうけど、アリアはどこにいるかな」


「あの、その涼嵐さんと、アリアさん……というのは?」


「涼嵐は医者だ。千野原ちのはら家の娘って言えばわかるか」


「あ、えっと、たしかすごく有名な医者の家系っていう?」


世間のことに疎い春斗でも、その名前は聞いたことがあった。


「その千野原だ。アリアはこのギルドのシスターだな。二階に礼拝室を持ってて、そこの管理とギルド内の掃除とか、客人の対応もしてくれてる。メイド服を着てるシスターだ」


「め、メイド服のシスター……」


「時間帯によっては花壇に水をあげてるところも見かけるんだけど」


癒暗の言葉に、思わず中庭を見渡す。それらしい特徴の女性は見かけなかったが、代わりに花壇の前に屈んでいる、不審な緑色の塊が目に入った。思わず注視する。こちらに背中を向けて花壇を見ている。フードのあるローブのようなものを羽織っている人のようだ。


「あの……あそこの人もギルド員ですか?」


指をさしながら柴闇たちに問う。すると、柴闇と癒暗もその人が目に入ったのか、一瞬だけ目を細め、次に思い当たったように笑った。


「ああ、いや、あいつはどっちかっていうと客だな」


そう言って、柴闇が歩く方向を変え、花壇のほうへと歩いて行った。癒暗もその隣に並ぶ。春斗は黙って二人のうしろをついていく。花壇の前で屈んでいたその客人とやらが、近付いてくる柴闇たちの気配に気付いたのか、顔を上げ、こちらを見た。


「フィスト、久しぶりだな」


緑色の装束、袖から覗く腕には白い布を巻き付けていて、肌は隠れている。足にも同様に布があって、靴を履いておらず、ほぼ裸足だ。フィストと呼ばれたその人は、柴闇が声をかけるとあわてたように口をもぐもぐ動かした。なにか食べているような動きだ。二秒後に、ごく、と喉が動く。


「し、柴闇、癒暗。すまん、久しぶりだな。元気にしていたか」


「こっちは相変わらずだけど、フィストはなにしてるの? 礼に会いに来たんだよね?」


癒暗が問う。フードで隠れた頭を掻きながら、フィストはなんとも言えない声をもらす。


「そ、それはそうなんだが、門をくぐったところで庭の花壇が……少し、雑草が生えていたようなので、つい寄り道を……」


「まさか花を食べた?」


「まさか! これは玲華やアリアが大切に育てている花だろう。それに手を出すなど、人としておしまいだ。俺は邪魔な雑草を間引いていただけで……」


「あはは。ごめんごめん。大丈夫、冗談だって。わかってるよ」


「まあ、たしかにそろそろ草むしりの時期だな……。お前もこれから礼のところに行くならちょうどいい。俺たちも礼に用があるんだ」


「そうなのか。では同行しよう。……あ、ところで、そちらの少年は」


会話に入れず、三人のやりとりを聞いているばかりだった春斗に、フィストなる男が手を向けた。思わずどきりとする。神社では顔見知りの龍華や玲華、そして柳季と絵里香がいて心強かったのもあり、柴闇たちに対しては比較的すんなりと意思疎通を図れているが、春斗は本来、引っ込み思案の人見知りなのだ。


「こいつは春斗。依頼人の代理として、これから礼に話を通しに行くところなんだ」


「は、早川、春斗です……」


「そうか、春斗……うむ、覚えた。俺はフィストティリアという者だ。このギルドとは少し前からの縁でな。外部協力者などとのたまうほどの大した存在ではないが、ときどきこうして彼らの顔を見に赴く。ただの放浪者であり、三流の占い師だ」


「ふぃ、ふぃす……あ、えっと、す、すみません」


名前の字数とギルドとの関係、彼の立場。この数秒で入って来る情報が多くて名前をはっきり覚えられない。春斗があわてると、なぜかフィストもあわてた。


「い、いや、謝らないでくれ。いいんだ、わかっているとも。俺の名前は長くて覚えづらく、言いづらいだろう。なのでひとまずはフィスト、とでも。俺を知る者は大抵、そう呼んでいる」


「は、はい、フィストさん、ですね」


「怪しい出で立ちですまない。できれば、あまり……怯えないでもらえると、いや、仕方のないことだとは思うのだが……」


「あ、い、いえ、怯えるだなんて。僕は、もともと……その、あまり、初対面の人と話すのが、得意じゃなくて、き、緊張、してるだけなので……」


「そう、なのか? ならば……いや、うむ。だが……」


顔は見えないが、声や背丈などから春斗よりずっと年上に思える。だが、ずいぶんと腰の低い人だ。話し方には温厚さがにじみ出ており、たしかに姿だけを見れば怪しい人なのだが、今の短時間だけでも、悪い人ではない、むしろ穏やかな人なのだろうという気がしていた。


フィストが妙に黙り込んでしまったので、春斗はおずおず首をかしげる。


「……フィストさん?」


「ああ、なんでもない。では行こう」


そう言って歩き始めたフィストの隣に癒暗がつく。その二人の少しうしろを柴闇と春斗がついて行くかたちとなった。ギルド内部は賑やかだ。高い天井に等間隔に設置された照明で物理的に、そして年若い少年少女たちの声で雰囲気が明るい。司令室は二階だ。階段へ向かう廊下を歩きながら、直前のフィストの妙な態度を不思議に思っていた春斗が柴闇を見ると、彼はその視線と、そこに込められた疑問にすぐに気付いた。


「フィストは……そうだな、フードの下の顔がなかなかの強面で――っていうか、それを隠すためにフードをかぶってるんだ。さっきのは、出で立ちの怪しさでは怖がられなくても、きっと素顔を見せれば怯えさせてしまうと思って、緊張してるだけだと言われても、素直に『ならいいんだ』とは言えなかった。ってところだろうな」


「や、優しい……」


「そう。あれは優しい男だ。だから、もしあの下に鬼みたいなツノが生えていて、肌が灰色だったり、目がこーんな風につりあがってたとしても、怖がらないでやってくれよな。怖かったとしても見た目だけだからな」


「つ、ツノって……大げさですよ、そんな」


「お? まんざら冗談でもないぞ。異形のもの、単純に見た目がおぞましいもの、己の種と離れた存在ってのは、無条件で恐怖の対象となりうるもんだ。人は自分の理解が及ばないものや、自分たちと違う存在を拒絶したがる生き物だからな。でも、見た目が怖いだけで相手を拒絶しては、それはただ相手を傷つけるだけの攻撃だ。害がないものを必要以上に恐れない、という姿勢は大事だと肝に銘じておけ」


「は、はあ」


「だが、柴闇。春斗が俺を恐れるならば、それもまた仕方のないことだ。俺自身が明らかな攻撃行為を取らなかったとしても、恐怖を与えてしまったのであれば、既に俺は彼にとって有害なものだろう。俺が有害なのか否かを決めるのは、俺ではないのだ」


柴闇の言葉が聞こえたらしい。前を歩いていたフィストがそう言った。柴闇は顎に手を当て、息をつく。


「なんだ? 珍しいな、フィスト。お前、俺たちと最初に会ったときは、ずっと自分は無害だって言い張っていたくせに」


「俺としては無害のつもりだ。それは変わらない。ただ、ほんの少し前にそう言われてな。害の有無を決めるのはお前ではなく俺たちだ、と。それで、そのとおりだと気付いてしまったのだ。一応はその彼も、のちには俺に害がないことをわかってくれたが」


「あ、あの……フィストさんって、そんなに怖い顔をしているんですか?」


「話せば長くなるだろうし、司令室に着いてからにしよう」


柴闇に言われ春斗はおとなしく引き下がった。間もなく、目的地である司令室の扉が見えてくる。大きな両開きの扉は開いたままにされており、それはおおむねいつものことらしい。癒暗が扉から顔を覗かせて中に呼びかけた。


「礼、いるー?」


「はいはい、いるよー」


声はすぐに返ってきた。癒暗と柴闇がずかずかと中に入っていくので、フィストと春斗もうしろからそっと控えめについて行く。部屋は広く、手前にはテーブルと、それを挟むようにソファが置かれ、部屋の奥には一組のデスクがあった。壁沿いに本棚がぎっしりと詰められ、収納しきれなかった本や書類、ファイルなどは床に積まれている。


ギルド長――あるいは支部長――來坂礼らいさかれいは、奥のデスクで書類の整理をしていたようだが、癒暗の声に顔を上げると、入室してきた面々を見てなぜか笑った。


「あっはっは、こりゃまた変な組み合わせだなあ」


独特な色合いの青髪、大きな紫の瞳。童顔だが顔立ちは整っており、どうやら今日は眼鏡をかけているようだ。


「フィスト、久しぶりだな。全然来ないからどこかで行き倒れたのかと思ってたところだ」


「平穏無事だったさ。本当は、もう少し前に来るつもりだったが……最後に来たのは一年前だったな」


「春斗くん、その後はどう? 柳季とはうまくやっていけてる?」


「あ、は、はい。その節はどうも……今はなんとか、ぼちぼちやってます」


「うん、二人とも元気そうでなにより。で、また厄介なことに巻き込まれでもしたのかな?」


礼はエスパー系の能力者で、目の前に立つ相手の思考や感情、過去に至るまでのあらゆる情報が目に見えるらしい。彼がかけている眼鏡はその幻視の能力を遮断するためのもので、そのレンズ越しに見ている間、彼の目に見えるのはそこに物質として存在するものだけだ。


「……今って、なにも見えてないんですよね?」


「今はね」


「よ、よくわかりましたね。そう、なんです。実はちょっと、またお願いしたいことが――あ、でも、今回は、僕のことじゃなくて、依頼人は別にいて、僕はその代理として来たんですけど……」


礼が手元の書類をまとめ、引き出しにしまう。


「とりあえず、みんな座りなよ。今なにか飲み物持ってくるから」


「あ、お、おかまいなく……」


「礼、僕リンゴ、あ、やっぱオレンジジュース!」


「俺マンゴー。なかったらオレンジ」


「み……水で」


遠慮がちな春斗とは正反対に、遠慮なく注文をつける癒暗と柴闇。フィストは一貫して低姿勢だ。礼はデスクの奥、本棚の陰になっているところへ向かっていき、そこからさらに奥へ消えて行った。春斗たちの位置からは死角になっているが、別の部屋に続く扉がそこにあるのだ。聞いた話によると、そこが礼の自室らしい。


「礼さんってここのギルドで一番偉い人なんですよね?」


「そうだけど、うちっていつもこんな感じだよ。ロアもみんなの飲み物持って来てくれたりするし」


ロア、というのはこのロワリア国の化身であるロア・ヴェスヘリーだ。国の化身が給仕をするのであれば、たしかにギルド長が同じことをしてもおかしくはない。いや、そもそも国に給仕をさせること自体がおかしいのだが。上下関係を気にしない組織なのだということは柳季から聞いている。


礼はすぐに戻ってきた。持っている盆の上にはグラスが五つ。それぞれ柴闇と癒暗のジュースと、水、あとはコーヒーとカフェオレだ。コーヒーは礼が飲むものだろう。礼はテーブルに盆を置く。


「フィストって果物は平気なんだよな? リンゴあったから、ロアにしぼってもらってリンゴジュースにする?」


「え、いや、たしかに果物は平気だが……手間なのでは?」


「……その前に、リンゴをしぼるってなんですか」


「手で握って、こう、ギューッと。俺は無理だけどロアならできるよ。あの人、素手でリンゴ潰せるし」


「ええ……」


「えーと、で、なんだっけ。依頼人の代理で?」


「待った、それは俺が聞いていい話か? 席を外したほうが……」


礼が本題に移ろうとしたとき、フィストがそれを遮った。しかし、席を立とうとするフィストを柴闇が手で制する。


「いいよ。むしろ、場合によってはお前の力を借りることになるかもしれない。聞いといてくれ。事情は俺から話そう」


「あ、お願いします」


やはり春斗ではうまく説明できる自信がなかったので、柴闇のその言葉に遠慮なく甘えることにする。柴闇は絵里香の悪夢と黒い女の話と、彼女からの相談を受けた春斗と柳季が鈴鳴神社に来たこと、そして、神社での話し合いの結果、ひとまず春斗が絵里香の代理として正式に依頼しに来たことを順を追って説明した。


「とりあえず、ひと晩こっちに泊めて様子を見るつもりだが、アリアと涼嵐のところにも行くつもりだ。この件に関しては基本的に俺たちで引き受けようと思ってるけど、ちゃんと礼にも言っておいたほうがいいと思ってな。それでいいか?」


「っていうかずっと気付いてはいたんだけどさ、これオレンジじゃなくてマンゴーだね」


急に癒暗が話の腰を折る。柴闇が癒暗と自分の手元のグラスを交互に見た。お互いにもう半分ほど飲んだところだ。


「そうだな。俺もこれマンゴーじゃなくてオレンジだ」


そのまま顔を見合わせたかと思うと、柴闇と癒暗は同時に声を上げて笑い出す。


「あははははっ」


「ふはっ、半分っ……お前、半分も飲んで言うなよ、お、俺もう、言うつもりなかったのに、はははっ」


「色が、っふ、ややこしいもんコレ、あはははっ」


「ってか匂いでわかるだろ!」


「ははははっ!」


妙なところでシンクロして二人の世界に入ってしまう双子たち。笑い方というか、笑い声はよく似ている。礼もそれにつられて少し笑っているが、とくにそれに構う様子はない。


「ふふ、いや、そっちでなんとかするのはいいけどさ、あの階段を何度も往復するのしんどくない? ギルドに泊めれば?」


「それは龍華に聞いてみないとな。神社のほうが都合がいいなら、神社のほうに。場所にこだわりがないならギルドに。まあ今のところ悪夢を見て幻覚を見ているだけで、実害はないみたいだからな。様子を見るだけならどっちでもいいとは思うが」


龍華は今、一人神社に残っている。確認に行くにしても時間と労力がかかるだろう。癒暗がけろりとした顔で手を挙げる。


「僕が行ってこようか? それならすぐだし」


「じゃあ頼む」


「オッケー。五分で戻るよ」


言いながら癒暗が立ち上がり、ぐっと両腕を挙げると少し背中を反らせ、三秒ほど伸びをした。そして、そのまま窓際のほうへ駆けていき、窓を全開にするとそこから外に飛び出した。


「あっ!」


思わず身を乗り出す。癒暗の姿が真下に落ちた――と思った瞬間、外でなにかが光った。直後、癒暗が窓のすぐ前に浮上する。背中には大きな真っ白の翼があり、それで空中を飛んでいるらしい。


「あ、ジュースまだ飲むから置いといてね」


そうとだけ言うと、癒暗は窓を閉めて神社の方角へと羽ばたいていった。遠くなっていくその姿を呆然と眺めている春斗だったが、すぐにあれが彼の能力なのだろうと思い当たった。


「うむ、久しぶりに目にしたが、癒暗の翼はいつ見ても神秘的だ」


「あ、あれは……なんていう種類の能力なんですか?」


「あれか? 体脳系の能力だ。肉体の一部に能力が宿っている場合、そう呼ばれる」


春斗の質問に答える柴闇。礼は笑っている。


「慣れてきたねえ、春斗くん。前に来たときは全然そのへんのこと知らなかったのに」


「いや、今もおどろいてますよ。……えっと、双子っていうことは、柴闇さんも癒暗さんと同じ能力なんですか?」


「たしかに俺も体脳系の能力だけど、宿っている位置は違う。それに、基本的に能力に血筋や遺伝は関係ないからな。一卵性の双子がまったく別々の能力を持っていても不思議じゃないし、俺たちの能力系統が同じなのも、たぶん偶然だ」


「そ、そうなんですか?」


「そうだねえ。一般的な系統能力に限って言えば、遺伝とかは関係ないよ」


「……っていうかさ、ずっと気になってんだけど」


柴闇がフィストの手元に視線を落とす。春斗も、それにつられて彼の手を見た。


「フィスト。お前、いつまでそれ持ってるつもりだ?」


フィストの手には、先ほど花壇で間引いたときの雑草が、まだ握られたままだった。


「……忘れていた」

次回は九月十三日、十三時に更新します。

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