14 凶は浮き彫り、吉遠からじ
春斗が座敷に戻ったとき、そこにいたのは龍華と癒暗の二人だけだった。絵里香と玲華、そして柴闇の姿がない。二人はそれまでなにか話していたようだが、春斗が戻って来ると癒暗はこちらに向けてにこりと笑んだ。
「春斗、遅かったね。フィストは?」
「フィストさんは、自分なりになにか調べてみるからと、どこかに。……あの、柴闇さんたちは?」
「兄者は春斗が出て行ったあとに、頭を冷やしてくるって出かけちゃった」
「……柴闇さん、怒ってました?」
柴闇がフィスト自身の言葉でフィストを言い破ったように、春斗もまた、柴闇自身から出た言葉を柴闇に投げかけた。春斗は生意気にも、柴闇に楯突いたのだ。言葉でも腕力でも度胸でも、なにひとつとしてかなわない相手だというのに。春斗が胃を痛めそうな気分になっていると、龍華が軽く笑い飛ばした。
「怒っちょらん。一本取られたわーっちゅうとった。どっちが悪いやの言う話でもないんやし、気にせんでええ。……ほんだら、俺はちと電話してくるさけ、ま、あとはゆっくりしとき」
「あ……はい」
龍華が出て行き、今度は癒暗と春斗だけがその場に残る。癒暗はテーブルに肘をついて顎を支え、数秒ぼんやりしていたが、ちらりと横目に春斗を見た。
「ごめんね、怖かったでしょ」
「え?」
「兄者。落ち着いてるようで意外と血の気が多いっていうか、好戦的っていうか。わりと武闘派なんだよね。それは僕らやまわりのみんなを守るためでもあるんだけど、今まで兄者のいい部分しか見てなかった春斗は、ちょっとびっくりしたかなって」
「それは……」
「兄者はそんなだし、フィストもああだからさ。二人の意見が分かれるのも、別に珍しいことじゃないんだよ。それも、龍華の言うとおりどっちが正しくて間違ってるかっていう話じゃないから、むずかしいんだよね。価値観の問題っていうか」
「癒暗さんは……改めて、どう思いますか? さっきのフィストさんの話」
春斗の問いに、癒暗は手に乗せていた頭を上げ、こちらに顔を向けた。
「……ごめん、聞いちゃった」
「はい? え、と、なにを……」
「フィストがまだ言葉に出来てない大事な部分があるのかも、とは思ったんだけど、口を挟めない空気だったし。二人が出て行ったとき、僕まで追いかけるってのも迷っちゃって。ここから二人の声を拾ったんだ」
「それって」
「遠隔知覚。兄者との間にある精神感応とは別の、僕だけができる他人の心を聴く力。フィストの考えを齟齬なく理解するには一番いいと思って。それを踏まえたうえだと……さっきまで反対してたけど、僕はフィストに賛成ってことになるかな」
「……でも、その結果になにが起こるかは」
「うん、わからない。だからやっぱり兄者の意見も否定しきれないんだよね。手っ取り早くてわかりやすくて確実な方法なのは本当だから。僕は兄者と違って優柔不断なんだけど、そうでなくても慎重になるべきところだよ。絵里香の凶兆もかかってるわけだし……あれ、でも凶はもう確定しちゃったのかな」
「え、でもフィストさんはまだ避けられるって」
癒暗は一瞬、目を伏せる。小さく息をつき、また春斗を見た。いつもにこやかな彼には珍しい、真剣な面持ちだ。
「実は、二人が出て行ったすぐあとにね、ギルドから連絡が入ったんだ。絵里香のお義母さんが倒れたって」
「えっ!?」
「それと……」
「そ、それと?」
「……いや、ごめん。なんでもないや。とにかく、それでさっき、玲華と絵里香は一緒にレスペルに行ったんだ。外で会わなかった?」
*
義母が倒れた、という報せが鈴鳴神社に届いたのは、フィストと春斗が離脱した直後のことだった。出て行った二人のことも心配ではあったが、絵里香は至急レスペルへ帰還することになり、玲華とともに神社をあとにした。
列車に乗り、再びレスペルへ。ギルドから報せられた住所に辿り着く。絵里香の自宅から最も近い医療施設だ。絵里香の義母、藍子が倒れたのは洋菓子店『柳』のすぐ前の通りだったらしく、店先を掃除していた柳季の母が気付いて通報したらしい。そのことを知った柳季がギルドを通して神社にも連絡を寄越したのだ。
「義母さん」
病室にはベッドに横たわる雑賀藍子の姿。藍子は絵里香に気付くと起き上がった。
「あら、絵里香ちゃん……来てくれたのね」
「柳季から連絡があって……その、大丈夫なの?」
「ええ、検査ではとくに異常はないって。……そちらは?」
「今朝うちに来た……龍華さんの妹さん。一緒に来てくれたの」
「鈴鳴玲華と申します。絵里香さんとは、先日から懇意にしていただいております」
「か、義母さん、なにがあったの?」
「それが……お買い物に行こうと思って道を歩いていたら、急に目の前が真っ暗になって、苦しくなったのは覚えてるんだけど……なにがあったのか、私にもよく覚えてないのよ。きっと、貧血かなにかだと思うわ」
少しだけ笑って言う藍子に、絵里香はほっとしたような、それでいてやはり心配そうな顔のまま肩を落とした。
「貧血って……」
「ごめんね、せっかくお友達と楽しくしてたのに、水を差しちゃって……玲華さんも、わざわざありがとう」
「いえ、大事に至らないに越したことはありません。どうかお気になさらず、ご自愛ください」
「すぐに退院できそうなの?」
「ええ。今日はひとまず点滴を打ってもらって、明日には」
「……よかった」
「ごめんね、心配かけたみたいで」
「べ、別に、そんな……」
絵里香が黙り込んでしまい、藍子も気まずさからか口を閉ざす。数秒の沈黙をやぶったのは玲華だった。
「あの、失礼ですが、そちらのペンダントはお義母様のものでしょうか?」
玲華が手で指し示した先にあったのは、ベッド脇の小さな棚の上に置かれた、黒い鍵のペンダントだった。玲華の言葉に、藍子は、ああ、と無理に声を明るくして、それを手に取る。
「これね、私がまだ絵里香ちゃんくらいの歳だったころから持ってるの。もうかなり昔のことだから、いつどこで買ったのかは思い出せないけど、今ではお守りみたいなものね。これがどうかした?」
「あ、いえ……」
「そういえば、お母さん――私の、前のお母さんも、似たようなのを持っていたわ。っていっても、お父さんの遺品からメモと一緒に出て来るまで、知らなかったけど……三人とも世代は同じだし、そういうアンティーク風のものが流行ってたのかな。歳は同じだったんでしょう?」
「そうね、そうかもしれないわ。絵里香ちゃんには前にも言ったけど……、私と、絵里香ちゃんの生みのお母さんと、お父さんは昔から仲が良かったの。あのころは、まさか将来こんなことになるだなんて思っていなかったけど……」
「義母さんって……いつからお父さんのことを?」
「さあ……どうだったかしら。でもなんだか、昔を思い出しちゃうわね。絵里香ちゃん、亡くなったお母さんに本当によく似ているから……こんなこと、お友達の前で言うべきじゃないでしょうけど」
「私のことはお気になさらず……あの、すみません。少し、兄に連絡させていただいてもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろん。どうぞ」
玲華が病室を出て行き、部屋には絵里香と藍子だけが残された。白いカーテンから透ける光はまだ夕暮れには遠く。しかし、案外すぐそこまで来ているだろう。
「……私とお母さんって、そんなに似てたの?」
「そっくりよ。あ、ちょっと待ってね、手帳に昔、三人で撮った写真があるの……ほら、これよ。右端がお父さん。真ん中の黒髪の子があなたのお母さん。その隣が私。よく撮れてるでしょ」
藍子が取り出した写真はやや色褪せていたが、それでもそこに写る人々の顔や姿ははっきりとわかった。父と母の、まだ父と母でなかったころ。絵里香と同じ少年時代の姿。切り取られ、置き去りにされた時間の一枚。
「本当だ……私にそっくり。義母さんも、お姉ちゃんそっくりだね」
「え?」
「この写真、お姉ちゃんにも見せたいわ。ここにはまだ来てないの?」
「……絵里香ちゃん?」
「最近ずっと姿を見てないけど、ちゃんとうちには帰って来てるよね? 今朝もいないみたいだったから……」
「ねえ、絵里香ちゃん、なにを言ってるの? あなたにお姉ちゃんなんていないでしょ……?」
*
「はい。そのようです。それと、絵里香さんの義母と実母、双方ともに奇妙な鍵をお持ちのようです。ただの鍵でないことは、視界に入ってすぐに。探偵さんのおっしゃっていた話と、なにか関係があるかもしれません」
病室を出て、廊下の突き当たりの窓からバルコニーに出たところで、玲華は携帯端末から神社にいる龍華に連絡を取っていた。目的地に無事到着したことと、その先で得た情報の報告だ。
「現状、私が気になった点については以上です。絵里香さんはお義母様とお話しされているでしょうから、帰るにはまだ少しかかるかもしれません。……はい。はい、お願いします。では」
通話を終わらせ、ひと呼吸おいてから引き返す。病室に戻ったとき、そこに絵里香の姿はなかった。玲華が戻ってきたのを見て、藍子はひどく動揺したような、困惑したような表情で固まっている。
「あの、絵里香さんは……」
「そ、それが……絵里香ちゃん、急によくわからないことを言いだして……」
「よくわからないこと、とは?」
「この写真を見せたの。あなたは若いころのあなたのお母さんとそっくりよ、って。そうしたら絵里香ちゃん、これを見て、私と『お姉ちゃん』が似ているって……」
「お姉ちゃん――といのは、絵里香さんのお姉さんのことでは?」
「いえ、いいえ、あの子は一人っ子よ。お姉ちゃんなんていないわ」
「え――」
「私がそう言ったら、絵里香ちゃん、急に部屋を飛び出して行って……廊下で会わなかった?」
「いえ……。絵里香さんの話では、お父様の再婚相手となったあなたの連れ子が、義理のお姉さんだと……」
玲華の言及に、藍子はなにか絶望したような、ひどく悲しそうな顔をした。
「わ、私はあの人と結婚するまで独身だったのよ。娘なんているはずないわ。だ、だって……私はずっと、あの人だけを愛していたから……!」
「……それは」
「絵里香ちゃん、きっと、どこかおかしくなってしまってるんだわ。……まだ小さいときに、実のお母さんが病気で亡くなって、今度はお父さんが亡くなって。こんな、血の繋がりもない赤の他人のおばさんと一緒に暮らすことになって……それで、きっと気付かないうちに心が変に……」
「お、お義母様、落ち着いてください」
「わ、私のせいなの? ……私は、私はなにもしてないのに……私のせいじゃ……どうして、絵里香ちゃん……」
藍子は手で頭を覆い、小さく呟きながら涙を流している。玲華は扉と藍子を交互に見、藍子に駆け寄ると椅子に掛けたままにしてあったカーディガンをその肩にかけた。
「大丈夫です、絵里香さんのことは我々に任せてください。必ず、絵里香さんの凶兆を、彼女に取り憑いた諸悪を取り除いてみせます」
「あ、あなた――いったい――」
「失礼します」
ひとつ、お辞儀をして病室を出る。そのまま早足に屋外へ出ると、駆け足で駅の方へと走りながら、再び携帯端末を取り出した。龍華にかけるが、通話中だ。絵里香が自宅に帰ったとは考えにくい。『柳』の前を通りかかった際に、店を覗いたが絵里香はおろか柳季の姿もない。
やはり列車に乗ってロワリアに帰ったとみるべきか。駅に辿り着き、時刻表を確認するが、ほんの十五分ほど前に出発したばかり。玲華より先に出て行った絵里香ならば、これに乗れたはず。次の列車まではまだまだ時間がかかる。待つくらいなら、いっそ走ったほうが早いだろう。
考えるより先に、西の方面へ走る。町の賑わいが絶えてすぐに森の中に入った。ロワリアとレスペルの間に広がる森は、まっすぐ突っ切るだけならそう複雑な道でもない。列車に乗れるだけの小遣いを持たないレスペルとロワリアの子どもたちは、この森を抜けてお互いの町や村に遊びに出かけるのだ。
端末が鳴った。龍華からだ。
「兄さん、兄さん! 絵里香さんがいなくなりました!」
『なんやと? なにがあったんや』
「すみません、先ほど私が兄さんと話している間に……きゃっ」
木の根に足を取られてつまづいた。龍華があせった声を出す。
『どないした!』
「つ、つまづいただけです、気にしないでください。それより、兄さん! 兄さんが気にしていたとおり、絵里香さんにお姉さんはいません!」
『……なんやと、つまり』
「それが凶です!」
『玲華、今どこにおる?』
「レスペルとリワンの森を抜けようと……おそらくですが、絵里香さんはそちらに戻っているかと。気が動転しているかもしれません。どうか、見つけた際は刺激しないように……兄さん?」
端末の向こうで龍華の声がする。癒暗になにか言っているまではわかった。数秒して、声が耳元に戻ってきた。
『玲華、癒暗をそっちに寄越す。走るより飛んだしか早い。俺は絵里香を探す。絵里香が乗ったかもしれん列車の時間は?』
「今からだと、もうそろそろ、そちらに到着していてもおかしくありません」
*
絵里香がロワリアに帰り着いたとき、心臓の早鐘はなりを鎮めていた。絵里香はただなにも考えられず、うわの空のまま、ただ足を交互に前へ出すばかりだ。心にぽっかりと穴の開いたような気分。まるで、父を喪った直後のような。なにかが足りない虚無感。
違う。
足りないのではない。多かったのだ。あるはずのないものを、ひとつ、多く数えてしまっていたのだ。
「お姉ちゃん……」
――あなたにお姉ちゃんなんていないでしょ?
違う。違う。いたはずなんだ。たしかに、この目で見て、この口で話して、認識していた。知っている。存在している。そのはずなのに。
なのに。
私に姉がいないというのはどういうこと?
私は、私は。いつから。おかしくなって。
おかしくなっていたの? 本当に? だって、あれだけみんな、私は正常だって言ってくれた。おかしくなっていないから余計につらいんだって。精神は強く、壊れていなかったと。
「お姉ちゃん……」
だとしたら、つまり、私は正常な精神のまま、いないはずの姉をいると認識していた? ありえない。それこそおかしい。私はどうなってしまったのだろう。私が呼べば返事をして、私が笑えば一緒に笑って、そうして同じ時間をすごしたはず。お姉ちゃんはたしかにいたはず。
しかし、納得できずとも理解していた。私に、姉なんていない。あのとき、お父さんが私に紹介したのは、義母さん一人だった。連れ子なんていなかった。思い返してみればそうだった。では、私が姉と慕って疑わなかった彼女は、いったいなんだ?
「お姉ちゃん……」
「なあに、絵里香」
どくり、と心臓が大きく跳ねた。顔を上げる。顔からさっと血の気が失せた。いないはずなのに存在している見知った顔が、そこで微笑んでいる。
「あ――」
「絵里香、こんなところにいたのね」
「お、お姉ちゃん……」
「ずっとさがしていたのよ。友達と遊んでいたんですって? それならそうと言ってちょうだいな。急にいなくなるから心配したのよ?」
「ち――ちがう。お姉ちゃん、じゃない」
「絵里香、どうしたの」
「私にお姉ちゃんなんていない!」
絵里香が叫ぶと、姉と思われていた少女の顔から、ふと笑みが消えた。
「……そう、気付いてしまったのね、絵里香」
「お姉、ちゃ……、違う、あなたは、あなたは誰……?」
少女が一歩、絵里香に近付いた。絵里香は一歩、あとずさった。
「こ、来ないで」
「大丈夫よ、絵里香。こっちにいらっしゃい」
「いやっ、来ないで!」
わけもわからず、ただ恐ろしくて、逃げ出した。どこへ逃げればいいかわからない。神社に行くための道にその『姉』がいたため、絵里香が神社に逃げることはできず、走り出した先にあるのはギルドでもない。
絵里香が無意識のうちに向かったのは、そこよりわずか西にある森だった。
次回は十月一日、十三時に更新します。




