1_1_010 【まずはここから】
「……おっす」
「ここには来るんだね。学校には来ないくせに」
放課後というのに日は沈む気配も見せず、キラキラとコンクリートに日差しが照り返す。
風はオイルの匂いを運んでくるし、どう考えても華の女子高生三人がたむろする場所とは思えなかった。
平積みされた古タイヤの上に腰掛ける湊の隣に愛生はよたよたと近づく。
「いいだろ……学校なんて今更いけないし……」
「まあ、私は構わないけどさ」
湊と愛生はそんな会話をしながら一人、離れた場所にいる由夏を見た。
由夏はボンネットを開けた前期型S14のオイル口に差されたじょうごにオイル缶からオイルを注ぎ込んでいる。
他に散らないように新聞紙をエンジンルームのいたるところに広げていたが、その光景は素人二人には車が新聞紙を吐き出しているようで滑稽だった。
「古町ちゃんは真面目だねぇ」
「それな。良く働く勤労少女」
茶化す二人の言葉には耳を傾けず、オイルを入れ終わると缶を置いて、じょうごを抜く。
レベルゲージを抜き差しして、オイルの量が適量かを確かめるその姿は確かに勤労少女だった。
整備士らしい薄い緑のつなぎとキャップも良く似合う。
キャップからはまとめたポニーテールが薄く揺れていた。
「車が好きなんだね」
「整備が好きとも言う。メカオタクだ」
「シンパシー感じる?」
「美しさが無いな。JKらしさにも欠く」
「どの口が」
軽口を叩きあいながら、愛生はカバンからタブレットPCを取り出す。
画面のロックを解除してつぶさにフォルダの中身を漁り始めた。
「よし……」
由夏はレベルゲージを差し、キャップをしっかり閉めて一息つく。
手慣れた簡単なオイル交換だ。
支えを外したボンネットを閉じたその手のまま、整備用の手袋をはずし、整備用のキャップを少し上げて額を拭った。
さして、汗はかいてない。
「お、ちょうど終わったな」
愛生が目当てのファイルを見つけて顔を上げ、床の方を見ながらニヤリとする。
由夏はチラリと二人の方を見てからそちらに歩き出した。
「それで、見せたいモノって?」
由夏は整備用手袋を湯薙ぎの腰回りに差し、愛生を見る。
あまり期待していない眼差しだったが、愛生は気にしない。
「これを見ろ!」
愛生が突き出したタブレットPCを二人が首を突き出して見た。
そこに表示されていたのは画像。
流れるような線とさらりと塗られた色で描かれたそれは……スポーツカーのラフっぽい絵だった。
「……どうだ?」
あまりに二人がしげしげと眺めるものだから、愛生は少しだけ不安に駆られてそんなことを言う。
ふむ、と声にならない声を出したのは湊。
「あんまレーシングカーっぽくないなぁ」
「いや、だからそれはステッカーがないからだって前も言ったろ」
「ふ~ん。専門家の由夏先生はどう思う?」
愛生の言い訳をさらりと流して湊は由夏の方を見る。
湊より真剣な眼差しで見ていた由夏だったが、ふと顔を上げた。
その顔が晴れやかなモノではないのに愛生は戦々恐々とする。
「ダメか!?」
「いや……絵は上手いんじゃない? 良く分かんないけど」
「良く分かんないのかよ!」
「いやいや。だから、絵の良し悪しって言うか」
そこで言葉を切った由夏を愛生は悲壮な顔で見る。
一体何を言われるのか?と身構える愛生だったが、由夏は由夏でこれを愛生に言ったものだろうかと少し逡巡した。
「ベースは?」
「え?」
「ベースの車は何?」
「いや、それは……」
困った愛生は湊を見る。
湊は湊で困ったように苦笑するしかない。
「ベースの車はぁ……まだ見つかってません!」
まるで重大発表でもするかのように手を広げてみせる湊。
そんなことだろうと思っていた由夏はため息交じりに首を振る。
「なのに、イメージだけ用意するってわけわかんないけど」
「おっしゃる通りで……」
湊はぽりぽりと困ったように頭をかく。
「レースしたいって言ったのは湊だよね?」
「ん~、それは、そうだけどぉ……みんな同意したじゃん?」
「でも、その中で車用意するっていったのも湊だよね?」
「んん~……まあ、はい。なんとかなるかなと」
「それで1週間? 5月には予選前練習走行会だよ?」
「は……おっしゃる通りで……」
ひたすら申し訳なさそうに湊は左手で頭をくしゃくしゃとする。
別段、由夏とて虐めたくて言っているわけではないが、重要な意志と現状の確認だったし、なによりうっすらとみんなの本気を疑ってもいた。
「……なあ、トーシロのワシにはわからなんないけどさ、古町だって三津と同じくらい車は手に入りやすいんじゃ?」
愛生は自動車関係の仕事をしている――正しくはしていた親を持つ由夏なら或いはと思ったが、由夏は首を振る。
「スクラップ前のボディとスクラップ後の鉄くずに用があるならね」
その返事にピンと来ないのは愛生だけで湊はあ~、と何とも言えない声を出す。
「解体屋かぁ……」
「別にそれでも良いっていうなら何台か手配できるかもしれないけど、板金、結構かかるよ?」
今度はその言葉に湊がふるふると首を横に振る。
「お金はなぁ……」
しかし、まだ愛生には疑問がつきないと言うよりは次から次に新しい疑問が浮かんでくるようでいっそ首を傾げるばかりだ。
「でも、バンキン? って結局、するんだろ?」
「まあね。レースするならヨレ直しとボディ補強、オルペンでしょ」
こともなげに指を折りながら肯定する由夏に湊がうめく。
「うう~ん……」
「アテはあるんかいな?」
「ちゃんとした業者なら」
「高いよなあ……」
そこでパチンと手を打ったのは愛生。
何か名案でも思い付いたのかと二人は愛生を見るが、その期待ははかなくも裏切られる。
「アテで思い出した。結局、レースだって三人じゃできないんだろ?」
「そりゃね」
「……うがーっ! 前途多難じゃぁ!」
まさにお手上げといった風に湊が両腕を空に突き出す。
まだ、空は明るい。
照らす太陽からこもれる光明は三人を照り付けるだけで何も教えてはくれない。
「なーにが新自動車法だ! なーにがガソリン車の大量投棄じゃ! なーにが学生GT選手権じゃ!」
振り上げた腕は湊自身によって大きく振り下ろされる。
「私達には何の恩恵もないじゃん!」
「いや、単純にツテとかコネの話じゃない?」
「むしろ、学生のメカニックが見つかってだけ幸運って話まである」
反論できない正論に囲まれた湊はぐぬぬ、と声を漏らす。
そんな湊の視線が由夏の背中越しに何かとぶつかった。
「ん~……」
「どうしたの?」
急に何かを考え始めた湊に由夏は声をかける。
「……いや」
湊はそれにすぐには答えなかった。
たぶん、思いついたことを話しても由夏は賛同してくれないだろうから。
湊の視線の先にはパールホワイトのS14。
四輪にはあまり詳しくない湊にもあの車がスポーツカーなのは分かる。
「あの白の車さ……」
おずおずと切り出した湊の言葉にスッと由夏の眉が上がる。
「ダメ。あれは美鳥さんの車だから」
キッパリと否定する由夏に皆とはまあ、そうだろうと思う。
しかし、それを決めるのは由夏ではない、とも思った。
「ミトリさん?」
「ウチの常連さん。高い税金とガソリン代払ってる物好きな人」
「ふ~ん。じゃ、脈なしか」
愛生と由夏のやり取りから湊は色々なことを頭にメモする。
名前はミトリ。ガソリン車が好き。お金は持ってそう。常連ということはここに良く出入りする。
そして、由夏の口ぶり的に由夏はその人のことを悪く思っていない。
「……ま、なんとかしましょう」
「三津、それ前も言ってたぞ」
「まあまあ。私、ウソはつかないって」
由夏は湊のその様子からあまり良い予感はしなかったが、何も言わない。
学生GT選手権でやらなきゃいけないことがあるのは由夏も同じだった。
三人の悶々とした思いは交換したばかりの新品のオイルの匂いと混じってその場でグルグルと滞留した。




