第2話 たまき 1/2
僕が原野に腰下ろし思案し始めてから体感時間にして1時間ほど経過した。
とても考えた。どうやったら少しでも生存率が上がるかを。これほど考えたのは中学のとき初恋の女の子にラブレターを書いたとき以来である。結果はもちろん無事振られたのだが、今思うとラブレター出した話しが誰にも広まってなかったので黙っててくれたんだろな。やはりいい子だったなあの子。
で、具体的に何を長考していたかというと次の3点である。一つ目は「女神ララパイルが天界から助けを出してくれないか」ということで、これだけ僕に大迷惑をかけているのだから何らかのカスタマーサポートがあってしかるべきと思ったのだが1時間経っても天の声一つ聞こえてきやしねぇ。もし生きて再開する機会があれば訴えて勝ちたい。
二つ目は猫とのチャンポンが何か有利に働かないかということである。結論から言うと夜目が効くようになった。この世界は月が2つあるためか夜でも結構明るいが、それでも元の身体では物の形が何となく分かるぐらいだろう。今の身体だと地面に何が落ちてるかとか10m先の木の色なども分かる。これは生存に向けて有利な特徴である。これならば夜明けを待たず今から人里探索を始めた方が生存率が上がるだろう。
三つ目はどの方向に向かって進むかである。これが一番参った。なにせ進む方向を間違えれば人里にたどり着けず餓死や衰弱死が免れない。ヤツ(女神ララパイルのこと。もうヤツでいいよ……)の指の動きからロンダムという街の場所を推測できないか検討してみたがさすがに難しい! まさかこんなことになると思ってなかったので注意深く見てなかったのだ。
結局の所は草むらに落ちていた枯れ枝を立たせ、手を離して枝が倒れた方に進むことにした。リアルラックに自信がある方ではないが、もはや運に頼る他ない。嗚呼、これが他人事だったら「異世界転生したら何もない草むらに放置されたとか本当に草wwww」って煽れるのだが他ならぬ我が身であるのが恨めしい。そんなことを思いながら木の枝を立たせスッと手を離した。枝は僕から見て右の方に倒れた。運命の神は右に進めと言っているようだ。
僕は木の枝を拾い右へ歩き始めた。あまり考えたくないが獣、下手したら魔物に襲われるかもしれないので武器は必要だ。武器と呼ぶにはあまりに頼りなくあまりに心細いが。嗚呼、長い夜になりそうだ。
◆
枝が倒れた方向に歩きだしてから2時間ほど経ったと思う。まだ原野を木の枝で草をかきわけ草をかきわけ歩いている。鼻先から汗がこぼれ落ちる。道なき道を進んでいるので体力の消耗が激しいのだ。
(アカン、せめてこの草むらを脱しないと死神さんに追いつかれてまう……)
そんなことを考えていると視界が急に狭くなった。すわ何事かと思ったら月が2つとも文字通り雲隠れしていた。いくら夜目が効くとはいえ、光源がなければ物体を視覚することはできない。ちくしょう、やはり朝を待つべきだったか?
あとなぜか不明だが妙に自分の顔を舐めたくなってきている。なんだこの衝動は?? もちろん転生前はこんな衝動はなかった。困惑していると原因はポツポツと空から落ちてきた。
雨だ。月を覆い隠した雲は雨雲だったようだ。猫は雨が近づくと顔を舐める習性があるらしいが、先ほどの衝動はそれだったらしい。この習性今後は役に立ちそうだな、今後があればの話だが。実際問題、暗闇に加えて雨はやばい。身体が冷えればその分体力が減ってしまう…… 僕は困惑のあまり、目を閉じ両手で顔を手で覆った。
(何か…… 何か手はないか?)
思案していると目蓋に光を感じた。もしかしたら雲が晴れ月明かりが差したのか? と思ったがそうではない。なんと、光っているのは自分の手であった―――
手だけではない。腕も首周りも……全身の皮膚が虹色のマーブル模様になって輝き出していたのだ。
「〜〜〜〜〜〜ッ!??」
驚愕のあまり言葉も出ない。そして視界が急に低くなった。目線の位置が地面から20cmほどになったのだ。こうなると湧き上がってくる感情は困惑を通り越して恐怖である。やがて虹色の輝きが消えると自分が四つん這いになっていた。そして自分の手が黒い毛で覆われていた……。猛烈に嫌な予感がして手のひらを見てみると予感は的中。ぷにぷにとした可愛らしい肉球が出来ていた。どうやら身体が完全に猫化したらしい…… 「あの女神、こんなこと一言も言ってなかったよな?」と思い出すと怒りが沸々とこみ上げてきた。
「チクショウ、ララパイルてめぇ覚えてろよ!?」
と叫んだつもりだが実際には
「ニャオ、ンナンナーゴ!?」
と発音された。ご丁寧に声まで猫にしてくれたようだ。もう寝込んでしまいたい(猫だけに)
まあ実際寝込んだところで何の解決にもならないので。なぜ猫化したのか考えてみる。原因が分かれば元に戻れるかもしれない。
原因となるイベントとしてパッと浮かぶのは雨に濡れたことだ。
昔、水を被ると本人の意思とは関係なしに変身してしまう漫画を見たことがある。僕もそれと同じケースでは? もし原因がこれならお湯を被れば元に戻れるはずだ。人里に行ければお湯もあるだろう。声まで猫になった以上、お湯を調達するのも難儀しそうだがまずは人里発見を急ぐほかあるまい。
二足歩行できるはずもないので四つ足で歩き出す。感覚として赤ちゃんのハイハイに近い。まさかこんな形でバブるとは思わなかったなぁ……
◆
この世界に来てから空が暗闇から薄暗闇に変わるのを2度経験した。2日経ったということだろう。
まだ僕は草むらにいる。雨は五月雨めいて断続的に降り続いており、濡れながら草をかき分け歩いている。
正直大変やばい。降雨が口に入るので水分は取れているのだが、食料はさすがにお空から降ってこない。ひもじ過ぎたので覚悟を決めてエンカウントした野ネズミを狩ろうとしたが、彼らはとても速く僕の爪は空を切るばかりであった。野ネズミは疲労で息を切らした僕を口角を上げて見つめたのち、軽やかに去っていった。オノレあのげっ歯類、数少ない表情筋をフルに使いおって……!
仕方なしに蟻ん子や元の世界では見たことがない黄金に輝く謎の昆虫などを食べたがあまりカロリーにならなかった。ちなみに黄金の虫は甘くないカリン糖みたいなテイストだった。おいしくない。
あと、猫の身体で草むらを進むのはかなりしんどい。草の抵抗をもろに受けるし、地面も近いので身体は泥まみれだ。休憩こそ入れたがまだ睡眠はとっていなかったので脳が休みたがっているし、息は切れ、足はふらついている。「眠ったらもう起きれないのでは?」という恐怖はあるが、実際体力は限界だ。
(怖いけどあと10mだけ歩いたら寝よう……)
と思って草を掻き分けたそのとき、長かった…… とても長かった草むらを抜けた。
目の前には100mは続いているであろう柵が見える。人里だ。ついにたどり着いた……! 嬉しさで涙が出そうだ。
(……いかんいかん、まだ助かったわけじゃないぞ)
心を落ち着かせて柵沿いに歩き始める。里の中に入って人に会って救助を求めねば。外はまだ暗いしこの雨だ。人に会える可能性は意外と低いかもしれない。
重い足をなんとか動かして里の入り口を見つけ中に入った。家屋は5、6軒ほど見えるが人は見当たらない。
(もしかして廃村では?)
雨水に冷や汗が加わって身体が冷たくなってきた。間違いなく次の村を探すだけ気力・体力はない。もし廃村だったら「はい、それまでよ」だ。ダジャレにはなっているが洒落にはなっていない。生命の危機にフグリが縮こまるのを感じる。焦燥にかられ必死に目の前の家のドアを爪でガリガリする。嗚呼、人間形態だったらノックもできるしドアノブも回せるのに! ガリガリでは反応がないので大声を上げてみる。
「ンナーゴ! ニャーゴ!?」
(すみません!どなたかいませんか!?)
すると床元からパタパタと足音が聞こえた。良かった! 人がいる! 喜びの涙がちょちょ切れ、身体は思わず前のめりになる。相手の声が聞きたくてさらに声を上げる。するといきなりドアがバン!と開き、ドアに前のめりになっていた僕はドアに弾き飛ばされ後方の壁に叩きつけられた。
「ニャ――ッ!?」
「朝からうるさいなあもうっ…て、あ、跳ね飛ばしちゃった?」
ドアの向こうから少女が姿を現した。すぐに駆け寄りたいが頭がクラクラして身動きが取れない。脳震盪を起こしたようだ。漫画表現だとよく星が瞬くエフェクトが描かれるが、ホントにチカチカすんだよね脳震盪。
「ごめんなさい、大丈夫?」
少女は雨に濡れるのも構わず僕に駆け寄ってきてくれた。少女は年の頃15、6歳を思わせる顔立ちをしており、髪はふわりとした赤色のボブカット、垂れ形で優しげな目の真ん中で瑠璃紺色の瞳が輝いている。
身長は150cmほどだろうか。蜂蜜色のブラウスに紅葉色のスカートを合わせており、スカートの上には群青色の前掛けが巻かれている。バストサイズはCuteを超えてDeluxeはありそうだ。
「ニャーン、ナーン……!」
(大丈夫です、でも助けてください……!)
三十路のオジサンとしては少女の前では格好つけたいものだが、何せカラータイマーがピコンピコン鳴ってるような状態である。情けないがすがるような声しか出なかった。
「キミ、よく見たらずぶ濡れだし身体ガリガリじゃない? あー、弱ったなぁ…… 助けてあげたいけどウチ、猫ダメなんだよなぁ……」
ゾクリとすることを少女は言った。もしかしたら家族に猫アレルギーの人がいるのかもしれない。本来は他の家を訪ねるべきだが、他の家で受け入れられるとは限らない。ずるいようだが人が良さそうな彼女に頼るべきだろう。矛盾するようだが必死に弱々しい声を出して助けを願った。
「うーん、まだ他所は寝てるだろうし、この雨で外に出すのも気が引けるなぁ…… よし! この子を助けるのも善行だよね! キミ、ウチに上げてあげるから大人しくしててよね?」
思わず首を全力で縦に振ってしまう。
「キミ、私の言葉が分かるの?」
イカン、警戒されてしまった。ここで気味悪がれて家に入れてもらえなかったらまずい。外見に合わせて猫っぽいムーブをして人畜無害みをPRせねば。具体的には目を瞑って前足でこすることにした。
「ふふっ、変な猫」
と少女は微笑んだ。柔らかく朗らかで、会社から帰ってきたときこんな表情で迎えられたらと思ってしまう、そんな笑顔であった。
彼女は僕を前掛けで包み持ち上げると家の中に運んでくれた。
床の上に僕を降ろし、タオルでざっと雨を拭ったあと、少女は鍋で何かを茹ではじめた。目線が低いので見えなかったが、嗅覚が鋭敏になったのか何を茹でているかなんとなく当たりがついた。おそらく鶏を茹でている。
5分後「たぶんこれなら食べられるよね」と木皿に乗せて出してくれたのは、ほぐした鶏のささ身だ。2日ぶりのまともな食料に思わずがっつく。うまい、うますぎる。塩味すら振られていなかったが鶏肉自体が持つイノシン酸およびグルタミン酸を存分に感じた。仕合わせとはこういうことを言うのだろう。うまい……! 1分とかからずささ身を平らげてしまった。
「お腹いっぱいになったかな?」
彼女は膝を抱え込みながら僕を覗き込んだ。正直言うともっと食べたいのだが、命の恩人と言っても過言ではない彼女を困らせるのは気が引けたので朗らかに「ニャーン」と鳴いておく。きっと良いように解釈してくれるだろう。
「よしよし、じゃあ私と一緒にお風呂入ろうか。今沸かしてくるから待っててね」
お風呂。これはありがたい。泥まみれだし、雨で冷えた身体には湯浴みが一番である。言葉から察するに洗ってもらえそうだ。美少女に身体を洗ってもらえるなんてちょっとした風俗のような気もしてきた。なんだかテンション上がってきたなあ……!
しかし、湯浴みか。何か大事なことを忘れてる気もするが、これから待ち受ける展開に胸膨らんじゃって海馬に血が回らないな。
10分ほどニヤニヤしながら床で寝転んでいると、少女は「お風呂沸いたよー」とこちらへ戻ってきた。10分で沸くのは早いな。こちらの世界にもなかなか発展した文明があるのかもしれない。
それにしても他のご家族はどこにいるのだろう? 家の全体が見れているわけではないが、食器棚の様子を見ると3、4人ほどのご家庭に見える。
そんなことを考えていると僕は再び前掛けで包まれ風呂場に運ばれ降ろされた。
風呂釜は木製、風呂床は石でできており清潔感がある。さすがにシャワーはないようだが、我がアパートの小さすぎ過ぎてあぐらをかかないと入れない風呂よりか快適かもしれん。隣にはちゃんと脱衣場もあり、スルスルと服を脱ぐ音も聞こえ、やはりなかなかの文明が……って服を脱ぐ音??!
「うー、そんなに濡れてないつもりだったけど結構冷えたなあ…… 猫くんも一緒にあったまろうね」
そう言って少女は一糸まとわぬ姿で風呂場に入ってきた! まさかの背徳的展開に思わず顔をそむけてしまう。本当は猫的ムーブに徹して彼女の裸が視界に入ろうが意に介さずとすべきなのだが、脳は一般男性社会人のそれなので性的興奮と罪悪感が勝ってしまう。いやぁ、洗ってはもらえるとは思っていたが服を脱いで来るとは思ってなかった。これではちょっとした風俗ではなくて完全な風俗ではないか。お金を払うべきだろうか?
しかし参った。彼女はやせ衰えた猫を助けているつもりであって、実際はビア樽体型の中年男性を助けているとは思っていまい。バレたら事案だろうし何より命の恩人を羞恥させるのは気が引ける。湯を怖がったふりをして猫だけど脱兎のごとく逃げたほうが良いだろうか? いや、しかし実際的に少女と風呂に入りたいか、入りたくないかと言ったらやはり前者である。男の性ですよこれはもう。こんなロマンシングなシチュエーションこの先二度とないだろうし、このまま黙って要救護者的役得をですね……
「ちょっと熱いかもしれないけど我慢してね。はい、ざっぱーん!」
そう逡巡しているうちに湯をかけられた。熱い。だが心地良い。冷え切っていた身体が温まっていくのを感じる。あまりの気持ち良さに思考が停止してしまう…… すると背後からすっとんきょうな声が飛んできた。
「え、なにこれ! どういうことなの!?」
少女が何かに驚愕している。彼女が何に驚いているか僕もすぐに分かった。自分の身体が最初に雨に濡れた時のように虹色のマーブル模様に輝き始めていたのだ。
今になって先ほど何を忘れていたか思い出した。猫に変身したとき「水で猫になったのならば、お湯で人間に戻るであろう」という仮説を立てていたのだった。仮説はどうやら当たっていたようだがちっとも嬉しくねぇ! シチュエーションが最悪すぎる。風呂場から脱出し、なかったことにしようとしたが、時は既に遅かった。ものの10秒ほどで人間への変態は完了してしまったのだ……
僕と彼女の目線が合う。静寂。こういう時いきなりは言葉が出ないものだ。だが、彼女は状況を理解すると息を大きく吸い込んだ。
「キャ――――――――ッ!!」
「ギャ――――――――ッ!?」
自分も釣られて悲鳴を上げてしまう。いや、釣られている場合ではない。わざとではないと弁明すべきだ。いや、最初にまず服を着てもらうべきか? ちなみに自分は元着ていた大荒木システム㈱の作業服を着ている。魔法って便利だな、自然物理法則に縛られているとこうはいかない。いや、今はそんなことは今はどうでもよろしい! 何か言葉を発して彼女をなだめないと社会的に死ぬ!
「あ、あのですねお嬢さん。これには深いわけが……」
「助けてお兄ちゃん―――!!」
速攻で助けを呼ばれてしまった。100点満点の危機対応といえる。だがそれ故に説得している余裕はなくなった。お兄ちゃんとやらが来る前に逃げる他あるまい。クソッ、返す返すも風呂に入る前に逃げておくべきだった。
大事なエリアを隠し涙目になっている彼女に感謝と謝罪の合掌をして、風呂場から脱衣場に行くとそこには筋骨隆々の大男が修羅めいて立っていた。
その赤髪は怒髪天を突き、こめかみには血管が浮き上がり、耳先は赤く染まっていた。分かりやすく怒ってらっしゃる。あ、これ詰んだな。
「お兄ちゃん、その人が、その人が……!」
「てめぇ!妹になにしやがる!」
そう言ってお兄ちゃんと呼ばれた男は僕の首に巨木の枝のような腕を伸ばし締め上げた。まさに万力のような力だった。僕の身体は首を締められたまま宙に持ち上がられ、脳への酸素供給が刹那に絶たれる―――
「あのっ、せめっ… はなしを……っ」
決してわざとではない、不可抗力なんだと訴えたかったが、ヘモグロビンが枯渇した脳は機能を停止。視界は白く染まりそれは叶わなかった。