殺人幇助 終
高級ホテルのような室内に黒髪の女が一人、これも高価そうなソファに腰掛けて本を読み耽っていた。
部屋を照らすものは間接照明ひとつのみであるため薄暗く、読書をするには全く向いていない狀態なのだが、そんなことを気にした様子もなく女はページをめくっていく。
半分ほど読み進めた後、インターホンが場にそぐわない陽気な音を鳴らした。
女は本を置いて立ち上がり、音のした方へ歩くと、インターホンの操作のみで玄関の扉を解錠した。
訪ねてきたのはショートカットの女だった。
「やあ、よく来たね。まあ座ってくれ。何か飲み物を持ってこよう。珈琲と紅茶だったらどちらがいいかな?」
「前置きはいいです。一刻も早く答え合わせをしたい気分なんですよね」
柔和ではあるが本心を掴ませないような雰囲気を纏った黒髪の女に対して、ショートカットの女はその見た目に反して冷たい声音で言葉を紡いでいた。
「あなた、井崎羽咲でしょう」
「へえ」
黒髪の女は感心したように息を漏らした。
「続けて?」
促されるまま、ショートカットの女、四十宮は自分の考えを口に出す。
「まずあなたは、はじめ赫屋さんに接触した瞬間から不自然さの塊でした。路地裏で黒の豪奢なドレス。赫屋さんの事を本人よりも更に深く知っているとでも言いたげな物言い」
「まあ不自然なのはそうだろうね」
雰囲気は崩さないまま相槌を打つ。
「クロさん……とりあえずはクロさんと呼びますが……あなたがわざわざそんなドレスを着て赫屋さんに話しかけたのは、赫屋さんが相貌失認であると知っていたから……なにせあなたが発症させたんですからね。赫屋さんのその状態を利用したんです。美しい黒いドレスは、相貌失認となり、顔以外の周辺情報からでしか個人を判別することができなくなった赫屋さんからの認識を、”突然現れたドレスの女”としての固有のものにするため。あなたを含め、過去に接触した人物の誰とも接触時のあなたを結び付けさせないために、そんなに特徴的な格好をしていったんです」
「ふむ」
遮るように黒髪の、クロと呼ばれている女が喉を鳴らす。
「実に面白いお話だ。私としてもそのお話に相槌を入れたいんだが、私は心配性なのでね。保険をかけさせてもらう」
「保険?」
クロは口角を上げながら話を続ける。
「もし真実を外部に漏らせば、君は……不思議な力で死ぬ事になる。この外部というのは、赫屋君も含めてだ」
「不思議な力、ですか」
「夢のない連中が検死したら、体の中から鉛玉が出てくるかもしれないがね」
くくっ、と、クロの引き笑いのような声が室内で少し反響した。
「随分と雑な脅しですね。効力があるとでも?」
「あるだろうさ。今までのことを鑑みれば、私はそれを実行するだけの気概も道具も持ち合わせていると、君はそう考えているだろう」
「……他人からの評価を理解している人間って、びっくりするくらい可愛くないですよね」
そんな脅しは効かないとばかりに振舞っていた四十宮だったが、内心ではそれが虚言ではないことを理解していたらしい。
「褒め言葉だと受け取っておくよ」
「まあ、脅されるまでもなく、元より誰に話すつもりもありません。安心して茶々を入れていいですよ」
四十宮は苦虫を噛み潰したような顔でそう茶化した。
「私がドレスを着ていった理由は正解だ」
微笑を浮かべながら言ってのけるクロに、四十宮の表情が面食らったとでもいうように動いた。
「あっさり白状してくれますね」
「私が井崎だ、という点についてはノーコメント。続けてくれ」
「……あなたが赫屋さんについて、彼の状況について、やたらと知っている風だったのは、あなたが彼を騙した張本人だったから。なんなら彼が今後のことについて相談した相手も変装したあなただったんじゃないですか?法に則って解決することはできないと、彼はそう言われたそうですが、しかるべきところで相談して本当にそんなこと言われますかね?」
そこまで聞いて、クロは感心したように息を吐く。
「鋭いね。というか、随分と詳しくその時の彼について知っているようけど、彼が直接話してくれたのかい?」
「ええ。ペラペラと、聞いてもいないことまで喋り倒してくれましたからね。どうやら私は彼に惚れられたみたいです」
「そこはあながち冗談にもならないかもね」
くくっ、と、またクロの特徴的な笑い声が響く。
「まあそんなことはどうでもいいんです。あなたの話をしましょう。あなたが赫屋さんに殺させた女は、どう考えても井崎ではありません。言ってはなんですけど、彼女……あまり整った顔立ちをしていませんでしたから。赫屋さんの話と一致しません。赫屋さんの趣味が滅茶苦茶に悪いという可能性もなくはないですけど」
「ピアスについては?赫屋君の記憶と一致していたはずだよ。私の耳にはこの通り、ピアス穴なんてないしね」
「あなたが隠しているだけでしょう。テープとファンデとか、そんなもので簡単に誤魔化せてしまいますからね。触れば簡単にわかりますよ、試します?」
「いや、それには及ばない、ピアス穴があることは認めよう。尤も左右に三つずつだが……まあ君にはわかってしまうよね、ピアス穴とか美醜とか、そういうところは。赫屋君はもうわからなくなっているだろうけど」
「つまり、あなたは赫屋さんを口八丁で二度利用したんです。一度目で金を騙し取り、二度目は暗殺、及び死体処理を押し付けた。あの木箱の中身、人間ですよね? なぜそれが、確かに木箱を運んだはずの赫屋さんということになっているのかわかりませんが、木箱には男の死体が入っていたんでしょう。遺体の二人が恋人だとされたのは、おそらく、折り重なるようにして死んでいたから。木箱の上に女の死体を置いたんですからね。井崎を殺したかっただけだったはずの赫屋さんは、余計な犯罪の片棒を担がされ、あまつさえ井崎を殺すことさえできていなかったわけです。踏んだり蹴ったりですね、本人はやりきったつもりで満足しているようですけど。まあ彼の実益から見ても、死人には借金を取り立てることはできませんし、幸せであるのは間違いなさそうです」
そこまで聞くと、クロはぱちぱちとわざとらしく手を叩いた。
「いやはや、御名答。半分はね」
「……どこが間違っているんです?」
「だって私は井崎じゃないから」
「この後に及んで……子供の駄々にしか聞こえませんよ?」
四十宮の表情から見るに、怒る、と言うより呆れているようだった。
「随分と自分の推理に自信があるようだが、私は決して井崎なんかじゃないんだよ。赫屋君が殺した女は正真正銘、詐欺師井崎だ」
「……だとすれば、私の間違いは半分では済まない気がするのですが」
「いいや、半分程度だ。なんなら大筋は殆ど間違っていないよ。よくそこまで考えられたと感心しているんだ、私は。御褒美に、真実を教えてあげるよ」
「……鵜呑みにはしませんよ」
「結構。きっちり咀嚼して飲み込んでくれたまえ。まず君が一番突っかかってくる部分から説明してあげると、私は井崎ではないが、赫屋君を騙したのは私なんだよ」
ややもすれば詭弁とも取れる言い分だった。
「君達が殺したのは間違いなく井崎という詐欺師だ。しかしながら、赫屋君はそもそも井崎に騙されたわけではなく、井崎を騙る私に騙されていた、というわけだ。騙した人物と殺した相手が別人であるというのは君の言う通り。前提となる部分が間違っていたというだけだ」
「……なぜそんなことを?」
「私はね、義賊であるつもりなんだ。十割自己満足であることを理解した上で、法で裁かれない悪に制裁を加えている。井崎はうまいこと法の目を搔い潜ってはいたが、私の倫理観からみて、その罪の重さは相当なものだ。だから私が裁いた。赫屋君もそう、過去に罪を犯しながら裁かれずにいた────井崎ほど重いものでもなかったが。だから私は井崎を騙って赫屋君を裁いて、井崎を騙って赫屋くんに動機を作った」
クロは立ち上がると、ひらひらとドレスの袖を振りながら、演説でもするかのように語り続けた。
「そして君の推理、根っこのところでズレているんだ。相貌失認を引き起こしたのが私だって? 確かにそういう薬があると君達に説明したけど────そんな都合のいいもの、存在するわけがないだろ? 常識で考えなよ」
馬鹿にしたような笑い声を交えながらの言葉だった。
「赫屋さんが相貌失認であるのは間違いなさそうでしたよ?」
「そうだよ」
「はあ?」
何を言っているのかと、即時にその言葉の意味を消化できず、四十宮は間抜けな声を上げた。
「……どうやら君は思ったより、いや思った通り、そこまで頭が回る方でもないみたいだね。その推理、どこかの誰かの入れ知恵だろう」
図星であるのか、四十宮は軽く下唇を噛むのみで、反論しようという気はなさそうだった。
「まあ別に、わからなかったところで気に病むことでもないさ。単純な話なんだ。私は何もしていないが赫屋君は相貌失認になった、それだけのことだ」
クロは机の引き出しから伊達眼鏡を取り出すと、それを掛け、仰々しい振る舞いで演説のような語りを続ける。
「相貌失認という疾患は後天的には主に脳への物理的なダメージによって引き起こされる。赫屋君はつい最近、交通事故に遭っているんだ────と言っても、歩いている時に自転車に衝突されただけではあるんだが、その時に転び、アスファルトに思い切り頭を打ちつけている。前後の記憶も少し飛んだようだったが、相貌失認がその時に引き起こされたことが重要だ。その様子を見ていた私は揶揄うくらいのつもりで声をかけたんだけど、知らない人間に対するような態度を取られてしまってね……その時に彼が相貌失認となった可能性に思い当たり、同時に今回の筋書きを思いついたというわけだ。彼自身が事故のダメージをメンタルからくる不調だと勘違いしていたのは面白いところかな」
くくっ、というクロの笑い声が響く度、四十宮は不機嫌そうに顔を顰めていた。
「井崎本人はともかく、死亡したうちの片方が赫屋君だとされたのは、彼の歯型があったからだ。私の知人が営む歯科医にあった『赫屋茂吉の歯型』と死体の歯型が一致したら、誰だってその死体が赫屋君のものだと考えるだろう」
「……いや、一致するわけがなくないですか? 死体が赫屋さんじゃないんですから」
「そうだね。だから歯型の方をすり替えてもらったんだ。『赫屋茂吉の歯型』とされていたものはそもそも見知らぬ誰か、もとい、あの死体の人物の歯型だったというわけだ」
「……じゃあ結局あれ、誰の死体だったんですか?」
「今回のことと直接は関係ないのでね、企業秘密とさせていただこう」
「企業?」
「む、言葉の綾だ」
このやり取りの中で初めてクロの表情が変わり、少々目が見開かれたが、すぐにもとのような微笑を浮かべた。
「何はともあれ、こうして生きた死人である赫屋茂吉が誕生したわけだ……真実を知って私から逃れられなくなったシソミヤマイという駒もいる。これからなかなか楽しくなってきそうだよ」
「別に逃げられない、という気はしないんですが」
「いいや、君は私の言葉に従うことになるよ……君を縛るものはいくらでも用意できる」
「へえー」
四十宮は納得の意思を微塵も感じ取れない相槌を打った。
「清々しいくらいに信じていないね。まあ、今はそれでもいいさ。用ができたら呼び立てるよ、秘密を共有した親友君」
「私、友情ってものが何より嫌いなんですよね」
「それは僥倖。そういうのはしがらみに縛られるタイプの人間の台詞だ」
その言葉に四十宮はまた顔を顰める。
「はあ……ああ、最後に一つ。あの薬、結局どういうものだったんですか? 分析してもらうにも私の手元には残ってなくて」
「ああ、あれは亜鉛のサプリメントだよ」
その事実を聞かされて、四十宮は、鳩が豆鉄砲を食ったような、しかし呆けたようでもある表情を作った。
「……あー、なるほど、偽薬、ってやつですか? まんまと騙されてしまったみたいですね」
「私が直接誘導した赫屋君はともかく、君にまで効果を及ぼすというのは想像していなかったけどね。まあ、赫屋君が余程大袈裟に振舞っていたんだろう。あ、ちなみにだが、一応亜鉛には抗鬱効果もあるそうだよ────」
まだ言葉を続けそうな身振りをしていたクロだったが、それはインターホンの音に遮られた。
「来客だね」
インターホンの方まで歩き、先程のように解錠する。
玄関のほうから歩いてきた影は、今度は若い男のものだった。
「ほら、頼まれた水槽と熱帯魚だ。何に使うのか知らんが」
「家で飼うつもりだよ」
「普通すぎる」
男は意表を突かれたような声を出す。
「赫屋さん、しれっとしてますけど……あなたこの先どうするつもりなんですか?死んだことになっているのなら、まともな働き口もないでしょうし」
「ああ、聞いてなかったのか。クロの元で働くことになったぞ」
「……あー」
「今後ともよろしく、お二方」
二人の間で男、赫屋の今後についての認識が共有されたのを見て、クロはにこやかに挨拶をしたが、四十宮の目は訝しげなものだった。
「よろしくって……何をしていくつもりなんですか」
「言っただろう? 私は義賊であるつもりだとね」
クロは大手を振って二人の方へと向き直り、少しだけその目を細めてから口を開いた。
「法で裁かれない悪を潰して回るのさ」