殺人幇助 ④
準備が整ったからそちらの方で協力者を用意して連れて来い、といった旨のメッセージがクロから届いた。
この件の協力者になってくれそうな人間。今の俺の持つ人間関係では、思い当たる人物はたった一人しかいない。
真依にクロから指定された場所と時間を伝えた。
連絡から1日後。
伝えられた場所、少々変わった位置にある公園に赴いた。恐ろしいほど人気がない。都内にこのような場所が存在していることを初めて知り、少々の不気味さを感じた。ベンチには既にクロが初めて会った時とほとんど同じ格好で腰掛けていた。異なるのは日傘を差しているところ。
少し俯いており、仮眠を取っているようにも見えたのだが、俺が静かに数歩ほどの距離まで近づくと顔を上げてこちらを見据えてきた。
「やあ赫屋君、集合時間十分前の到着だね。君はなかなか野生的な見た目をしているが、そのあたりは随分と律儀らしい」
「……野生的?馬鹿にしてるか?」
「半分くらいは馬鹿にしているね」
「今から警察に行ってお前の計画を暴露してくる。どうせ俺にこれ以上失うものなんてないからな」
「思ってもいないことを口にするものじゃないよ。まともに取り合ってもらえないだろうということもわかっているだろう」
以前会った時よりも俺の精神状態は落ち着いているはずだが、この女の余裕ぶった笑みはやはり癇に障る。
「さて、協力者は用意できたのかな? まあいないならいないでどうにでもなるんだが、君が用意してくれれば綺麗に収まるんだ」
「直に来るはずだ……あのふてぶてしい性格を見越して10分ほど集合時刻をずらして伝えたからな」
「ふむ?ふてぶてしいというのは少々懸念すべき要素だが……まあ図々しい考えが浮かんでこなくなるくらいに私がコントロールしてしまおう。そのあたりには自信があるんだ、君に言うことでもないだろうが」
「お前はコントロールされているんだぞ、と言われている気分だ」
「実際そうだからね」
少々眉間に力が入るが、あまり表に出さないようにしてクロの言葉をやり過ごす。
こいつに何かするにしても第一目的を達成した後だ。
「ごめなさい、遅れちゃいましたか?」
言葉とは裏腹に悪気の感じられない、クロより少し高い声が響く。
「時間通りだ、ご苦労」
「えっ? 遅れてますよね? あっ、もしかして私のこと騙しました!? 酷くないですか!?」
キョトンとした顔で携帯を確認した後に喚き出すが、これも憤りを感じているような様子ではない。俺と同様、先日とは異なり余裕があるようだ。
「女か」
意外なものでも見たような表情でクロが呟く。
「不都合だったか?」
「いや、構わない。昨日の今日で君が女を連れて来るとは思わなかっただけだよ」
薬を飲んでからというもの、俺の感情はある程度落ち着いており、既にそのあたりに関して感じることはなくなっていた。最早協力者に女を選ばない理由にはならない。
それに、俺としても多少は考えがあってのことだ。
「こいつはお前に渡された薬を飲んでいる。都合がいいこと、あるんじゃないのか」
俺はこいつに渡されたものが単なる鎮静剤の類だとは考えていない。洗脳を補助するような効果があったとしても不思議ではない。
「薬? 君に渡した薬か? この子にも効いたのか?」
「は? ああ、確かに効いていたようだったが……」
妙な食いつき方に少々驚きながら答える。
「怖いくらいに効き目バッチリでしたよ」
真依が会話に割って入ってきて肯定する。
「ふむ……そうか……くくっ」
クロは真依のほうを見ながらわざとらしい笑い声を漏らした。
やはり何かこいつにとって都合のいい要素がある、ということだろう。
「まあいい、赫屋君、この子にはどこまで話しているのかな?」
「ほぼ何も」
「正気かい?」
「お前がなんとかしてくれるんだろう」
「限度はある……よくそれで協力者だなどと言って連れて来られたね。君のほうが余程ふてぶてしいだろうよ」
「大抵の事なら協力しますよ、私」
「その大抵に当てはまらない可能性が高いからこうして揉めているわけなんだが────」
「窃盗、強盗、密輸、詐欺、恐喝、麻薬取引、強姦、殺人……そのくらいのことになら協力する覚悟で来てますよ」
底の見えない瞳を湛えた微笑を浮かべ、食い気味に主張する真依の言葉に、クロは呆気にとられたような顔をしている。
先程俺が何も話していないと言ったのは少々盛った内容で、実際には『バレると極刑になるような事』だという程度には伝えていた。
尤も説得、もしくは洗脳をクロにほとんど任せてしまおうと考えていたことは事実で、真依がそこまでの覚悟でもってこの場に現れたというのは俺としても予想外だった。
犯罪者予備軍と接触するという事だけでも相当のリスクを孕んだ行為であるはずだ。何が真依を動かしているのだろう。
可能性としては、俺への恋慕、だろうか。あり得る。十分あり得るな。
「赫屋君、何か変なことを考えていないかい?随分と気持ち悪い表情だが」
「なんでもないぞ」
「……さて、君の名前は?」
「四十宮真依です」
「シソミヤ君、ね。私のことはクロと呼んでくれ」
名前の確認を終えると、クロは手を仰々しく振りながら翻り、俺と真依に同時に話しかけるような位置に動く。
「さて、それじゃあ本題だ。私達の目的は復讐だ。尤も、私と四十宮君からすれば復讐代行だが、まあとにかく、重要なのは赫屋君を騙したその女に死をもって制裁を加えてやろうとしているという部分だ。女の名は井崎羽咲。まだ若いが、相当数の仕事をこなしている詐欺師だ」
「詐欺師、なんですか? 詐欺って、殺してやろうって考えるにはちょっと軽い罪にも思えますけど」
真依が口を挟むが、純粋に疑問点を述べただけであるようで、その声音から否定の色は感じられない。
「その考えは当然のものだ。この国の法を考えても、一般的なモラルから考えても、詐欺程度で殺されるなんてことは有り得ない。有り得ない、が、今回の趣旨は復讐だ。被害者が殺意を抱いたならそれで十分なんだ。元々法やモラルになんて則るつもりはない。罪の重さなんて関係ない、濁った感情を解決するための殺害だという話だ」
「……なるほど」
「殺害を実行するのは赫屋君だから、君はバレた場合のペナルティ、あるいは制裁を心配する必要はない。まあ、私……友達に頼まれて、何をさせられているかもわからないままに手伝わされていた、とでも言えばいいだろう。そもそも赫屋君以外の存在、私と君が殺人に加担していたことは明るみに出ないようにするつもりだがね」
「おい、俺は逮捕されるみたいな言い方だが」
俺の罪は隠匿される、という話だったはずだ。復讐はするが、お前を殺して俺も死ぬ、といったような心積もりでもない。
「逮捕されることはないよ。私の指示に従えばね……。そもそもこの国は一般的に考えられているよりも殺人事件を殺人事件として認識することに長けていないんだ。これについては話せば長くなるから放っておくが、ところで、井崎の顔、ちゃんと思い出せるかい?」
「ああ……あ?」
おかしい。
記憶に靄がかかったように、井崎の顔をはっきりと思い出すことができない。
井崎との会話ははっきり覚えている。その時々で着ていた服も、ピアスのデザインまではっきりと想い出せる。物覚えはいい方だ。
しかしながら、その顔だけが、どうしても思い出せないのだ。
自分の記憶を曇りガラス越しに見ているようだった。
「は?いや、おかしいだろ、なんで」
「……井崎と一緒に食事をした事はあるかい?」
「あ、ああ、何度かあるが」
「君は相貌失認、という病気を知っているかな?」
ソウボウシツニン。聞き覚えのない言葉だ。
「……知らない。今関係あるのか、それ」
「ああ。今君が陥っている感覚は、それにより引き起こされたものなのだから」
「どういうことだ」
問い質すような声をかけると、目を伏せ、如何にも悲しく思っていますと表現したがっているような、そんな表情を作りながら俺にその病気について説明しだした。
「相貌失認。顔の個々のパーツは認識できるが、それを一つの顔として認識することが出来ない。表情も認識できず、結果顔だけを見ても誰だかわからないという、脳障害の一種だ」
「待て。俺は今までちゃんと他人の顔を覚えられていたし、表情は今も認識できている。その症状には当てはまらない」
「表情は読めているのかい? なるほどね。まあ今まで大丈夫だったという言葉は反駁たり得ない。この障害は後天的に発症する可能性があり……そしてこれは一般には知られていないことなんだが、ある数種の物質を一定量以上摂取させることで脳の特定部位にダメージを与え、一時的にだが人為的にその症状を引き起こすことが可能になっている」
「そんな馬鹿なことが」
「あるんだよ。井崎が君にそんな真似をしたのは、まあ彼女なりのリスクマネジメントというところだろう。相手の顔がわからないのに復讐なんてできるわけがないからね。裏の世界に生きる人間として、人為的に相貌失認を引き起こす物質とその配合を知っていてもおかしくはない」
そんなことが可能であるというのは眉唾だが、それ以外は理に適った話ではある。
そしてその眉唾な部分に関しては、現に俺の身に起こっている異常が真実だと告げている。
「俺は、あの女を殺せないのか?」
「私の助けがなければ難しかっただろうね」
クロは得意げな顔で微笑んだ。
「顔写真は手元にあり、井崎の家も調べがついている。私の計画に従うだけで、君は井崎を殺すことができるよ」
「……そこまで用意できてるなら、なんで確認したんだ」
「そう、目的は確認だ。君が流行りの毒を盛られているのかどうかのね。君の認識が正常なら顔写真は要らないだろう。」
「それはそうだが……」
どうにも引っかかる。この感覚には覚えがある。井崎に対しても抱いていたものだ。こいつは俺のことを騙している。俺の直感が、俺にそう告げているのだ。
心当たりだってある。この現象を引き起こしたのが井崎ではなくこいつだとする根拠。
薬。こいつに渡されたあの薬だ。あの薬にそれらの物質とやらが含まれていて、俺の脳を壊した。十分辻褄は合う。
「お前、あの薬……」
「赫屋さんの相貌失認を引き起こしたのはその薬じゃないと思いますよ。私普通に顔わかりますし。六錠も薬を渡しておいて、その中の一つにだけ毒を混ぜるなんてのは、毒を盛りたいにしてはちょっと不確実で、そんなことする理由はどこにもなさそうですよ?」
言い切らないうちに、似たような考えが浮かんだらしい真依から諭すような言葉を掛けられる。
同じ薬を飲んだはずの真依に何も起きていない。ロシアンルーレットみたいな真似をする理由もない。
もっともな話だった。
「いや、そうだな、すまなかった」
「構わないよ。なんなら、もっと周りを疑うといい。君は簡単にものを信じすぎるようだからね」
余裕綽々といった様子で謝罪に返すクロ。疑ったことで機嫌を損ねたりだとかはしていないようだ。尤も、こいつが機嫌を損ねるところなど想像もできないのだが。
「さて、具体的な話をするよ。決行は明日。場所はここ」
言いながらクロは地図を手渡してくる。
「明日?今までゆっくりしてた割に随分と急だな」
「準備が終わった、という事だ。シソミヤ君には赫屋君に同行して荷物を運んでもらう。それだけだ。少々重いものになるがね。君たちにしてもらう事は大きく二つ。今までの話通りの殺人と、そして────放火だ」