殺人幇助 ③
この薬の合法性などについては俺にも分からない。どう答えたものだろうか。
馬鹿正直に経緯を話すのは望ましくはない。
「……抗鬱剤だよ。君も同じような悩みを抱えているのであれば、処方してもらえるだろう」
「合法に処方される抗鬱剤にそんな即効性があるわけないじゃないですか。適当なこと言って誤魔化そうとしないでくださいよ」
見透かされている。
笑みを深め、さらに言葉を続ける。
「後ろ暗い事情のある代物でしょ? それ」
腰を屈め、こちらを見上げるようにして、得意気な表情でこの薬の出所について指摘してくる。
「……ああ、クソ、なんなんだ。ここ最近、女絡みでロクなことがない」
井崎、クロ、この女。
クソ女フルコースだ。
揃って見た目だけはいいのがせめてもの救いだろうか。
いや、見た目がいいばかりに俺が巻き込まれることになっているのだが。
「ロクでもない女ですいませんね。私はただ、その薬に興味があるだけなんです。それさえ教えてもらえれば、普通の女の子に早変わりですよ」
「大抵そんなことしなくても普通なんだよ」
「人間誰しも欲望と共に動いているものです。むしろ私みたいなのがグローバルスタンダードなんですよ」
こんなのが世界中に蔓延っていたら今頃女性の立場はもっと違うものになっていたことだろう。
「お前、名前は」
「真依です。その薬は?」
「貰い物だ。俺も詳しくは知らない。あと五錠ある」
クロから受け取った時点で六錠。
先ほど俺が一つ飲んで五錠。
もうひとつ飲んでしまいたい気分だった。
「ひとつ、いただいてもいいですかね? 平気そうに振舞ってはいますけど、もう限界なんですよ」
顔は赤く、目に寂寥と狂気の色を滲ませながらこちらに訴えかけてくる。
強かで狡猾な面ばかり印象的に映っていたが、こいつ────真依も真依で、相当に切羽詰まっているようだ。
少し考え、条件を提示する。
「……二錠やる。代わりに、これのことは絶対に漏らすな」
「わかりました。はやく、それを」
急かされるままに袋から錠剤を二つ取り出し手渡そうとすると、ひったくられるようにして真依の手に渡る。
「一度に二錠服用するんですか?」
「わからない。俺が飲んだのは一錠だ」
少しだけ訝しげな目で少しこちらを見つめると、意を決したようにその薬を一粒飲み下した。
見る見るうちに真依の顔色が健康的なものへと変化していく。
やはり尋常の代物ではない。
「……気分はどうだ?」
「……ええ、最低です、お陰様で。大分落ち着きました」
最低だ、というのは自分の状況を冷静に認識しての発言だろうか。
「本当に凄い効き目ですね、これ。副作用が怖いところです」
「今のところは何もなさそうだがな。二錠目は何かあるかもな」
「口調、ちょっとぶっきらぼうじゃないですか? さっきはあんなに丁寧だったのに」
「なんであのやり取りの後でそのままの態度で喋ると思えるんだ。当然の帰結だろうが」
「それもそうですね。あー、落ち着いたらお腹空いちゃいました。ご飯にしましょう、ご飯。奢ってくれるんですよね?」
その約束生きてたのかよ、と思いつつ、腹が減っているのは俺も変わらないので、あまりそのあたりは追求しないことにした。
実際のところ、美味いオムレツとやらが結構気になっている。
「早く案内しろ」
「本当に愛想がなくなりましたね……まあいいでしょう、案内してあげます。ついてきてください」
この期に及んで愛想を期待するあたり、真依は狡猾で強かであることに加えて、相当に図太いようだった。
茶色く長いブーツを履き、少女のような足取りでコンクリートを踏む真依。
実際の歳のほどは20前後かと思われるが、わざとやっているのか、その動作の一々は小学生のようであった。
それが実際に魅力的に見えるので、この振る舞いに努力があるのだとしたら、それは実っていると言っていいだろう。
無論、多少の痛々しさも感じる。
少しして、それらしき店に辿り着いた。
いかにも大学生が好みそうな、小洒落た外観をしている。
「はい、ここでーす」
言うが早いか自動ドアを潜り、適当な席に座り込む真依。俺もそれに続く。
屋内もまた洒落たクラシックな雰囲気で、真依では不釣り合いに思えるほどだった。椅子や机はしっかりした木製のもの。照明は淡い。
執拗に奢らせようとしてくるあたりも鑑みると、実際に不釣り合いなのかもしれない。
真依はメニューも開かずに店員を呼びつける。
執事風の店員がこちらへ歩いてくる。なかなか雰囲気のある人物だ。何某かの古武術を心得ていると言われても驚かないだろう。
「ご注文は」
「例のオムレツとー、あとクリームソーダで」
今時珍しく、老紳士は木板と紙で注文を書き留めるようだ。
「そちらの方は?」
「あー、同じので」
「クリームソーダは食後と食前、どちらに?」
「食前で」
「俺も食前で」
「かしこまりました。少ししたら別の者が持って参りますので」
老紳士が去ってすぐ、真依が胡乱げな目で話しかけてくる。
「……クリームソーダとか飲むんですね」
「まあ、嫌いじゃない」
「クソほど似合ってませんよ」
「一周回って似合っているはずだ。俺は何をしても様になる」
「普通におかしいですからね……そうだ、あなた、名前はなんて言うんですか? どうでもよかったので聞いてませんでした」
俺を罵倒する言葉が一気に増えている。
これがこいつの普段の状態なのだろうか。
「……赫屋だ」
「下は?」
「いや……」
「下の名前は、と聞いているんですけど」
「……茂吉」
「は?」
「茂吉だよ。赫屋茂吉だ。ああ、これだから言いたくなかったんだよ……」
「いや、くっ、大丈夫です、気にすることはありませんよ。現代のミームと照らし合わせたら100年前の農民みたいな古臭くてクソダサい名前ですけど、親からもらった名前ですからね。大切にするべきです。クソダサいですけど。そのナリで茂吉ですか……くくっ」
堪え切れないのか、隠す気がないのか、言葉の節々から笑いが漏れ出ている。
「……まああんまり言うのも可哀想ですし、私のモラルも疑われかねません。別の話をしましょう。あの薬、誰から貰ったんですか? ここでしていい話なのか知りませんけど」
「……コクシチョウ、って聞いたことあるか?」
「地名ですか?町?」
「いや、恐らくは、人物か組織を指す名前だ。そう自称するやつから薬を貰った」
井崎殺害に関する話は当然伏せて、クロの事を伝える。
クロは自分の事をクロだと称する前、確かにコクシチョウという言葉を吐いていた。
詳細は不明だが、コクシチョウという言葉からクロの事を想像できる人間が一定数存在するとみていいだろう。
「チョウは鳥か蝶々、コクシのほうは黒い翅か、或いは黒死、告死あたりでしょうか。後者どちらかだとするとなかなか不謹慎なネーミングですけど、この薬を渡してきた人物だと考えれば割としっくり来ますね。ちょっと検索してみましょうか」
そう言うと携帯を取り出し、その上に指を這わせ出した。
「引っかかるのか?」
「まあ待ってください……うーん……それらしいものは出てきませんね。ダメ元でしたし当然と言えば当然ですけど。まあぴったりの伝手がないでもないので、今度ちょっと頼んでみます。あ、連絡先交換しときましょう」
脈絡もなく連絡先を求めてくるのは意外な行動だと感じた。
極論薬さえ手に入れば俺のことなどどうでもいいのだと考えていたのだが。
「心開き過ぎじゃないか?」
「赫屋さん風に言えば、当然の帰結、です」
スマートフォンを用いた連絡先の交換を終えると、若い男の店員がこちらへ飲み物を運んできているところだった。
「クリームソーダです」
「どうも」
「それで、さっきの続きですけど、どう渡されたんですか? 薬に関する説明は?」
アイスを口に運びながら会話を続ける。
「特になかったな。俺を助けてくれる薬だ、とだけ言って、袋に六錠入った状態で手渡し。緊張した時に使えばそれが解れるとか、その程度の使用例も言ってはくれたが」
「よく服用する気になれましたね」
「まあ正気じゃなかったしな」
「そのコクシチョウって人の特徴、教えてもらえませんか?」
「聞いてどうする?」
「調べるんですよ。法的にどうこうするつもりはありませんから、そこは安心してください」
ここまで話しておいてなんだが、クロについて話すことは、そのまま俺達の計画が明るみに出るリスクに繋がる。
しかし、何故だか、この女が計画を知ってそれを止めようとするとは思えなかった。
根拠もなしにリスクが発生する可能性を切り捨てる。
これも俺の悪い癖だろうか。
そこまで自覚していても、話すのをやめようとは考えられなかった。
「……歳は十代後半から二十代前半。身長は、160ないくらいだったかな。整った顔……切れ長の瞳、長い黒髪、白すぎる肌が特徴的だった。あとは、身に纏っていた派手な青と黒のドレスか。露出はほとんどなかったが」
「出会った場所は?」
「会ったのは今までに一度だけ、新宿の裏路地でだ」
「街中でドレスですか。成る程ね……」
それだけ聞くと携帯を取り出し、すいすいと指を滑らせ始めた。
「何かわかったのか?」
「SNSで検索かけてるんですよ。イベントもないのにそんな美人が黒いドレス着て街中を歩いてたら目立って仕方がないでしょう。絶対に誰かしらの目に留まっているはずです」
「オムレツとスープになります。ご注文は以上ですね?」
会話をしているうちに、先程の店員が注文した料理を運んできていた。
「ええ」
「お会計の際にまたお声掛けください」
かなり楽しみにしていたはずのオムレツが目の前にあるにもかかわらず、真依は携帯から目を離す様子がない。
「おい、来たぞ」
「ん? ああ、そうですね、いただきましょう」
片手で携帯を操作しながら、料理にほとんど目を向けることなく器用にそれを口に運ぶ。
「おい、飯食う時くらいスマホいじるのをやめろ」
「赫屋さん、お父さんみたいな事を言いますね? まあ私は普段からこんな感じなので、観念してください」
「奢り甲斐のない奴だ……もう少し美味しそうに食べてくれないか」
「美味しく感じてはいますよ。それ以上は諦めてくださーい」
舌打ちを一つして、真依から視線を切り、それをオムレツへと向ける。
どう作っているのか部分的に赤みがかっており、添えられた野菜と織り成す彩りが食欲を唆る。
俺が手を動かすとオムレツは液体であるかのようにスプーンの上に乗った。そのまま口に運ぶと、芳醇な香りと溶けるような食感が口の中を幸せで満たした。
「ないです」
至福の時間に水を差す言葉が掛かる。
「……何がだ」
「コクシチョウの事を指す投稿がです。一件もないんですよ」
「……別におかしい事じゃないんじゃないか?」
「おかしいことなんですよ。このご時世に、そんな人がいて、それに関する反応がネットから見つからないなんてあり得ないんです」
「そうなのか?」
「そうなんです。赫屋さん、実はおじいちゃんですか?」
「まだ20代だが」
「ならこの事態の異常性を認識してください。路地を抜けるまでに着替えられそうな場所だとかは?」
「屋内への扉がいくつかあったから、なくはないと思うが……着替えを持っている様子はなかったな。まあ目撃情報が無い事が不自然だと言うなら、予め近くに着替えを用意しておいたんだろう」
「そこまでしてあなたにドレス姿で接触した意味は?」
「……さあ? 何考えてるかわからないような奴だったしな。そういう気分だったとか、その程度のことじゃないのか」
「本当にそれだけですかね? ……ふぅ、ご馳走様でした」
「いや、早くないか? 話してる時間は俺とそう変わりなかったよな?」
真依の皿は確かに空になっていたが、俺のオムレツはまだ半分以上残っている。
俺は別に食事の遅い方ではない。真依が早すぎるということになる。
「私達がこの世界に生きる以上、何をするにも時間に縛られます。短縮できる部分は可能な限り短縮するのが賢いやり方ですよ」
「もっとゆっくり、味わって食べるべきだ。お前は幸福をドブに捨てている」
「味わってはいますよ。どうも食事という行為にこだわりがあるみたいですね?」
「俺達がこの世界に生きる以上、最も俺達を縛り付けるものは食事であり食欲だ。重く考えなければならない」
「変な考え方ですね」
「俺からしたらお前のほうが余程変なんだ」
「現代日本に食べ物が溢れている以上、そちらをないがしろにするのは当然だと思うんですが……まあいいです、とりあえず今日はこれでお暇させていただきましょう。また奢って貰えるのを楽しみにしてますよ、赫屋さん」
「二度と奢るか」
真依は席を立つと、当然のように一銭も置かずに店を出て行った。
伝票を確認し、俺はオムレツと言えどなかなか値段が張るものもあるという事を学んだ。