第五話 君の引いた線を越えて 前編
桐野柚葉が通う学校は旭山市では少し名の知れた学校である。勉強することが好きだったわけではないが、元々地味子として名高い桐野にとって頭の悪そうな学校に行くなど、ライオンの檻に餌として身を投じるようなものだ。
そんなマイナスの発想から生まれた進路は、案外うまいこと事が進んだ。
まず初日に友達が出来た。一見するとなんとも派手な女の子だったが、意外と趣味が合った。席も隣で、ギャルのような見た目の割に中身はお母さんだった。
女の子なんだから化粧しようよ。そういって土曜日にみっちり化粧の講義を受けた。
派手なギャルのお母さんでもある三枝にされた化粧はとても自分とは思えないような顔になった。もちろん、いい意味で。だが、いくらやっても自分で自分の顔を建築すると少し濃くなってしまう。
「合コン!?」
お母さん、そんなの許しません。
一言でいえばそんな感じのことを延々《えんえん》と言われた。
そもそも三枝も合コンなどしたことがないとのことだった。先を越されたことがよっぽど悔しかったのか、合コンに来るような男にろくな奴はいないなどと散々叫んだ挙句、最終的にコンドームを手渡された。
不覚にも合コンに行ったときに財布にしまったまま忘れていたことを思い出したのは、その日の帰りだった。
誰にも気づかれずに本当によかった、と安堵する。
特に頭に浮かんだのは神崎颯太の顔だった。他の男子のギラギラした目つきにすっかり怖気づいていた桐野は、何となく颯太のことが気になっていた。
口数も少なく、歌もうまくはないが、下手ではない。そして、時折藤田由香里と会話する中で見せた笑顔は、桐野の心を惹きつけた。
敗れた恋は星の数、実った恋は一つもない。だが、中学生の頃の地味子は卒業したのだ。
もう横綱三国直子関の隣で縮こまっている女の子ではないのだ。
化粧を覚え、ファッション誌を買った。まだ飛び切りオシャレなわけでも可愛くなったわけでもない。
ただ、外見を変えるだけで、自信というものはつくものだ。
今度の恋は実らせよう。決意して見上げた先で、青天の霹靂を見た。
夜空を切り裂くように雷光が寝転がったのだ。
ぽかんとしてそれを見上げた。そして、それを合図にしたようにいくつもの雷鳴が轟いた。
乱雑に振り回される雷が交錯する。その暗闇の中にうっすらと何かが見えた。
それは鳥の嘴のように見えた。
非現実的な現実の光景に、桐野は思わず尻餅をついた。
「あなた、大丈夫?」
誰かが駆け寄ってきた。女性の声だった。
黒いスーツを着たすらっとした美人だった。
黒いスーツに抱き起され、お尻の土埃を払ってもらった。
「幸村、早く行くぞ」
気が付くと幸村と呼ばれた女性の隣にはよれよれの黒いスーツを着た男が立っていた。
「怪我はない?何か見たの?」
幸村が問いかけている間も、空を雷光が覆っている。
「あ、あの、雷と鳥のお化け」
桐野が言葉を紡ぐと隣にいた男が悩むようにこめかみに手を当てた。
すると、早回しでも見ているような早口で、聞いたことのない言語の羅列を並べだした。
まるで、それに応えるように幸村が同じように手をこめかみに当てた。近くで見ると手のひらをこめかみに当て、指先を耳の後ろに当てていた。
幸村は突然、桐野の目を覆い隠すように手を当てた。直後、首筋に何か鋭い物が突き立てられたのを感じた。
「幸村、いい」
それが皮膚に突き刺さろうとする直前、男が制した。
桐野には見えていなかったが、幸村が視線を男の方へと投げるのが分かった。またなにか小難しい言語でしゃべっている。
「日本語で話そうぜ。そっちは頭使うから疲れるんだ」
やれやれと男は言った。その言葉を合図にしたように、桐野は暗闇から解放された。
幸村はすっくと立ち上がる。何かもの言いたげに男を睨んでいた。その手には拳銃が握られている。だが、よく見ればそれは先端に針が付いていて麻酔銃か何かのように見える。
「前の坊主、覚えてるか。ほら、神崎っつったか。アイツ一週間記憶飛んでんだと、未成年に使うのは可哀想だべ。青春という短い時間の中で、一週間も奪われてんだぞ。挙句、最後の日には体調崩したって聞くしよ。あいつは男だから裸にひんむいて検査したけど、この子は可哀想だと思うよ、俺は」
男は煙草の煙を鼻から吐き出した。空を見上げる横顔はまるで、花火でも見ているかのように涼しげだった。
「でも、この子、見たって」
幸村は重要な単語を除くように慎重に言葉を紡いだ。
「お前なぁ。あれ見たヤツ全員の記憶消すのか。無理だろぉ。だって、あんな派手にやってんだぜ?マスコミさえどうにかすれば都市伝説程度で終わるって」
男が言い終えるか言い終えないかのタイミングで、傍の電柱に取り付けられていたスピーカーからノイズが走った。
三人の視線がそこに集まると、スピーカーは高らかにサイレンを鳴らした。
夜の街に賑わうサイレンと鳴りやまない雷の怒声。
その光景は一九四五年の広島原爆を彷彿とさせた。
「まぁ、そういうわけだ。嬢ちゃん、この怖いおばちゃんに変な薬打たれる前に逃げな」
よいしょ、と男は桐野の手を取り立ち上がらせた。小柄な桐野の体はひょいと持ち上げられる。
「もう知らないからね」
幸村はぷんすかと怒りながら、走っていった。男はややあって手を振るとその背中を追いかけようと踵を返す。
「あ、あの」
「ん?」
立ち止まる。
聞かなければいいとわかっていた。だが、聞かずにはいられなかった。
男は桐野が口を開くのを待っていた。
「あなたたちは」
その問いかけに一瞬だけ男は考えた。その顔は悪戯でも考えている子供のようだった。
しばらくの沈黙の後、男はハッとしてひらめいた。
「宇宙人だ」
サイレンの声に山村達人はパニックになった。
なぜなら、その声にびっくりして股間の上にデザートを落としたからだった。
「ちょっとなにしてんの」
あきれたように声を上げたのは三国直子だった。みんなと解散した後、甘いものが食べたいと三国が駄々をこねて山村と二人でファミレスに来ていた。
そこで山村はチョコパフェを頼んだ。今、最初の一口のバナナを自分のバナナの上に落としたところだった。
「だって、びっくりしたんだもん」
誰もが窓の外の雷光に目を向けていた。それは二人も当然のように目を向けていた。
空に描かれたSF映画は、それを見上げる人々の心を釘付けにしていた。
誰もがそれが、自分たちの真上で起こっていることだと理解できなかった。だから、サイレンが鳴るまで誰一人行動を起こさなかった。
誰よりも最初に行動したのは山村のバナナだった。
山村と三国のやり取りの後、二人がいる店内。店の前。街頭に備え付けられたスピーカーたちが一斉に歌い出した。
『旭山市上空に謎の発行体を確認。現在、確認中ですが、市民の皆様は落ち着いて、最寄りの避難所へ避難してください』
その声はひどく冷静な声だった。その声の冷静さに人々は渋々従うように歩き出す。
その中に藤田由香里の姿もあった。たまたま帰り道が一緒だった三浦紗枝もまた、その声に従っていた。
神崎颯太も走り去った後、斎藤琢磨も帰ると言い出し、興が冷めた三浦も帰ることにした。
三浦の家は駅を一つ越えたところだ。駅のホームを降りたところで由香里と遭遇した直後だった。
「ねぇ、なんかやばくない?」
三浦は周囲の人々を見た。そこには不安げな表情を浮かべながらも、どこか余裕すら感じさせる足取りで歩く人々の姿があった。
走って逃げる人も悲鳴を上げる人もいない。いつもより少しだけ早い程度の足取り。
パニックに陥っていないだけマシなのかもしれないが、その雰囲気は異様だった。
その光景に小学生の頃の避難訓練を思い出した。実際に災害が起きた時には何の役にも立たないだろう避難訓練だった。
仲良しこよしグループで授業が潰れたことに祝杯を上げながら歩いていた。
「そうだね。でも、どうもできないしょ」
由香里は余裕だった。ポケットに手を突っ込んで、散歩でもしているかのようだった。
由香里の言葉は当然だった。三浦はただの女子高生でちょびヒゲで、最近ダイエットに失敗して、彼氏に浮気されて合コンに参加した。
それだけの女子高生だ。ヤバイヤバイと連呼しても何も起こらないのはわかっている。それでも、ヤバイヤバイと連呼することしか出来なかった。
一方由香里の頭の中はすっきりしていた。
面倒くさいことを考えるのをやめ、ただ足を動かすことに意識を集中する。
パニックになったところで意味はない。それならどれだけ冷静でいられるかだ。
それは弓道をかじった時に最初に習ったことだった。
精神統一。
心が乱れていては的を狙うことは出来ない。
深呼吸する。
今は的すら見えないのだ。ならば、なおさら神経を尖らせるしかない。
頭上では雷鳴が轟いている。由香里は不機嫌な顔で歩き続ける。
なんでこういう時いないかな。
由香里の意識は気が付くと幼馴染へと向けられる。
先に帰った由香里を追い越して走って行ってしまった。しかも、由香里の家の方向だ。お前の家は逆だろう。
まるで気づかないで走り去った。知るもんか。
頭の中でいくら毒づいても、結局は颯太がどこにいるのかが気になった。
昔からよくわからないタイミングでいなくなるのだ。そのたびに首根っこを掴みあげて連れ戻すのは由香里の役目だった。
小学生の時は不良になるとか奇声を上げて学校をサボった。おかげで由香里も一緒にサボる羽目になったものだ。
ただ、悪くはなかった。
二人で駄菓子屋でアイスを食べ、野良犬に追いかけられ、見知らぬ民家の塀から飛び出した柿の木から柿を頂戴した。
それは渋柿で食べられたものじゃなくて、吐き出したところをその民家のオヤジに見つかって、食べ物を粗末にするなと怒られた。挙句、警察を呼ばれて学校へ強制送還。
先生にも親にも怒られた。だが、その後に颯太は笑っていた。
またやろうな、とあっけらかんとした態度にグーで殴り掛かった。女子として生まれて男子をグーで殴りつけたのは、これが最初で最後だった。
今ならあの時よりも強い力で拳をたたき付けられる自信があった。
サイレンが鳴る。
物陰に隠れる影があった。
宇宙人を名乗った男はこめかみに手を当て、奇妙な言語を並べていた。
一般人が見れば、その光景は外国人が電話に向かって怒鳴っているように見える。
一通り言葉をたたき付けると男はジャケットの内ポケットから煙草を取り出す。
何度も出し入れを繰り返されたボックスは、すでに四角い箱ではなくなっていた。ひょろ長い筒のようだった。
そこから一本取り出し、残りの本数を数える。残っていたのはあと一本。
はぁ、とため息を吐き出しつつタバコの先端に炎を灯す。
「真田、結衣ちゃんどうするつもり?」
その隣に立つ黒いスーツを着た幸村が静かに問いかける。
「あぁ、もう終わる。ウッドペッカーは無事。タロンは退却。警察連中にマスコミは抑えてもらってるけど、ありゃ無理だな」
やれやれと煙を吐き出した。
旭山市に住み着く連中はまぎれもなく空を見上げ、雷を打ち合う二つの点を見たことだろう。まぁ、それの言い訳を考えるのは彼の仕事ではない。
いずれは見つかることだったのだから、仕方あるまい。
「結衣ちゃんなんであそこから動かなかったんだろう」
今もなお、嘴の形をした宇宙船は空の上で雷光を放つ。幸村はじっと空を見つめ、それがほとんど移動していないことを確認した。
「野暮なこと言うんじゃねぇよ」
ふー、と一息。くたびれたように真田は歩き出した。
「それよりタロン、追えよ」
ぶっきらぼうに付け足す。
その横顔に幸村は釈然としない視線をぶつけるが、気にも留める様子はない。
「真田!あんたどこ行くのよ。迎えに行かないの?」
とぼとぼと歩く姿は仕事に疲れたサラリーマンのようだ。このまま放っておけば家に帰って晩酌でも始めるだろう。そして、ワイドショーを見ながら司会者に仕事の文句を呂律の回らない舌でのたまってくれるに違いない。
「んー。あと三〇分くらいしたら車出してやれ」
そう言いながら真田は街灯の下に顔を出す。無精ひげがみっともない。ぼさぼさの髪と目の下のクマが、彼の疲労感を言葉にする以上に明確に物語っている。
「三〇分って。怪我しているかもしれないじゃない!」
「だったらウッドペッカーに反応が出る。中は無事だ。あ、あと、薬使うなよ。短期間で二回も使ったら、頭イカれるからな。そういや前に田中のオヤジに二回使っちまったなぁ。アイツ、あれから精神病院に通っちまってよぉ。なんでも昔の嫁が見えるとかなんとか」
「どういうこと!?」
幸村は怒りを露わにする。今、幸村の頭の上に火山が生えていたら、きっと爆発するように噴火していることだろう。
真田は、忘れてた、と付け足して幸村を正面から捉える。
「お前、来週から東高校勤務な」
「は?なんで!?」
次から次へと疑問が湧いて出る。まるで、疑問符の四次元ポケットだ。
「ん?天川が通ってるから。あー、ついでに言うとなんか東高校ってめんどくさくてさ。部活入らなきゃならないんだと、で、どうせだったらお前、あいつが入る部活の顧問でもやってやれ。監視もしやすいし」
「結衣ちゃん学校通ってんの!?しかも、高校!?」
なんでなんでのバケツリレーだ。しかも、その発生源はとんちんかんな答えばかり並べたてる。
バケツを次々に人に渡すくせに中身は空っぽだ。
「あぁ、あいつが行きたいってよ。大変だったんだぞ。あいつ普段わがままなんて言わないくせに一度ダダこねたらイチゴあげたって聞きやしねぇんだよ。知ってるか?アイツ低反発の枕にはまっちゃって、この前それ新潟に忘れてきたっけ、取りに帰るってうるさかったんだから」
「私、初耳なんだけど」
低い声で言葉を返すと真田にもようやく幸村の怒りが伝わったのか、しまった、という顔で硬直した。
「い、いや、寝つき悪いっていうし、ちょうど通販で低反発の枕が」
「そっちじゃない」
「え?」
ずんと詰め寄り、真田のネクタイをひっつかむ。片手で結び目を持ち、もう片方の手でネクタイを締めあげる。
ちょ、と短い悲鳴を上げて必死に幸村の手を放そうとするが、幸村も必死である。
「いつから通ってんの」
「に、二週間くらい前」
「なんで」
「野暮なこと聞くなよ。本人に聞け」
聞くなとか聞けとかどっちだ。
言い終えると同時に真田は幸村の手を振りほどく。
まだ質問したりない、という顔をしていたが、真田の意地の悪そうな顔を見ると、これ以上質問を投げかけても応じるつもりはないのだろうということが見て取れた。
ようやっと諦め、野良犬を追い払うようにしっしと真田を追い払った。
ケッ。
真田は悪態をつきながら歩き出した。
短くなった煙草を放り投げ、新しい一本に手を出した。
「あーあ、煙草、買わねぇと」




