第六話 太陽に見たものは 後編
三国直子は体重計の上にいた。
随分とやつれたとみんなに言われた。実際に自分でもそう思った。前ほどふくよかな体をしていない。ぼってり系女子からぽっちゃり系女子に昇格したと自負していた。
少しの心の余裕が、たまたま港町の病院で見つけた体重計にその体を乗せるという暴挙に走らせてしまった。
そして、三国は果てしなく後悔した。いくら痩せたと言っても本来の女子の体重と比較するとやはりまだまだ横綱である。むしろ、見た目ほど痩せていない。いや、医療キャンプでの手伝いというのは日常生活よりも筋力を使うのだ。筋肉量が増えたのだろうと推測する。
悲劇である。見た目は細くなったが、その分筋力が増加している。このままでは相撲を引退してプロレスラーまっしぐらである。
どんなご時世になろうと女子なのだ。三国は項垂れた。
「なにしてんの?」
誰もいない病室で体重計に項垂れた三国の背中に声を掛けられた。俊敏という言葉はほど遠かった三国の人生で最も俊敏だった瞬間だ。
丸まった背中を伸ばして、即座に背後を振り返った。
クラスのマドンナとも形容されていた藤田由香里が不思議そうに三国を見ていた。
体の線は細いくせに、出るところは出ている。それでいて顔は愛らしい割に黙っていると凛とした雰囲気すら持っている。
三国は由香里の姿を見てより一層重々しいため息を吐き出した。
「人の顔見るなりため息って失礼じゃない?」
由香里は三国の足元の体重を見て、由香里から目を逸らした三国の目を睨み付けて告げた。
二人は今、港町に来ていた。怪我人の数は多かったが、それでも、旭山市の比ではない。それ故に大きな病院の一室に山村達人を受け入れてもらえることが出来た。
医療には素人の二人である。ましてや子供だ。看護師も医師も充足している港町の病院では二人は必要なかった。
今では二人で山村の見舞いに顔を出す程度で、普段は医療キャンプで軽症者や介助の必要な老人の面倒を見ている。
ボランティアで手助けをする者は多い。おかげで三国と由香里は暇を持て余す時間の方が随分と多くなった。
もちろん、ただ暇をつぶすようなことはしなかった。三国は時間が許す限り、山村の傍にいた。
由香里は学校に行き、両親を失った子供たちの面倒を見ていた。
忙しい日々を過ごしていたせいで、予定のない時間というものは彼女らにとっては苦痛にも等しかった。だからこそ、その時間を許すことは出来なかった。
それもまた戦争の傷痕である。
「山村の調子は?」
由香里は今、学校で生活をしている。体育館の隅っこに場所を借り、そこで子供たちに囲まれて日々を過ごしている。
「うん、順調、かな」
山村には投薬治療が行われている。おかげで、多少の受け答えなら出来る程度には回復していた。
まだ感情や思考を言葉にすることは出来ないが、意思の主張は強く見られた。
おかげで、三国の仕事だったトイレの世話は拒絶されるようになった。
羞恥心が先に蘇るとは、さすがイガグリ頭のM字ハゲ。それでいて女にモテることに必死な少年らしい。
こんなことになってもカッコつけたがっているのだろうか、と三国は内心で笑った。
「札幌はいつから?」
今の山村を治療できる脳外科医は札幌にいるという。専門医による外科手術を施すことで、日常会話に支障がない程度には回復が出来るという見解である。
「でも、物好きがいてくれてよかったよね」
山村の外科手術は本来ならかなりの大金を要する手術である。今のご時世では金の価値が下がったとはいえ、その事実は揺らがない。
両親の安否も確認できず、無一文も同様の山村を助けてくれるなどという医者がいるとは思わなかった。だが、現実にそんな医者がいた。
黒猫を連れた喪神一郎という名の男だ。先日札幌に現れ、快く山村の手術を請け負うことを約束したそうだ。
依頼をしてくれた医者ですら、それには驚いたという。
「うん、本当によかった」
光明が見えたのだ。いつまでも人形のように生きる想い人の隣にいる勇気は三国にはなかった。その勇気が挫け掛けた時に突然現れたのは幸運という言葉以外に表現のしようがない。
薄暗く一筋の闇を射しこんだ人生に再び太陽が顔を出そうとしている。その事実が紛れもなく、三国の心を照らしてくれていた。
その光の中に立つ三国を見ることで笑みを浮かべる由香里もまた、光を見ていた。
少し前の彼女ならば、その光すらも疎ましく思っていたことだろう。だが、山村が元気になる可能性が嬉しかった。
そうすれば、神崎颯太もまた喜んでくれると思っていた。
彼女自身が傷つけた相手。顔を合わせたら、きちんと謝ろうと心に決めている。
許されるようなことではない。けれど、一生を掛けても償いをしたいという願望があった。
それが由香里の好意から生まれたものなのか、厚意から生まれたものなのかは本人にもわからない。
ただ、そうしたいと望んでいる。
平和という言葉が日常として還ってくる日を信じて、由香里は空を見上げる。
果てなき空の向こうに昇る太陽の温かさに由香里は目を細めた。
「神崎、帰ってくるといいね」
何かを見透かしたように三国は笑った。そして、直後、驚いた。
由香里はただ嬉しそうに目を細め、首を縦に振った。
それだけのこと。だが、それだけのことが出来るようになるまで時間がかかったのだ。
その細く長い道のりが、ようやっと終着駅へとたどり着こうとしている。
そんな気がした。
二人は小さく微笑み合うと空を見上げる。そして、その空の向こうに静かに漂う無数の鉤爪を見た。
煌びやかに輝く太陽すらも切り裂こうとするかのように、空を横切っていく。




