第六話 太陽に見たものは 前編
世界は混乱する。そして、それを承知で世界は戦う。
北朝鮮と中国の争いは激しい。北朝鮮の軍事力では核という武器以外に他者を蹂躙する術を持っていない。そして、中国の軍事力は人員の頑強さ。白兵戦での有利は明らかだった。
それ故に中国政府は白兵戦で北朝鮮と戦うことを決意する。北朝鮮もまたこれに応戦するが、防戦一方を強いられる。だが、それでも北朝鮮の兵士たちは優秀だった。数には劣るが個々の有能さは中国の比ではない。
金正日総書記という神を崇める狂信者と個々の信念の強さの戦い。
神を守護するためならば命を投げ出すことも厭わない聖戦士。
己が敵を見極め、己の意思によって剣を振るう戦士。
それはゴーストという存在が期待していた通りの戦いだ。だが、歴史が正しき道を歩んでいたとしても、いずれはぶつかり合う定めだったのだろう。
彼らが互いに向け合う殺意は、抑制されていたからこそ、より一層激しく燃え上がる。
それを止める者はいない。それを促す者も今は声を殺されている。
今、その声を誰よりも求めていたのはロシアにある地下組織の人間たちだった。
半重力装置搭載型戦闘機などの開発。グレゴヴィッチが若い頃から莫大な権力を保持していたのも地下組織の存在があったからだった。
一九四三年、ロシアはルゥカヴァディーチリと接触した。かつて、彼はロシア語で星という意味のズヴェスタと呼ばれた。
当時はそれを宇宙人と称することは出来なかった。無数の戦闘機と共にロシアの地に降り立ったのは人間だった。
ロシア人だ。彼はあるメッセージを伝え息絶えた。
「私の声を聞け」
まだ文明の発達途中だった。そして、神という存在を強く信じる者が多い時代だった。
メッセンジャーの異様な姿と声が、それが自らを神と名乗るよりも前に、彼を神の使いとして認識した。
ズヴェスタが述べたのは一つ。
この大量の戦闘機をロシアに委ねる。その代わりに自分の手足になれ、と。
当時のロシアの最高責任者ジュガシヴィリは無神論者のマルクス主義者だった。
神よりも科学を崇拝する男。誰もが神の声に従うべきだと謳う中、彼だけは自分の声に従った上で、ズヴェスタに頭を下げた。
ジュガシヴィリにとってズヴェスタとは提供者だった。彼の思惑などジュガシヴィリにとってはなんでもよかった。今、目の前に科学の結晶、それも軍事力として、すぐにでも利用できるものが転がっているのだ。
それが神だろうと悪魔だろうと関係はなかった。
それこそが、ジュガシヴィリがスターリンと呼ばれた所以。
強力な支持者を得ることでソビエト連邦は強力な軍事力、科学力を得ることになる。だが、それを発揮する前に第二次世界大戦は終結。
世界は冷戦へと突入した。それはソビエトにとって都合のいいものであった。
軍事力の育成に専念することが出来たのだ。
一九四九年、RDSー1が行われる。ロシア初の核実験だ。これもまたズヴェスタによる導きの賜物。
一九六一年、アメリカの宇宙開発技術を追い抜き、ユーリィ・ガガーリンがボストーク一号に乗り、人類初の有人宇宙飛行に成功する。このボストークもまた、ズヴェスタから授かった技術から作られたものだった。
ロシアは核を保有し、宇宙開発をする積極的な軍事国家としての威信を世界にチラつかせるようになった。
冷戦は一九四五年の第二次世界大戦終結以降、四四年間続いた。その冷たい戦いの結末をスターリンは見ることなく一九五九年に死没した。だが、それ以降も彼の声は生き続けた。その亡骸が腐り果て、土へと還るまで、ズヴェスタはスターリンとなった。
偉大なソビエトの指導者たちの声もスターリンの声に則った者。好戦的な者すらも息を殺した四四年。そして、誰にも知らずに彼はその声を響かせた。
いつしかズヴェスタはスターリンとなり、いつしかルゥカヴァディーチリへと昇華した。
冷戦の終わりが近くなった頃、彼の手足となったのはグレゴヴィッチだった。だが、それは正解であり不正解だった。
一九八八年から半重力装置の研究が始められ、グレゴヴィッチが指揮を執った。
その翌年、アメリカがその事実を知り、地図に載らない島を探し始めた。そして、ルゥカヴァディーチリはアメリカの情報網を操作した。巧妙な情報操作により、アメリカの探索は難航した。
一九九一年、アメリカは地図に載らない島を発見し、計画を立てることになった。
一九九二年には渉・ニコエラヴィチ・エリツィンによって、半重力装置搭載型戦闘機を奪われることになった。
その時に予定が狂ってしまった。大きな誤算ではないはずだった。それ故に予定が狂ってしまうことも予定の内だった。だが、一番の予定外の出来事とは、世界そのものだった。
人間の技術力の進歩に期待し、育成された軍事力を見ることに時間を掛け過ぎた。
アメリカとロシアの戦争に期待していたにも関わらず、二〇〇八年になって、ルゥカヴァディーチリが背中を押して、ようやっと第三次世界大戦は始まった。
ルゥカヴァディーチリは亀のような歩みの世界に苛立っている。そして、その苛立ちが沈黙にあると理解したのはロシア初代大統領、ボリス・ニコエラヴィチ・エリツィンである。
二〇〇七年に多臓器不全にて死亡したと報道された人物である。彼が生きているということを知っている人物は少ない。ルゥカヴァディーチリですら彼がまだ生きていることを知らなかった。
ボリスには武力はない。それ故に彼の最大の武器は思考する力である。
その力はロシアに置いて唯一ルゥカヴァディーチリと対等にぶつかり合うことが出来るもの。
彼は今もまた思考していた。
監視カメラのない建物の地下。彼は自らを監禁した。それによってルゥカヴァディーチリの監視下から逃れることが出来た。だが、テレビやラジオの類はない。あるのは毎日届く新聞と経済紙と葉巻と有線で繋がれたパソコンが一つ。
部屋には窓もなく、あるのは椅子とテーブルが一組とベッドが一つとテーブルの上のランプとベッドの頭につけられたランプが一つずつ。
囚人に似た生活を強いられていた。だが、それもまたボリスが受け入れたもの。
公的な生活を手放し、世界のために戦うために作られた秘密基地。残された余生をそこで過ごすことで、世界を生かすことが出来ると彼は考えた。
古臭い脳みそが役に立つのならば、どんな状況でも受け入れると決めていた。
そんな彼が今、思考するのはルゥカヴァディーチリが沈黙する理由だった。
ここ数日、グレゴヴィッチ中将からの無線が途絶えた。軍事態勢は混乱に陥っている。
ルゥカヴァディーチリの伝達役として活躍していた彼が口を閉ざすということは、実質ルゥカヴァディーチリの死を意味していた。だが、それは地球の勝利とイコールで結ばれるものではない。
最早声を届ける必要性がなくなったのか、とボリスは思考する。だが、今こそが正念場と言ってもいい。
チゥドーヴィシシィが地上に現れ、中国は北朝鮮からの攻撃を受けたのだ。その際にロシアの戦闘機を破壊された。
北朝鮮が独自に考えた上での行動ではない。タイミングが良すぎる。
あの核攻撃があったからこそ、ロシアは北朝鮮とも敵対関係を明確にする必要性が出てしまったのだ。
ルゥカヴァディーチリがロシアを捨てたというのも考えにくい。何といっても五〇年近い時間を彼はロシアと共にした。それだけの時間を掛けて世界を掌握しようとしていたにも関わらず、このときになって易々と手放すとは考えにくい。
グレゴヴィッチが謀反を起こすとも考えたが、その線は薄い。彼は忠実な下僕だった。ルゥカヴァディーチリこそがロシアを導いてくれると心から信じていた。
では、なぜ彼は沈黙するのか。
嵐の前の静けさほど、末恐ろしいものはない。その嵐の大きさを想定することは出来ても、どこに嵐が来るかも、いつ来るのかも予想できないのだ。
それ故に、ボリスは思考する。だが、情報が足りな過ぎた。
彼は天川結衣がグレゴヴィッチを射殺したことを知らない。
射殺されたはずの死体が独り歩きし、日本でウッドペッカーを探していたことを知らない。
つい先日、グレゴヴィッチの意思によって、その体が解放されたことを知らない。
北朝鮮と対話を試みたのが真田を名乗ったルゥカヴァディーチリであることを知らない。
知らな過ぎた。だが、それを補うのが彼の力でもあった。
選択肢を絞り込む。
グレゴヴィッチが死んでいると彼は仮定した。それ故にルゥカヴァディーチリは現在沈黙してる。そして、声を出す手段を手放したことを理解する。
問題は次の声の主だ。同じくロシアから選別すると仮定した。そして、次に彼が思考を巡らせたのは先ほどの事実だった。
ホラート・シャフィル山にで戦闘があったという報告を受けた。ホラート・シャフィル山はグレゴヴィッチの指示ですでに調査済みである。
報告書には何もなかったと記載されているが、やはり信用に足る情報ではなかった。
実際ホラート・シャフィル山は元々何もなかった。軍が秘密裏に基地を作っていたならば、それはボリスの耳に入ることは必然だった。だが、何もない。
それ故に、今になって再びそこで戦闘機のやり取りがあったという事実が不可解だった。
所属不明のドーチカとアメリカの最新鋭の戦闘機の戦い。なぜそこで争う必要があったのか。
ボリスは今一度、そこを調査することを決意し、部下に指示を渡した。
忠実な彼の部下は迅速に行動に移すことを約束すると足早に彼の元を離れていった。
葉巻を吸う。
情報がなさすぎる。それ故に、ボリスは一度思考を止めた。
久しぶりに太陽が見たいと思った。




