第三話 気づきし者 前編
織田の趣味は切手集めだ。世界中を飛び回る仕事である。そのたびに各地の郵便局で切手を集めていた。
自室には専用のファイルがいくつもある。小さな田舎町の町長の写真の入った切手やら汽車や風景の切手と様々だ。
それを眺めている時間が彼にとって至福の時間だった。
『おだっち』
ふいに天川結衣の声が頭蓋骨を震わせた。慌てて耳の裏に手を当てる。
「おや、どうしんだい?」
密かな趣味である。別にみられるわけでもないのに、織田はとっさにファイルを閉じた。
『出撃は?』
時間は午後六時。前日のブリーフィングでは、今頃織田も含めて戦闘機に乗っているはずの時間だった。
「まだ、待機だ。真田と連絡がつかない」
先ほど日本の空軍自衛隊を撃退した。その頃にはまだ通信のやり取りが出来ていたのだが、それ以降ぱったりと連絡が途絶えてしまっていた。
もともと放浪癖のある家出好きの少年がそのまま大人になったような男だ。大事なタイミングで連絡が取れないということは、よくあることだった。
どうせ今頃どこかで物思いにふけった顔で煙草でも吸っているのだろうと思った。
緊張感のない姿に今まで何度も腹を立てたが、腹を立てるだけ無駄だということを理解するのに、時間はかからなかった。
すっかりマヒしてしまったのか、地球の存亡をかけた戦いであるにも関わらず、姿のない指揮官に腹を立てる気にもなれなかった。
ただ意外だったのは、それを気にしているのが天川だということだった。
まるで、戦闘に出ることを望んでいるかのように思えた。
『・・・わかった』
渋々といった様子で天川は声を絞り出した。その声はそれが苦痛だと叫んでいた。
「さっきも出撃したばかりだよ。少し休むんだ」
織田の優しい声色に天川は無言で頷いた。無線越しにも織田もそれを理解し通信を切断した。
織田は優しいお兄ちゃんという立ち位置に立っている。それでも、天川の真田に対する信頼は厚い。どれだけ優しいお兄ちゃんの顔をしたところで、時間というものには勝てない。
おそらく織田の言葉にも渋々承知したという程度だろう。これが真田の言葉であれば、天川は素直に頷くのだということは想像に難くない。
織田と天川の付き合いは三年ほど。最初の頃に比べれば随分と懐いてはくれたが、信頼と呼ぶには程遠い。
「どうせすぐ死ぬんでしょ」
初めて言葉を交わした時に天川が告げたのはそれだった。最初は嫌な子供だと思った。それこそお兄ちゃんのような顔をしていただけで、内心は関わりたくないという思いの方がはるかに強かった。
おだっち、という愛称で呼ぶようになったのはつい最近だ。任務を共にし、互いに何度も生き延びた。ようやく授かった愛称はなんとも幼稚なものだったが、織田にとってはどんな勲章よりも誇らしく感じられた。
気のいい兄貴分のおだっちとしては、そんな妹の反抗期を受け入れてやる他ない。
織田は真田に向けて通信を開始する。
「真田、応答してください。聞こえてるんでしょ」
やれやれと言った様子で声を掛けるとノイズの後、ため息が聞こえた。
『あぁ、聞こえている。どうした』
「ん?あ、あぁ」
本当に返事をするとは思わなかった。真田という男は仲間との通信よりもハナクソをほじることの方を優先するような男だ。それがまさか声を掛けた直後に返事をするなど、今まで一度もなかった。
『どうした?』
「いや、キャットが心配している。今、どこにいるんです?」
ざざ、とノイズが走る。
『ヘリを待ってる。旭山市の公園だ』
「どうしてそんなところに」
『古い友人に会っていた。それで何かあったのか?』
違和感がこみ上げてくる。だが、それは喉に何かが刺さっているという程度の違和感で、それが何が刺さっているのかまではわからない。
「作戦の決行は今日でしょ?」
いらだちを含んだ声で問いかける。
しばらくの間。
『あぁ、そうだったな。追って連絡をする』
「忘れていたのか?」
違和感は膨れ上がる。
『まさか。とにかく今は待機だ。あ、そうそう。俺がいる場所にヘリを送れ。また連絡する』
「・・・了解」
その違和感を拭い去ることが出来ない。通信を終え、その声が耳から離れていくことで、ようやっと違和感が薄れていく。
気のせいだろう、と。
織田は再びファイルを開き、ニヤニヤしながら切手を見つめた。




