第三話 日常×戦場 前編
神崎颯太の通う学校では、学徒である以上、部活動に勤しむ義務がある。ゆえに、帰宅部という部活動は存在しない。中学生の頃は遊ぶことに忙しかったおかげで、帰宅部のエースだった。いつもレギュラーとして誰よりも先に自室の机の上にカバンを放り出し、誰よりも先に私服に着替えていたと自負している。
そんな自分が学校の規則に従って部活動に勤しむなど、想像もできるはずもなかった。だが、時間とは残酷なものだ。
新入生が入学し、まもなく二か月が経とうとしている。ほとんどの生徒はすでに部活を始めている。
山村はイガグリ頭というだけで、野球部に入部し、今日も球拾いをしている。
目指すはジェイリーガーらしい。ジェイリーガーは野球しないということは教えなかった。
残すところ二週間。二週間以内に希望の部活を選ばないと人員の足りない部活に回される。
運命を神にゆだねるのもよかったが、それよりも気がかりなことがあった。
天川結衣はどの部活に入るのか。
体が弱いとかで学校をよく休んでいる。それが嘘なのは知っているが、学校にはそれを貫こうとしている。
虚弱体質を偽っているのだから、運動部はないだろう。かといって協調性のない彼女が何の部活をやるのかというのは想像がつかない。
文芸部とかそこらへん。
いつも熱心に勉強をしている姿を見ると、やはり文芸部という姿が一番しっくりくる。
あれ以来二人に会話はない。
戦争が始まり、ニュースだけではなく校内でも戦争の噂が飛び交う。
そんなつまらない話題でも、彼女に投げかけることが出来れば幸いだったのだが、一度放課後に突然姿を消した二人は注目の的だった。
口数の少ない天川と違って、颯太は質問攻めにあった。適当なことを言って切り抜けたつもりだったが、いまだに神崎と天川の間には何かあると疑っているスパイが多い。
颯太が席を立とうものなら誰もが聞き耳を立てていた。
「天川さんとどういう関係なの?」
我が人生の恋という歴史に白星を塗りたくってくれた藤田由香里ですら、颯太を問い詰めてきた。
お前にこそ話すことはない、とばかりに突っぱねたが、幼馴染というものはなかなかに強いらしい。
多少の喧嘩程度ものともしない女子相手に強い態度を取ってしまえば、大喧嘩へと発展する。そうなると女のご機嫌取りほど面倒くさいものなどないだろう。
仲直りするとなると本当のことを言わねばなるまいが、彼女が転校生で宇宙人でロボットの魔法使いなどと言えば、げんこつが飛んできてもおかしくはない。
やんわりと逃げ続けていた。
「あんた、どこの部に入るのよ」
かくいう由香里は弓道部に所属している。今年唯一の当たりと名高い女子は、やることなすこと大注目されている。
そんな奴が学校でも名高いモテ男につけ狙われているということも全校生徒が知っていた。
小さな町の小さな学び舎では、小さな恋愛事も大事件に発展するのだ。
ついこの前まで肩を並べていたはずの幼馴染は、学校一のモテ男をアクセサリーとして持ち歩いている。
高校生になって何かが変わると思っていたが、変わった現実は知りたくもない現実だった。
夜の月が美しいから、と望遠鏡で覗いてみたら思ったよりデコボコしていて不細工だなって思った。そんな感じだ。
「さぁな」
昼休みの食堂。カレーうどんを啜る。
その隣で失恋した相手で、イケメンをアクセサリーにして、オムライスを頬張る女。
弓道部に入ってから肩が広くなったような気さえする。
「ラグビー部らしいよ」
「え」
うどんが箸の隙間から落ちた。ぴちゃんと音を立てて汁の上に落ちる。
「ぶ・か・つ」
振り返ると由香里は意地の悪い顔をしていた。
「今月中に決まらないとラグビー部だって。大沼さん言ってたよ」
大沼というのが、サッカー部のさわやかイケメンであり、由香里のアクセサリー。
運動部の人間は運動部との繋がりを持つらしい。その情報提供は正直ありがたい。
「まじか」
颯太はどんぶりに残ったうどんを一気に口の中に頬張る。
「うん。女子はバレーだって」
想像した。
バレー部の天川。赤いブルマに白い体操服。弾ける汗と弾むボール。そして、胸。
むせた。
「ちょっと、カレー飛ばさないでね」
由香里は距離を取る。
そんなこと知った事か。
颯太は立ち上がり、返却口にトレーごとカレーうどんをたたき付けると一目散に食堂を飛び出した。
「おっと」
ぶつかったのはアクセサリーこと大沼だった。女子が大好物な甘いマスク。それが怒りに歪んだが一瞬だけ見えたが、未完成だったが爽やかな顔を見せて会釈された。
ケッ。
心の中で仕返しをする。仇敵でもある男の笑顔ほど腸を煮えたぎらせるものはない。
颯太は廊下を走る。途中、振り返ると食堂で大沼と由香里が話しているのが見えた。
ずきりと胸が痛んだことに目をそらして、踵を返した。
学校の正面を牛耳る生徒玄関には、部員募集の張り紙が張られている。二週間前にはびっちりと埋め尽くされていたが、その募集はほとんど終わっていた。
残された紙は三枚だけ。
ラグビー部と女子バレー部と化学部だった。
魅力的な部活動は残っていない。どこの部活も人員不足だろうと高を括っていた。
それがまさか文芸部すら募集をやめてしまっていた。
ラグビーは絶対に嫌だった。何といっても、そんな汗臭い青春は向いていない。
女子バレー部は論外。となると、選択肢は化学部しかなかった。
まいった。
入りたいと思うような部活はない。おそらく去年も同じような人間がいたのだろう。
期限ぎりぎりになって、こうして生徒玄関で張り紙を見つめ、絶望に打ちひしがれる。
化学部。
残された選択肢の中では一番マシな気もするが、いかにもオタクが集まるような部には入りたくない。
メガネをかけてもじゃもじゃの頭の男が部長に違いない。挙句、みんなフラスコをもってニタニタ笑うのだ。
想像するだけでも恐ろしい。いっそのことオカルト部の方がはるかにマシだ。
誰かが歩いてきた。
ふと視線を向けると、天川だった。
一瞬、颯太に視線を向けるが、すぐにそらされてしまった。
おそらく天川も先生に言われたのだろう。募集もそろそろ終わるから、自分の入りたい部活くらい決めなさいとかなんとか。
ここに同志がいる。
例え、それが宇宙人だったとしても喜ばしいことだった。
「天川も部活?」
こくん。
そう言えばテレビでこの前、人型ロボットが特集されていた。生放送だとかで人間の質問に答えるというやつだ。
その時もロボットは歪な笑顔を浮かべながら、こくんとうなずいた。
今の天川は同じ動きをしていた。
「なに部に入るの?」
逡巡。
わずかに眉を顰め、そっと指を持ち上げる。かと思うと指先は空中を彷徨った。
その目はわずかに驚愕している。どうやら天川も残された部活動があまりにも少ないという事実に気付いたらしい。だが、彼女が驚愕している理由は別にあった。
天川はそっと化学部と書かれた紙に指を走らせた。
あー、やっぱそれか。
「よ」
意を決したかのように天川は口を開く。颯太を見つめる目は真剣で、固く結ばれた口は何かを紡ごうとぷるぷると震えている。
「よめない」
よっぽど恥ずかしいのだろう。
天川の顔は真っ赤だった。
思わずニヤけてしまった。それを見て、天川は颯太から視線を逸らすように俯いた。
「かがくぶ」
読み方を教えてあげると天川は笑った。母親が子供に文字を教える感動というのは、こういったものだろう。
「化学ってわかる?」
フルフルと首を横に振る。
正直、颯太も化学などわかっていない。
「もじゃもじゃ頭でニタニタ笑う人間が集まるところだ」
適当に言うと天川は疑問符を浮かべる。子猫が初めて見るものに対して首をかしげるような動作と似ている。
「この部に入部するにはまず、頭をもじゃもじゃにしてニタニタ笑う練習をしないといけないんだ」
悪戯心がくすぐられた。
無知な相手をからかうなんて、立派な人間のすることではないだろうと思いつつも、楽しく仕方なかった。だが、彼女の目には颯太の頭がブロッコリーみたいにもじゃもじゃになり、いやらしい笑みを浮かべているところが投影されていた。
天川の顔がみるみる内に青ざめていく。
「そうたも、もじゃもじゃ?」
じっと見つめられた。その目にはもじゃもじゃ頭でニタニタと笑っている自分の姿が映っていた。
「ジョークだよ」
額に汗が浮かぶのを感じつつ、そう笑うと安心したように天川もほほ笑んだ。
「なぁ、天川」
蝉が鳴いている。
まもなく昼休みが終わろうとしている。
誰も通らない生徒玄関の前。あけ放たれた廊下の窓から心地よい風が流れてくる。
お前は何なんだ。
そう問いかけようとした直後、校内にサイレンが響いた。
それは避難訓練でしか聞いたことのない悲鳴。
時間が呼吸をすることをやめた。
食堂では返却口でぽかんと口を開ける山村がいた。由香里は大沼に手を引かれ、二年生の教室に向かう途中だった。
体育館ではバスケットボールがころころと転がっていた。




