第六話 誰でもない 後編
麗しの女教諭幸村理恵は美人であることを自負している。だが、車のミラー越しに映った自分の顔を見て、ため息を吐き出した。
過度のストレスと洗顔のケアを怠っていたため、肌荒れが目立つ。二〇歳を越えたら、これはニキビではなく吹き出物だ。なんでよりにもよって、そんな名前なのか。
額に目立つぷっくりと膨らんだ仇敵を睨み付ける。それは体の一部でありながら忌々しいことこの上ない。
「はぁ」
そのため息は、吹き出物に対するものだけではなかった。
ミラーを傾ける。そこには天川結衣の抜け殻がいた。
天川を回収したのは幸村が潜伏していた森の中だった。突然木々の隙間から現れたかと思うと幸村の顔を見て泣き出した。
幸村はその事情を知らない。ただ、血に濡れた制服と腕に抱きかかえた突撃銃。そして、神崎颯太の姿がない理由が同一のものであると推測した。
食事すらまともに喉を通らない、といった状況だ。
顔を合わせた最初に「颯太が」と一言鳴き声をあげただけで、それ以降はずっと、後部座席で幽霊のように過ごしている。
本来なら二人を逃がして、その恋を応援しようと思っていた。
正式名称なし、所属なしの政府直下の特務機関である黒のスーツの一団。
人々は彼らを様々な名前で呼ぶ。MIB、葬儀屋、宇宙人、誰でもない者、名も亡き死体、様々だ。
幸村が個人的に気に入っているのは名も亡き死体だった。
アメリカにいた時の恋人もジョンだった。
兵士となった以上、兵士は国や家族や恋人のために戦う。男は特に忠義や英雄願望と言ったものが強いから、それを掲げて死んでいくことに喜びを感じている。だが、女とは違う生き物だと幸村は思っている。
女は男と違い、生産する生き物だ。生きて帰り、その人との間に子供を作りたい。
その子供の成長を見届けたいと思うのが女なのだ。もっとも、幸村の恋人はすでに結婚し、他の女と子供をもうけ、つい最近戦死した。
それでも、兵士となったとしても幸村は女なのだ。それはどれだけ捨てたつもりであっても、しっかりと根付いている。
今でも幸せな家庭というものに憧れを持っていた。そして、それは押しつけなのかもしれないが、天川にも同じものを見せてあげたいと思った。
幸村に知恵や知識、銃の扱いからナイフの扱い。命の価値観、戦場で持たなければならないものから、持っていては邪魔になるものまで幸村は真田と共に教えた。だが、二人が教えることが出来なかったのは恋だった。
言葉には表現できない感情。それを持つことで初めて味わうことの出来る感情。
幸村は一生懸命それを伝えたが、ついにはあきらめざるを得なかった。
「嫌でもするさ。そのうちな」
真田はただそう笑った。だが、そんな悠長に待てないと幸村は怒り、それだけは教えたかったが、いつしかそんな暇もなくなった。
二〇世紀を迎えると同時に二人はミルキーウェイ計画に参加した。二人に与えられたのはウッドペッカーのパイロットを兵士として育てること。
パイロットしての性能は十分であると天川を紹介してくれた学者は誇らしげに語った。
代替品はないから、故障させないでくれ。
まだ天川結衣という人間はそこにはいなかった。ミルキーウェイという商品名を付けられたロボットがそこにいただけだった。
彼女を人間にしたのは、幸村と真田と共に関わった人々のおかげだった。だが、何がどう作用したのかは今となってはわからない。
ただ、彼女を少女から女性へと昇華させたのはまぎれもなく、神崎颯太だった。
幸村には決して教えることの出来なかったものを与えた。それまでの天川は本当に機械のように戦う死をも恐れぬ戦闘機乗りだった。
殺すことにも、死ぬことにも恐怖しない彼女が、神崎颯太との出会いを機に死にたくないという思いがあることを知った。
それを邪魔なものだと考えるものもいたが、戦場を共に駆けた仲間だからこそ、それこそが大切なものだと考えた。
真田も同意見だった。本来なら彼の記憶を完全に消去し、二度と二人が触れ合えない環境を作ることを命令されたが、真田の意向により天川と颯太の接触を図ることになった。
それは上層部の意見に反抗するように作用した。天川の精度はより高密になり、地球という星そのものに愛情を抱くようになった。
わずかな罪悪感もあった。天川の気持ちを利用して戦わせる。なんともあくどいやり方のように感じられた。
ただ、それでもいいと思えた。
天川の表情がいつにもまして柔らかい。恋する乙女の笑顔をみんながまた守りたいと思った。
命令されて彼女を守るだけだったが、兵士たちも次第に彼女の恋を応援するようになった。
すべていい方向へと向かっていたはずだった。
「なんでこうなったかなぁ」
今はどこへ向かえばいいのかわからない。
元々行くあてなどなかった。どこかに行き、そのどこかにある安住の地を与え、その恋を少しでも実らせてほしかった。
天川の平穏のためなら、死んでもいいと思った。それが彼らを名も亡き死体として、誰の記憶にも残らない戦いに身を投じることになろうとも。
誰でもない者と存在している彼らの存在する価値が地球を守るなんて漠然としたものよりも、一人の少女を守るためにあると思える方がよっぽど彼らの闘争本能を掻き立てた。
「結衣ちゃん」
背後にいる天川に呼びかけた。
天川は沈んだ表情のまま目だけ動かして、ミラー越しに幸村を見た。
「海いこっか」
それは地球最後の傷心旅行かもしれない。
幸村はアクセルを踏んだ。そのタイヤの跡を追いかける者がいることを二人はまだ知らない。
こちらエイワックス、エリツィン応答しろ。
こちら真田、その名前で呼ぶな。どうした。
タロンに動きがあった。
説明しろ。
大気圏外にて確認。複数機のタロンがロシアに対して攻撃を開始した。その数は不明、少なくとも一〇〇と予想される。
ロシアに?どういうことだ。
わからん。それも空軍基地に対して集中的にだ。
こっちに対しては都合がいいな。
よすぎるくらいだ。公にしている基地はもちろん、我々にも把握されていない地下基地にまで攻撃を仕掛けた。
ほう。そりゃまた随分と。
だが、妙な点もある。
どういうことだ?
中途半端なんだ。奴らが攻撃したのは表面だけだ。ろくに戦闘機を破壊したわけでも殺戮したわけではない。まるで、警告だ。
ロシアは俺らがゴーストと組んだと思っている。その上で日本を襲い、今度はロシア。戦力を削ぐための攻撃ではないとする、と。
ロシアの攻撃目標は改めてアメリカへと向けられる。向こうはスワローズのような変体機体しかない。だが、その数は、
数百で済めば、まだマシだな。
あぁ、だが、このままだとゴーストの狙いは、
第三次世界大戦ってか。
そう見て間違いないだろう。自分たちの手を汚さずに、国と国とを潰し合わせるつもりだ。
厄介な連中だな。
引き続き観測を続ける。あ、そうそう朗報がある。キャットを捕捉した。
でかした。今はどこだ?
お前たちの現在地から東に移動中だ。直線的に移動している。そのまま向かえば海に出るだろう。
海か。幸村だな。
幸村も一緒なのか。
あぁ、上司にボロクソ暴言吐き散らして去っていったよ。だが、奴は俺よりも優秀だ。予想通りキャットを確保してくれたようだ。
泳がせてたのか。
地球は俺にとってはデカい庭だ。犬を放てば、ちゃんと飼い主のところに帰ってくる仕組みになってるんだよ。
神にでもなったつもりか?真田。
まぁ、そんなところだ。
あまりでかい口を叩くなよ。お前は誰でもない。
わかっている。だが、名も亡き死体でもない。
まだな。
あぁ、そう願う。




