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天の川に花束を ~Lost Love Song~  作者: RUIDO
第三次空襲警報 消失した日々
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第五話 沈黙した約束 1/4

 三国直子みくになおこは誰よりも頑張っていた。その頑張りを誰もが認めていた。

「ただいま、今日は大変だったよ」

 まるで、そこが自分の家であるかのように、三国は山村達人やまむらたつひとの病室に戻ってきた。

 溌剌はつらつとした三国の声に山村はわずかに反応する。ゆっくりと目を動かし、その瞳に三国を映した。

「今、ごはん用意するから。ちょっと待っててね」

 まるでお母さんだった。少しだけ汚れた白衣を脱ぎ捨て、部屋の隅の椅子に畳んで置いてあったエプロンを身に着ける。

 最初は体を覆い隠すことが出来なかったエプロンだが、この数日で随分とやつれたものだ。

 疲労を感じつつも、今までの人生で成しえなかった偉業を達成していた。

 何度諦めてもダイエットには成功しなかった。成長期の女子にとって、睡眠と食事はないがしろにすることが出来なかった。

 今はただ、何の努力もせずに体重が減っている。そんな小さな幸せが、少しだけ、心の端で三国を奮い立たせていた。

 食堂からせしめてきた食料を用意する。タッパに入ったスープをお椀によそい、病院食のように味の薄いおかずを皿の上に寝かせた。

 今の旭山市に米などはない。代わりに出てくるのはいつもふかした芋だった。

 最初こそ嫌気が差していたが、人間とは慣れるものだ。そもそも三国に好き嫌いはない。口がそれを含むことに抵抗を失くすと、今では口に近づけただけで、掃除機のように吸い込んでしまう。

 我ながらデブでよかった、と喜び、内心、少しヘコんだ。

「今日も昨日も同じ献立だけど、我慢しなよー」

 から元気を絞り出す。三国は三浦が座っていた椅子に座り、そこから子供のおもりをするように食事を与えた。

 山村は一生懸命口を動かした。三国の成果の賜物だろう。山村は日に日に元気になっていた。

 食欲もどんどん増えている。相変わらず食べるのが下手くそだが、次の一口を求めるように、口が空っぽになってもパクパクと動かしていた。

「そんな急がないの」

 三国の言葉は届いているのか、三国にはわからない。ただ、自分の子供にでもなってしまった想い人の成れの果てに愛情を注いでいた。

 それがただの自己満足であるということに、疑問を抱かなかった。ただ、考えることを止めた。

 誰もいない病室で、抜け殻の少年に食事を与える。そして、返事のない問いかけを投げつける。

 それが返ってこないことを知りながら、三国はそっと言葉を紡ぐ。

 今日はどんなことをしたのか。何が大変だったか。

 壁に向かって報告をしている。

 返事がないことを知りながら、今日を紡ぐ言葉の端々に漏れた愛情に、山村はぼんやりと視線を向けていた。

「結局、吉野よしののヤツ家にいたんだってさ。まぁ、紗枝さえも行く宛ないから、ちょうどいいかもね。なんか吉野、紗枝のこと好きっぽいし」

 返事が欲しかった。

 好き、という言葉を久しぶりに口にした。

 心に余裕が出来てきたのだろう。そんなことを考える暇など、最近はなかった。

 誰が好き、とか、誰が付き合っている、とか。

 女子高生になったら、毎日そんな話でゲラゲラ笑っているものだと思った。そして、いつの日か、周囲でゲラゲラ笑っていたはずの自分が、中心になって他の友人にゲラゲラ笑われるのだ。その真ん中で食事することしか知らない三国の口が、恥ずかしそうに閉ざされている。

 そんな甘酸っぱい青春を送っているはずだった。

 誰が好き、とか、誰が付き合っている、とか。

 今はどうでもよかった。

 そんな感情を持っていたことも忘れていた。

 それでも、目の前で一生懸命ご飯を食べている山村を見ていることが幸せと感じていた。

「ねぇ、あんたさ。いっつもモテようと必死だったよね」

 どうして今になって、そんなことを話しているのだろう。初めて過去の話をした。

「でも、みんなキモがってたんだよ。山村はそういうのしない方が、まだモテたよ。面白かったし」

 山村の瞳は、次の食事を求めていた。

 箸から蓮華れんげに持ち替えてスープを口に運ぶ。

「どんだけ女に飢えてたのさ」

 どうせ答えはしないのだ。あの時に言えなかった言葉を、文句を並べてやろうと思った。

「合コンの時もびっくりしたわ」

 手を握られたのだ。そして、必死の形相で、お前がいい、と言ってくれた。

「あんな恥ずかしいセリフよく言えたよね」

 あれは告白だった。

 山村にそんな気はないのは知っている。ただの友人にしかなれないこともわかっていた。

 山村がしゃべらないのをいいことに、三国は都合のいい思い出として、胸に秘めていた。

「私の手を握ってくれたのは、あんたが初めてだよ」

 ブスとか言ってくれた方がよかった。そうやってキッパリと斬り捨ててくれたら、どんなに楽だっただろう。

「よく電話したね」

 二人で恋バナをして盛り上がった。

 どんな恋がしたいか、どんな人が好きか。

 山村の言葉はいちいち三国を傷つけた。

「あんた、あの時私の気持ちに気付いてたんでしょ?」

 山村の好きなタイプは、細身で、物静かで、小柄な人。絵に描いたようなお嬢様がいい、と笑った。

 そんなヤツはいねぇ、と三国は涙を溜めて笑った。

 あの時に失恋していた。けれど、嫌いだと言われた訳じゃなかった。ただ、好きじゃないだけ。

 頑張ろうとは思わなかった。どんなに頑張ってもダイエットは成功しないし、努力で背丈は縮まない。三国が物静かになると、おなか壊したの?なんて聞かれた。

 絵に描いたようなお嬢様にはなれなかった。

「山村と直子はお似合いじゃん」

 放課後、夕暮れの教室で藤田由香里ふじたゆかりは笑った。細身で小柄で、物静かにしていても絵になる彼女はそう言った。

「そ、そうかな」

 大きな体が小さくなった気がした。ただでさえいつも暑いと感じていた教室が、その時はいつもよりずっと暑く感じられた。

「そうだよ。二人のやり取りなんて夫婦めおと漫才みたいだもん」

 二人の距離は近づいていた。でも、二人の間にあるのは友情という壁だ。その壁の分厚さを三国は知っていた。

 その壁を塗り固めたのも、三国自身だ。

 身を退くことも進むことも出来ない。ただ、その壁の分厚さに安心していた。

 それ以上、近づくことを拒む壁は、次第に二人の絆の強さを表すようだった。

 いつしかその壁の冷たさが、壊れないという安心感を抱かせてくれていた。

「ねぇ、山村」

 いつか形が変わればいいと思っていた。

 皮肉にも、今はその形が歪に変形している。おかげで、三国は山村の傍にいられる。

「好きって言ったら迷惑?」

 山村の視線空中を泳いでいた。

 この状況を悪くないな、となどと思ってしまう自分を、少しだけ責めた。

 山村の口が動いた。それは食事を求めるものでも、三国の問いかけに対するものでもなかった。

 かすかに聞こえた吐息のような声は確かに三国の耳に届いていた。

「え?」

 誰が好き、とか、誰が付き合っている、とか。

 今はどうでもよかった。

「三浦は?」

 吐息と共に確かに聞こえた音色は、失恋の音に似ていた。

 

 神崎颯太かんざきそうたは歩き続けた。苦痛の伴う鬼ごっこだった。

 天川結衣あまかわゆいと共に走り続けた。時折背後で聞こえるロシア語の怒鳴り声が、どこまでも追いかけてきた。

 山の中を走り、ずいぶんと遠回りした。

 眠ることも出来なかった。闇の中、視界の端っこで、まばゆいライトがチラついた。

 追いかけられ、疲れていた。

 もう追手が来ない、と天川が銃を下ろしてからも、実態のない足音はいつまでも追いかけてきた。

「大丈夫」

 気が狂いそうになると、颯太は膝を抱えてしゃがみこんだ。怯えた子供のように、縮こまる颯太に天川は手を差し伸べた。

「私が守るから」

 ただ、そればかりを繰り返した。

 目の前で、天川が発砲した時から、天川に対する恐怖は消えなかった。

 その母親のような優しい声色さえも、小さな唇から覗いた白い歯さえも怖かった。

 その小さな歯が颯太を咀嚼する夢を見た。

 落ち着く夜はなかった。壊れてしまいそうな頭を支えてくれたのは、親友の存在だった。

 頭の中に響く親友の笑い声が、次第に明瞭になっていく。

「一目ぼれか」

 天川が転校してきた初日。放課後の帰り道。

 山村は得意のニヒルな笑みで、そう問いかけた。

 あの時は頬に熱を感じ、言葉を返せなかった。

「お前、天川が好きか?」

 今、目を閉じると山村が笑っている。そして、あの日と同じ問いかけを投げてきた。

 あの時の熱とは違う。氷のような冷たさが、鋭利な刃物のように心臓に突き刺さった。

 血とは違う冷たいものが流れていく。

「大丈夫」

 天川はそう言葉を繰り返し、颯太を抱きしめた。

 耳障りな心臓の音が、颯太の体を縛り付けた。

「私が守るから」

 その声に縛られながら、まどろみの中へと身を投じる。天川の熱を感じながら目を閉じると、自然と思考は暗闇の中に落ちていった。

 心は拒絶しながら、そのぬくもりを体は求めていた。

 逃げ出そうとは思わなかった。ただ、傍にいてくれることに安心していたのは事実だった。どこかで心がざわざわしていたのは、天川を人間だと思えなかったからだった。それと気づいたのは、七月一日だった。

 蝉の声に叩き起こされた。木々の生い茂る森の中で、二人は眠っていた。

 屋根のある場所で眠ることは出来なかった。

 四方を何かに囲まれることが怖かった。その一枚隔てた壁の向こうで、物音がするだけで天川の目つきが変わった。

 そのたびに颯太は身を縮めた。

 目が覚めると足跡をごまかすようにグネグネと森の中を進んだ。どこかで物音がすると天川は首から下げた鉄の塊を向けて、それを確認しに行った。

 時折、銃声が短く声を上げ、天川はウサギやキツネの死体を持ち帰ってきた。血がこびりついたアーミーナイフを使い、慣れた手つきで皮をはぎ取り、夜には丸焼きにして食べた。

「大丈夫」

 初めてウサギを口にするとき、天川は笑った。そう笑いながらウサギの足を食いちぎる。

 大丈夫。

 その言葉は一日に何度も耳にした。颯太が疲れた時、足を止めた時、何かに怯える時、眠る時。

 その言葉の意味が次第にわからなくなっていた。

 森を抜け、やっとかつての街が見えてきた。崩れた建物が目立つものの、かつての様相を呈している。

 それが救いだった。だが、そこかしこにロシア軍のテントが張られている。

 公園や学校の校庭、駅前の広場にもある。

 かつては日本を守るために現れた兵士たちは、今では強大な敵だった。

「これからどうするの」

 天川の問いかけに、とっさに言葉が出なかった。

 その後のことなど考えていなかった。いや、考える気すらなかったのかもしれない。

 ロシア軍に保護してもらえるとどこかで思っていた。だが、今は天川と共にロシア軍に追われる身だ。

 このままのこのこと顔を出せば、どんな目に遭うかわかったものじゃない。

 天川を知っているというだけで暴行されたのだ。天川といるところを見られただけで、銃口を突きつけられ、殺されてしまうんじゃないかという不安が大きい。そして、その事実を天川に対して告げる気にはなれなかった。

「わかんない」

 なんと言葉にしたらいいのか、わからなかった。

 天川は一度、ぎゅっと口を結ぶと颯太の目をじっと見つめ、少しずつ語り始めた。

 それは一つの約束だった。

 天川の顔はロシア軍に割れている。だが、颯太の顔は割れていない。

 少なくとも天川と一緒にいるところを見られなければ、ロシア軍に怪しまれるようなこともないだろう。だから、ここからは颯太一人で行かなければならない。

 突然突き放されたような言葉に颯太は不安を感じずにはいられなかった。

「大丈夫」

 天川は優しく目を細め、白い歯を見せた。

「ここで待ってる。颯太が来るまで、ずっと待ってるから」

 大丈夫、もう一度そう言って、一時の別れを惜しむように天川は颯太の体をきつく抱きしめた。

 耳に馴染んだ言葉が、その言葉を紡ぐ天川の声が、不思議と颯太の不安を柔らかくしてくれた。

 どうして傍にいるの。

 颯太にももうわからなかった。ただ、ここに天川がいるという安心感が、颯太の足を駆けさせていた。

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