第二話 水曜日のカムパネルラ 後編
神崎颯太の知らない現実が流れている。そして、そこにあの日の夢がこぼれ落ちている。
今、それをもう一度掬い上げる。
午後の授業はゴリ松の授業が最後だ。それが終わると教室で眠るゾンビたちが起き上がる。
そこからが勝負だ。
謎の美少女転校生天川結衣はクラスで早々に浮いていた。
昼休みに学校に着いた時に感じた。
転校生というブランドは鮮度が命だ。一週間もすれば、そのブランドも落ちぶれる。だから、転校生はだいたい最初の一週間は周囲に友人候補やら恋人候補やらが群がっているものだ。だが、彼女は独りぼっちだった。
休み時間にも拘わらず、彼女はノートを開いていた。
ノートの隣には、小学生の頃使っていたような漢字ドリルが並んでいた。
帰国子女らしい。アメリカでは日本人が迫害されているとかで、日本へ帰ってきた。だが、生まれてからほとんど英語圏で暮らしていた彼女には日本語をしゃべる能力はなかった。
なおかつ人見知りな彼女は押し寄せるミーハーなクラスメイトの波に対抗しうる術はなかった。
彼女は泣き出してしまったらしい。おかげで、謎の美少女転校生は腫れ物のように扱われたのだ。
おかげで転校生というブランドは廃れてしまった。女子が集まらなくなると今度は男子が前線に飛び出す。
アメリカという未知の土地から飛来した美少女は、モテない男子にも希望を沸かせた。
ましてや冴えない颯太に話しかけるというシーンを目撃したのだ。自分にも希望があると勘違いした猛者どもは猪のような勢いで突進した。だが、泣きはしなかったものの彼女は翌日休んだ。
そのことにダメージを受けた男子一同も、やはり彼女を腫れもののように扱った。そして、今日颯太が見た光景へとつながった。
今は彼女はいるようでいない者だった。
ゾンビの眠りを妨げる鐘が仰々しく声を上げる。その声にゴリ松は垂れたよだれを拭き、ゾンビたちはのろのろと体を起こした。
「はい、日直」
重たそうな瞼をこじ開け、ゴリ松は授業の終了を告げた。
起立、礼。
いつも通りの作法に倣って頭を下げる。
ひと時の休息。
「よくねたぜぇ」
山村は欠伸をしながら振り返る。失恋の傷に痛む友を勇気づけようと机の中から「絶対モテる。余裕のある男」と書かれた雑誌を見せつける。が、そこに颯太の姿はなかった。
ふと山村が廊下へと視線を向けると、腫れ物転校生の手を引いて消えていく颯太の背中が見えた。
「あーらら」
余裕のある山村は焦らない。なぜなら、その方がモテるからだ。
廊下へと飛び出した颯太は背後に戸惑いを感じていた。手のひらから伝わる緊張。
じっとりとした汗が全身を包み込む。
蝉が泣いている。
ホームルームを知らせる鐘が鳴る。その鐘の音と同時に手のひらから焦りを感じた。だが、そんなことを気にしている場合ではない。
聞きたいことが山ほどある。だが、声を大にして問いかけることは出来ない。
問題が問題なのだ。
人目につかないところを探す。
校舎をぐるりと回り、裏へと向かう。一度、裏口を通って校舎の裏へと回る。
非常階段を見つけるとそこを駆け上がる。体力のない颯太にはいつもなら半分も登れば息も絶え絶えになっていたことだろう。だが、今は高鳴る胸を抑えつけるのに必死で自分の体が悲鳴を上げていたことに気付かなかった。
最上階へとたどり着く。非常階段は屋上へと伸びている。屋上が最適だと思ったが、今どき屋上を開放している学校などなかった。
非常階段の最上階。三年生の教室が並ぶ廊下を覗く踊り場に二人は立っていた。
質問しようにも声は出なかった。かすっかすの吐息が喉からあふれ出す。
壊れたラッパみたいな音が喉元から走り出す。ふと見ると天川はロボットみたいに突っ立っていた。
息も切れていないし、汗もかいていない。はじめからそこにいたみたいな顔をしている。
天川はただじっと颯太の息が整うのを待っていた。
二度、三度と深呼吸を繰り返し、ようやく声を出す準備が整う。
「俺に何をした」
その問いかけを見透かしていたのか、天川はただただ冷静だった。心の内を何も映さない瞳が、ただ颯太を映している。
魔法使いに睨まれた剣士だ。どれだけ剣を振り回しても、魔法使いの前には届かない。
「ブレインマシンインターフェースを使った」
聞いたことのないような言語のような発音だった。韓国語と英語の間のような響きだった。
何をしゃべったのかはわかるが、何をしゃべっているのかわからない。
そんな感じだった。
質問はそれだけ?
天川は目だけで問いかける。彼女が放った言葉が、すべてであり、一部だった。
見えない壁で心臓を圧迫しているみたいだった。
「俺の記憶はどうなったんだ」
その質問に天川はじっと沈黙する。
それがまるで答えだというように。
ふいにアラームが鳴った。デジタル音が沈黙を拒絶する。
天川は一瞬ためらいを見せながらも、右手を耳の裏に添え、宇宙語を話しだした。
まただ。
聞きなれない言語が目の前を飛んでいく。右耳を貫き、左耳から出てって空へと逃げていく。
何を話しているのか、誰と話しているのか。そもそも耳の裏に何があるのか。
颯太には見当もつかない。
一通り、通話(?)を終えたらしい天川は、何も言わずに颯太に背を向けた。
下校を知らせるチャイムが静かに鳴った。
「ブランコ」
ぴたりと足を止め、小さくつぶやいた。
その声は蝉の声にかき消されそうになる。
「え」
間抜けな声に促されるように天川は次の言葉を紡いだ。
「ありがと」
颯太の記憶にはない二人が再会した水曜日。
その意味を知らない颯太に告げられなかった言葉の先を続けた。
「またやろう」
今の颯太はすべてを思い出した上で、そう宣言した。
相手は転校生で美少女で腫れ物でロボットで魔法使い。
軽やかに駆け出す背中を見送った。
その背中をいつまでも見送った。
階段を駆け下り地上へたどり着き、その背中が小さくなる頃、ようやく転校生は振り返った。
魔法使いは去り際に魔法をかけていった。
大きく手を振り、またね、と呪文を残した。蜃気楼のように揺らぐ精いっぱいの笑顔が、颯太の頭を支配する。
顔を真っ赤にして、笑っていた。楽しさとか嬉しさとか、そんなものよりも必死さが表に出ていた。
思わぬ不意打ちに恋をしたんだと思った。
質の悪いジョークだ。




