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天の川に花束を ~Lost Love Song~  作者: RUIDO
第三次空襲警報 消失した日々
39/82

第三話 ポグロム

 貨物列車がカーブに差し掛かるとき、速度が落ちた。長い貨物列車が曲がるには必要以上にスピードを抑えなければならない。

 天川結衣あまかわゆいは拙い言葉で神崎颯太かんざきそうたにそう説明した。

 この列車は軍の車両であり、民間人がこれに乗っていることが見つかってしまうといいことはない。だから、駅に着く前に降りようと天川は提案した。

 そんなことできないと颯太が言うと天川は先ほどの説明を繰り返す。

 気を付けて飛び降りれば、怪我はしない、と天川は言った。その言葉を鵜呑みにして、旭山市より手前の地点で走る列車の上で足元を見下ろしていた。

 今なら大丈夫と天川は言ったが、とてもそんな気はしなかった。言うなれば走っている自転車から飛び降りるような感覚だ。

 車から飛び降りることに比べればいくらかマシだろう。だが、ただの高校生に、一六歳の一般人にとって、それがどんな励ましをしたところで、出来るわけではない。

「颯太、早く」

 天川の視線を追いかけると列車の後方の車両がカーブに差し掛かろうとしているのが見えた。

 最後尾の車両がカーブを曲がり切ってしまうとスピードが上がる。

 そうなれば、あとは駅まで一直線だ。もう降りることは出来ない。次に降りる時は、神崎颯太は不審者としてロシア軍に捕まるのだろう。

 それだけは避けねばならない。そうとわかっていても、足がすくんでしまう。

 テレビや映画で見た時はもっとゆっくり見えたはずなのに、今目の前を過ぎ去っていく光景は、とてもじゃないが飛び降りられるようなものではない。

 初めてブラウン管の向こうのヒーロー達の勇気の強さを知った。

「行こう」

 恐怖におののく颯太の手を天川がそっと掴んだ。それは恋人や友達が握るような感じではない。手首をがっしりとつかみ、決して離さないとでもいうようだった。

 天川の体が宙に浮いた。

 怖かった。

「颯太!」

 足がなまりのように重くなった。気が付くと颯太の手から、天川の手は離れていた。

 視線を向けるとごろごろと地面を転がる天川の姿がどんどん離れていくのを見えた。

 何やってんだ、このヘタレ。

 自分自身への悪態をついても、事が好転するわけではない。だが、自分自身への呪いの言葉を幾千並べても足りないだろう。

 颯太は飛び降りることが出来なかった。

 天川が珍しく大声を張り上げながら列車を追いかけてきた。その声の力強さを耳にしても、飛び降りることが出来ない。

 天川が離れていく。そして、列車のスピードはどんどん上がっていった。

 もうとてもじゃないが飛び降りることの出来る速度ではなかった。

 ため息を吐き出し、項垂れるように腰を下ろした。

 開ききった扉から刺しこむ夜の風は、颯太を責め立てるように冷たく肌に突き刺さった。

 

 夜が明けて、列車が止まったことが分かった。

 ろくなことにならない。

 天川の言葉が脳裏をよぎる。颯太は身を翻して立ち上がった。だが、貨物列車の中で、一つだけ扉が開いていることを見逃すはずはない。

 外へ出ようとすると軍服に身を包んだロシア人に鉄の塊を突きつけられた。

 それを胸に押し付けられた時に初めて、それが銃であることを認識した。

 羽交い絞めにされて駅へと連れていかれた。さながら捕虜にでもなったような気分だ。

 初めて言葉の通じない相手というものが怖いと感じた。

 椅子に座らされ、叱られた子犬のように項垂れていた。軍人はロシア語で怒鳴りつける。

 何と言っているのか、颯太にはわからなかった。

 どうして天川に続いて逃げなかった。どうして天川の傍にいた?追い払おうと思えばどうとでも出来ただろう。そんなに疎ましいと思いながら、お前は天川に縋っていただけだろう。好きだ?恋だ?そんなものお前の言い訳だ。お前は天川がパイロットであることを知っていた。だから、天川がいれば大丈夫だとでも思っていたのだろう。だから、お前は天川から離れられなかったんだ。弱い自分を隠すために、偽りの怒りを露わにしていただけだ。お前は卑怯者だ。何かあれば天川のせいだ。ここまでこられたのも天川のおかげだというのに、お前はこれも天川のせいだとでもいうのだろう。

 意味不明な言葉は、そう責め立てた。一つも理解できない巻き舌交じりの言葉の羅列は、颯太にはそう聞こえていた。

 何も答えないでいるとあきれたようにため息を吐き出し、軍人は席を立った。

 やがて現れたのはグレイのスーツを着た初老の男だった。元々綺麗なブロンドだったのだろう白髪は、光沢を放ち、銀色に輝いていた。

「やぁ、少年。ロシア語は難しかろう」

 男はややあって笑うと、温かいお茶を颯太に差し出した。流暢な日本語だった。

「なに、別に君を取って食おうなどとは思っとらんよ」

 男はそう言って煙草を咥えた。

「吸うかね?日本では法律で二〇歳未満の喫煙は禁止されているらしいが、我々の国では哺乳瓶の代わりにウィスキーを飲んでいたくらいだ。君が煙草を吸うことなど気にしないよ?」

 そう言って差し出された煙草を、颯太はそっと口に咥えた。男は灰皿をテーブルの中央に置くとゆっくりと煙を吐き出した。

「君のことを聞いてもいいかな?少年」

 名前、年齢、住所、趣味や女性の好み。たわいのないことを男は一通り尋ねた。言葉を吐き出すにつれ、颯太の口も軽くなってきた。会話の中には、少しずつ笑みすら見えるようになった。

「この少女を知っているかな?我々の友人なのだが」

 その質問と差し出された写真を見て、颯太の表情を凍り付いた。それと同時にしまったと思った。

「ユイ・アマカワを知っているな?」

 男の目は鷹のように鋭く吊り上がる。

「昔、日本の血が混じった子供に大事なものを奪われたんだ。私は私から大事なものを奪おうとする子供には、手加減は出来んが悪く思わないでくれ」

 颯太は言葉を失った。

 

 おい、知ってるか?例のガキ、ユイ・アマカワのことを知っているらしいぞ。


 本当か?ツイてないな。


 どうしてだ?ツイてるじゃないか。クリューブのパイロットの情報なんて写真と名前だけだ。年齢もどこにいるのかもわからなかったんだ。おかげで、クリューブのパイロットを捕まえられるかもしれないぞ。


 いや、俺たちはな、でも、お前も写真を見たろ?

 

 あぁ、見たとも。結構な美人だったな。ま、少し幼い気もしたが。

 

 そうだ。俺の娘と同じくらいだ。例の少年も。可哀想なもんだよ。

 

 考えすぎだ。

 

 時代が時代じゃなければ、戦争など知らずに生きていてもいい子供だろ。治安がいいって評判だった日本でも、こうして俺らが鉛をぶら下げて歩いてんだ。

 

 気にするな。俺らは仕事。巻き込まれるのも仕方ないさ。それに掴まったって殺されたりはしないよ。

 

 まぁ、な。でも、不憫でよ。

 

 考えすぎだ。それより、朝飯を食べよう。日本の梅干しは食べたか?

 

 いいや?なんだそれは?

 

 まぁ、食べてみるといい。カルチャーショックを受けること間違いなしだ。


 はは、は!?

 

 お前、いつの間に!?

 

 応援を!ぐげぇあ。

 

 あぁ、クソ!なんだこのガキ!

 

 銃声が響いた。それは颯太のいる事務所にもしっかりと聞こえた。一瞬だけ聞こえた銃声に誰もが反応した。

 入口に立っていた兵士が一度、部屋に顔を覗かせると、颯太の目の前に座る男と視線を交えると肩に提げていた銃を抱えて走り出した。

「君を奪いに来たのかもしれないな」

 男はそう言って短くなった煙草を灰皿に押し付けた。

「よかったな、これでしばらくは小突かれないで済むぞ」

 男の視線の先、颯太は椅子に手錠で縛られていた。そして、その顔にはいくつも痣が出来ている。

 小突いた程度ではない暴力の痕跡がしっかりと残されていた。

 銃声が響く。

「君を殺すつもりはない。だが、保身のためだ。悪く思わないでくれ」

 男はそう言って颯太の背後に立ち、こめかみに冷たい物を押し当てた。それが銃口の鉄の冷たさであるということは、それを見ずとも理解できた。

 銃声が近づいてくる。それにつれて男たちの悲鳴の数が増えていた。

 颯太の正面、壁に取り付けられた窓越しにロシア人が赤い血を噴き出して倒れた。

 窓ガラスにべっとりとこびりついた血を映画のスクリーンのような気分で見ていた。

 ガラスの端っこに天川の顔がちらりと見えた。

「ユイ・アマカワだな。武器を捨てろ。さもなくば、」

 男が言い終える前に、天川は身を翻した。スクリーンの向こうで風にたなびく長い髪。そして、向けられた銃口に颯太はとっさに体を椅子ごと倒した。

 傾いでいく颯太の視界の端っこで、銃声と共に窓ガラスが割れた。男もそれに応戦しようと天川に銃口を向ける。

 天川の放った弾丸は男の体に突き刺さる。衝撃に悶えながら、男は倒れたのが、颯太にもわかった。

 天川は首から突撃銃をぶら下げ、ガラスの割れた窓から素早く事務所内へと滑り込んだ。

 映画でも見ているようだ。天川は颯太の体を縛る椅子の足に銃を叩きつける。パイプ椅子はあっさりとその形を失い、するりと颯太の体を開放した。

 ようやく立ち上がると、背後に倒れた男が目を閉じて眠っている。

「颯太!」

 悲鳴にも似た天川の声に振り返る。

「ひっ」

 小さな悲鳴がつんのめるように喉元から突いて出た。

 天川の顔には赤い斑点が付いている。白いセーラー服も赤く汚れ、左腕からは赤い筋が垂れていた。

 恐怖した。逃げ出したかった。

 颯太を助けようと伸ばされた手を思わず拒絶していた。手の甲に天川の手の感触が残っている。

 天川は怒りとも悲しみともつかない表情を浮かべていた。その瞳にはただ、颯太の顔が映っている。その目は颯太の顔を、青く黒ずんだまだらを見つめていた。

 怒りが見えた。天川の表情に浮かんだ獣のような純粋な怒りに颯太の背中を冷たいものが走り抜ける。

 天川は凍てつくような冷たい眼差しを寝転がる男に向けた。そして、銃口を向ける。

「ユイ・アマカワ。お前には破滅ポグロムがよく似合うな」

 男は煙草を咥えた。

 天川の顔に浮かぶ表情のない殺意が、颯太にも伝わった。

「死ね」

 少女の声とは思えない低い声が、床を這って颯太を縛り付ける。

 タン。

 短く響いた銃声と飛び散った血、銃口からは煙草のような細い煙が立ち上っている。

 天川は静かに銃を下ろした。

 がちがちと奥歯が奏でるハーモニーは恐怖だ。

 どうして傍にいる?

 今、理解した。

 それは英雄に助けを願う民の声ではない。

 それは恋人に歌う愛のさえずりではない。

「いこ、颯太」

 振り返った天川は笑った。

 

 恋をした。

 質の悪いジョークだ。


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