第零話 祖国は聞いている 後編
「ヘリが来るぞ!格納庫を開けろ!」
サイレンが鳴っていた。ヘリが到着すると報告してくる四分前。ロックされた扉にロシアの兵士が気づいた。
ハッキングされ、鉄の扉を開くことが困難であると理解した彼らは強硬手段に出ようとしていた。
「C4《プラスチック爆弾》を設置!」
扉越しに聞こえた声に正宗は戦慄する。
「C4!離れろぉ!」
格納庫の扉は開かない。天井が開くと思っていた彼らは、ピクリともしないそれに戸惑いを隠せない。
「なんでだ。上が開かねぇと飛ばせねぇぞ」
真田が吠える。
幽霊機体には通常の戦闘機のようなエンジン部は見当たらない。ただ、そういう生き物だとでもいうようにそこに鎮座している。
「こいつの蓋開けろ!こいつを起動するんだ!」
真田の声に仲間が制御室へと走った。
直後、背後で爆発音が響き、唯一の出入り口である鉄の扉がぐにゃりと歪んだ。
時間がない。格納庫の扉はすでに開いているはずだった。今頃頭上には空が広がり、そこに帰還するためのヘリが下りてくるはずだった。
そうなれば、こんな地下深くの格納庫から、おさらばできるはずだった。
扉はもうすぐ破られる。それはすでにカウントダウンを開始している。
絶望がすぐそこまで迫ってきている。敵国に捕まればどんな目に合うかわからない。
それこそ互いに仕方なく戦場で出会った兵士であれば、命乞いをすれば何とかなるかもしれない。だが、ここはそんな場所ではない。
最重要機密が保持されている場所に、自らの意思で侵入したのだ。
根城を食い破ろうとするシロアリを見つけて、駆除しない人間などいない。
その時、何かが迫ってくる音が聞こえた。それは人為的な音ではない。
なだれ込むような絶叫だった。それは徐々に近づき、やがて格納庫全体を震わせる悲鳴となる。
「何の音だ!」
その時になって誰もが気づいた。
幽霊機体の目の前にあった壁が扉であるということを。
「コイツに掴まれ!」
真田の言葉にその場にいた全員が幽霊機体に飛びついた。
やがて、目の前の扉がゆっくりと口を開ける。その隙間から海水が入り込んできた。
扉が開く速度は遅い。おかげで瞬時に溺れるという悲劇は免れたが、脱出口が開かれた訳ではない。
死という言葉が頭に浮かんだ直後、正宗の目の前でコクピットが開いた。
中にはヘッドセットにサングラスが付いたようなものが一つ。そして、操縦席が一つだけだった。
それは無様な椅子取りゲームだった。死線を共に潜り抜けた仲間に拳を叩きつけ、足蹴にして、自身の命を守ろうと必死だった。
背後で再び爆発音が響き、鉄の扉が転がった。より一層仲間たちは仲間を蹴落とそうと必死になる。
正宗の耳元で銃声が聞こえた。
真田が拳銃を握っていた。それはコクピットに足を入れていた仲間の頭部に放たれた。
男は力なく倒れ、水の中に身を投じる。それを見て他の仲間が真田にとびかかる。
真田は容赦なく男の心臓を貫く。そして、最後に正宗の目を見た。
「行け」
ただ一言。真田は口を開く。それと同時に振り返り、背後にいたロシア兵たちに銃口を向けた。
「これが真田の意地だ、クソガキ」
銃声が響く。ロシア兵たちの銃弾は雨のように真田の体を貫いた。
本能的に動いた正宗の体はコクピットへと身を投じる。ヘッドセットを頭にかぶり、仲間たちの血がへばりついたコクピットの口を閉じる。
銃弾が襲い掛かる。頭上から、右から左から、反響する悲鳴に正宗は恐怖する。
わけもわからず操縦桿を握りしめた。直後、操縦桿から針のようなものが突き出た。
静電気が走るような痛みを手のひらに感じた。引きはがそうとすればするほど、針は手のひらに食い込んでいく。
獣がかみついた牙を獲物から引きはがすのを拒否しているかのようだ。
引いても操縦桿はビクともしない。痛みのあまり、正宗は操縦桿を思い切り押し出した。
直後、その動作に連動するように幽霊機体が前進する。
その時になってようやく気付いた。目の前にはいくつもの隔壁が並んでいる。
このまま前進したら壁に激突する。そう思った直後だ。背後で爆発音と衝撃が襲ってきた。
RPG《ロケット推進グレネード》だった。砲弾を叩きつけられた勢いで、正宗は操縦桿を前のめりに傾けた。
直後、爆発するような勢いで、幽霊機体は前進した。
まるで、目の前の扉など意にも介していなかった。扉をすり抜けるようにぶち抜き、その衝撃で海水がなだれ込む。
海水をかき分け、次々に隔壁を打ち抜く。それは海面を走る弾丸だった。
数枚の隔壁を貫き、海の中へと到達する。
『アメリカ人よ、聞こえるか』
それと同時に頭にかぶっていたヘッドセットから声が聞こえた。ロシア訛りの英語だった。
「聞こえている」
『応答してくれて感謝する。私はグレゴヴィッチ大尉だ。君の名前は』
落ち着いた声だった。まるで、友人に掛けるような優しい声色だ。
正宗が答えないとみると声はややあって笑った。
『早急に降伏し、それを我々に返してもらいたいのだが、そうすれば君の命は保証しよう』
沈黙を返すとグレゴヴィッチは嘆息を吐いた。
『いいか、アメリカ人。それは我々の努力の結晶だ。それを奪うことは我々ソビエトとの全面戦争を引き起こす引き金となる。お前たちの横暴なやり方で、罪のない人々が死へと追いやられるのだぞ。応えよ、アメリカ人!お前は終わろうとする戦争を繰り返すつもりなのか!』
感情をあらわにするグレゴヴィッチの言葉には必死さがあふれている。心から戦争を望んでいないとひたむきに訴えていた。
「お前たちがこんなものを持っているから、戦争が起きるんだ!兵器がある限り、戦争は終わらない!」
『バカを言え!野蛮人が!貴様らアメリカ人にはわからんだろうが、これは未来への希望なのだ!ルゥカヴァディーチリが我々を選び、我々を導いてくれたものだ!貴様らのような人種に、それを渡してしまえば、世界が滅ぶ!答えろ、アメリカ人!貴様は任務のために、世界を滅ぼすのか!そこに正義はあるのか!』
「聞け、グレゴヴィッチ。俺はアメリカ人じゃない」
『なに?』
「俺の名前は渉・ニコラエヴィチ・エリツィン」
『・・・エリツィンだと?』
「戦争はとっくに始まってる。俺が生まれた時から、正義も悪も関係ない。親父に伝えろ、あんたがこんなものを作った時から、斗いは始まっていた。この戦争は俺が終わらせる」
『勘違いするな、同志よ。よく覚えておくといい。その爪は始まりに過ぎない。いつの日か、アメリカの喉元にソビエトの爪が突き刺さる。それまでにせいぜい貴様の牙を尖らせておくことだ。我々の爪は数が多いがな』
「なら、お前も覚えていろ。真田の槍はまだ折れていない」
『あぁ、もちろんだ。祖国は聞いている』




