第一話 未知との遭遇 後編
神崎颯太はさかさまの体を重力に従ってゴロンと起こした。
彼女の視線を正面から受け止める。
嘴は神々しいくらい輝いたかと思えば、静かに色を失い、空気の中に溶けていく。
カメレオンもびっくりだった。完全に景色に同化していた。だが、ぼんやりとそこに存在していることも見て取れる。
アメリカの最新のステルス機でも、ここまで透明になることなんて出来やしないだろう。
これはなんだ。宇宙人か。
異文化交流をするなら、せめてハワイとかでしたかった。
女の子のような体つきのそれは嘴が消えるのを確認すると、無言でブランコへと歩き出す。
どうやら地球外生命体には、ここで呼吸する颯太よりもブランコの方がよっぽど興味があったようだ。
慣れた様子でブランコに腰を掛けると、下手くそな英語のような発音で何かをしゃべり出した。
右手をこめかみに当て、誰かと会話しているみたいに口を動かす。
いっそ幽霊とかの方がはるかにマシだった。なんせ幽霊でも言葉は通じるもの。いや、でも、話は通じないか。
奇妙な独り言を終えると宇宙人はちょっとずつブランコを漕ぎだした。
下手くそだった。
世界中でブランコの競技をしたなら、間違いなくコイツが最下位だ。
上からつるされた鎖を震わせているだけなのか。不可思議なリズムで両足を前へ後ろへと振り回す。
顔の半分を隠しているサングラス越しにも彼女から、ただならぬ必死さが伝わってくる。
一生懸命に振り回している。運動音痴なのか、リズム感がないのか。
どちらにしてもブランコが前へ後ろへと一回往復するまでの間に両足は何度も前後する。
それでは前へ飛び出る勢いが付くと同時に後ろへ下がろうとする勢いが邪魔をして、ブランコがブランコとして機能していない。
最初はただぼんやりと見ているだけだったが、気が付くと颯太はブランコの傍に立っていた。
彼女はいまだにぶんぶんと足を振り回している。傍に立ってもまるで眼中になかった。
わずかな好奇心が颯太の体を突き動かしていた。本来なら拘わらない方がいいのかもしれない。
ただ、幻想的な夜の闇が、不可思議な出会いが、歪な物語がここで始まる予感をさせていた。
颯太は隣のブランコに腰を下ろした。
「君は何なの?」
ぎっこんばっこんとブランコを漕ぐ少女に問いかけた。
背丈は小さい。胸も大きくはない。夜の雰囲気にのまれているせいかどことなく大人っぽい横顔を魅せた。
もう少しぎっこんばっこんしていなければ、思わず恋に落ちていたかもしれない。
彼女は颯太の質問などなかったかのようにぎっこんばっこん。視線を向けようともしない。
「宇宙人?」
首を横に振ってぎっこんばっこん。
コミュニケーションは取れるようだ。少なくとも日本語が通じるということにわずかな安堵を覚えた。
「ブランコやったことないの?」
再度、首を横に振ってぎっこんばっこん。
「よくここに来るの?」
ぎっこんばっこん。
今度は答えなかった。いくら質問を掛けても答えないだろう。颯太はゆっくりと地面を蹴った。
「こうやるんだよ」
颯太は目の前でブランコを漕いで見せる。彼女は何も言わなかったが、その目はしっかりと颯太を見ていた。
体が後ろに下がると足を引き、前に出るタイミングで足を伸ばす。体は徐々に重力に対して反旗を翻す。
それがよっぽど羨ましかったのか、彼女は颯太に負けじと激しくぎっこんばっこん。
ブランコはその場でがしゃがしゃと悲鳴を上げるだけで、前にも後ろにも進もうとしない。
思わずくすりと笑うと、ぎっこんばんっこんがぴたりと止まった。顔は颯太に向けられ、ブランコを漕ぐ颯太の動きに合わせてあっちへいったりこっちへ行ったり。
なんだかブランコを漕いでいることを責められているようだ。
その目に耐え切れなくなって、思い切り勢いをつけると、颯太は空を飛んだ。おぉ、と小さな吐息のような歓声が隣から聞こえた。
颯太の体は大きな弧を描いて、どすんと着陸した。
その姿を見て少女は口を半開きにしていた。直後、片言の英語で「エキサイティング」と声を出していた。
体操選手よろしく両手をびしっと上げると、彼女は小さく拍手した。
なんだかそれがとても誇らしいことのように感じられた。
彼女もそれを真似てみたかったのだろう。先ほどよりは少しマシになったぎっこんばっこんを繰り返すが、うまくはいかない。
「ちゃんとリズムを合わせて」
そういうと、こくん、と一つ頷き、颯太の声に合わせて足を引き、足を伸ばす。
「後ろに体を引いたら、足を後ろに。体が止まったら、ぐっと足を前に伸ばして」
ブランコのレクチャーをするのは久しぶりだ。高校一年生にして甥っ子が一人いる。
まだ叔父さんとは呼ばせていない。お兄ちゃんで通るのだから、お兄ちゃんと呼ばせている。
甥っ子はおにぎりみたいな体系をしていて、逆上がりは当然できないが、ブランコまで出来ないとは思っていなかった。
公園で熱血コーチのようにみっちり特訓した。ただ、最終的におにぎりはブランコを漕げるようになったが、調子に乗って羽ばたいてしまった。
飛べない豚は何とやらという言葉でも思い出したのだろう。彼は打ち上げロケットのように宙を舞った。だが、付け焼刃の翼では、その巨躯を支えることは出来なかった。
打ち上げは失敗。エンジンは思わぬところから火を噴いた。アポロは月面ではなく、公園の地面に墜落した。
月へと伸ばされた手はどすんと大きな音を立てて土煙を立てた。おにぎりは転がった。そんなことをふいに思い出していた。
嘴に乗って現れた彼女も、調子に乗って飛んで失敗したらどうしようと不安がよぎる。だが、彼女は空から来たのだ。
初めから翼を持っていた。飛ぶことを優先して進化した鳥のように、そうあることが当たり前かのように、彼女は勢いをつけたかと思うと飛び立った。
飛び方は最初から知っていたのだ。
颯太が飛べと命じるよりも早く、月のない空に魔女はほうきもなく飛行する。
あっけにとられた。ついさっきまでぎっこんばっこんしていた体は優雅に弧を描いた。
そこらへんの体操選手でも彼女ほど綺麗なフォームで空を飛ぶことは出来ないだろう。
タン、と軽やかな音を立てて彼女は不時着した。見事な着陸だ。
それは一九六一年に初めて宇宙へと飛び立ったガガーリンの姿を連想させる。
彼女の背中が無事に不時着したことに感動している。震える肩はまるで彼女が昇進でも成しえたかのような達成感を感じていた。
得意げに振り返ると颯太を見つめ、びしっと両手を上げた。
思わず颯太は両手を叩いた。手のひらが火星よりも真っ赤になるまでたたき続けた。
プー、と控えめなクラクションが響いた。
ナサが宇宙人の飛来を確認しに現れたのだ。
驚いて公園の入り口に目を向けると、そこには人を飲み込むような大きさの黒猫がオレンジ色の目を瞬きさせていた。
黒いバンだった。公園の前に停車してハザードを点けていた。
黒いバンから降りてきたのは、黒いスーツに身を包んだ男たちだった。
先頭にいた黒猫は魔女を見つけるとややあって笑ったが、颯太の姿を見つけると一斉にこめかみに手を当て、英語で何かを話し始めた。聞き取れる単語は一つもなかった。それは魔女の国の言葉なのかもしれない。聞きなれない英語は、もしかしたら、地球の言葉ですらないのかもしれない。
彼らは地球人に変装した宇宙人で、母星からやってきた女王を守るために回収に現れた。
地球人に慣れていない女王は、颯太を仲間と勘違いした。そして、不用心にもブランコを習ったのだ。
もしかしたら、それは地球でも歴史に残る瞬間だったのかもしれない。何しろ宇宙人にブランコを教えたのは、地球上でも颯太が初めてに違いない。
「やぁ、少年」
黒猫のボスらしき人物が、気さくに声をかけた。
他の黒猫と違い、よれよれのスーツ。ルパン三世に出てくる次元大介が持ってるような煙草を乾燥した唇に咥えていた。
「うちの姫様が世話になったみたいだな」
魔女の顔は見えない。ただ、何となく、その背中は寂しげだった。
公園に迎えに来たのは、父親だったのかもしれない。まだ遊んでいたいのに、門限を過ぎても遊んでいる娘を叱りに来たのだろう。
少女は黒服に何かを言われ、渋々車の中に身を投じた。
それを確認するとボス猫は、颯太を見た。
「明日も学校だろ」
親戚のおじさんみたいな口調だった。学校はどうだ?彼女は出来たか?セックスはしたのか?ゴムはちゃんとしないとだめだぞ。その年でデキ婚は許さねぇからな。
今にも説教でも始めるのかと思った。
男は静かに胸ポケットに手を伸ばした。
煙草の煙が揺れた。
黒い服を着た男がジャケットのポケットに手を伸ばすなんて、出てくるものは大体決まっている。
アメリカのFBIやCIAなら警察手帳か拳銃だ。メンインブラックだったら、ニューラライザーと呼ばれる記憶を消す装置だろう。
ここで警察手帳が出てくるのなら、喜んでこの場から立ち去ろう。だが、拳銃が出て来たらどうしよう。
颯太には拳銃から身を守るバリアも、マトリックスのネオのように銃弾を避けるような身体能力もない。
ニューラライザーが出て来たら、おとなしく光に身を投じよう。明かりのない夜空に溶け込むように、今日という記憶を消そう。
朝になればいつも通りの朝が待っているのだ。
颯太は覚悟を決めて、目を閉じた。
「吸うか?」
どうやら映画の選択を間違えたようだ。彼はハードボイルドな西部劇から出てきたのかもしれない。
くしゃくしゃの赤いマルボロだった。目の前に差し出されたそれを恐る恐る手に取る。
男は口に咥えていた煙草を捨てると新しい一本に火を灯す。深呼吸するように煙を吐き出すと、手にしていたライターと煙草を颯太に手渡した。
煙草を吸ったのは親戚の集まりで、叔父からもらった一度だけ。その時は吸い方を間違えて思い切りむせた。二度と吸うかと思った。だが、何となく今はそれを拒絶することが出来なかった。
タバコを一本唇に挟み、火をつけた。
今度はむせなかった。
深呼吸すると随分と気持ちが落ち着いた。
「何を見た」
静かに問いかける。その答えを探すように、彼が吐き出した煙をじっと見つめた。
ゆらゆらと揺れて、それは静寂に溶けていく。その背後に透明になった嘴の姿がぼんやりと見えていた。
男は颯太の視線に気が付くと、ようやく嘴の存在に気が付いた。
「そうか」
その言葉を合図にしたように、彼の背後に立っていた黒猫が、牙を剥く。
一人が取り出したのは黒いゴミ袋のようなものだった。
また、別の一人が取り出したのは拳銃だった。ルパン三世が持っているようなワルサーと形が酷似している。
そこは住宅街から離れた公園で、嘴の刺さった遊び場。
初恋が描いたミステリーサークル。
青春の墓場だった。
頭から袋をかぶせられ、視界を失った。
外では何が起きているのかわからない。ただ、男が奇妙な英語を話し、それに応じる声が聞こえた。
魔女の悲鳴が轟く中、耳の後ろに何かが刺さった。
それが針だと認識するよりも早く、颯太の意識は深い宇宙へと飛んでいく。
太陽の光も届かない銀河の果て。ほうき星のように飛んでいく意識は、やがて、燃え尽きるように呼吸を止めた。
蝉の大合唱に目を覚ました。いや、目は最初から開いていた。だが、意識を持っていると自覚すると、ようやく蝉の声に気が付いた。
早く起きろと命じていたのかもしれない。
ベンチに座っていた。
隣には参考書とノート。膝の上にはウォークマンが置いてあり、ずいぶんと懐かしい曲が流れている。
洋楽だ。それはテレビで一度だけ聞いたことのあるメロディ。ガガーリンが宇宙にいる時に聞いていた曲だ。
名前は「祖国は聞いている」という曲名だった。
帰還したのだ。
人類初の有人飛行は失敗されると思っていた。それはガガーリンも一緒だった。
地球に不時着して初めて自分が帰還したことに気付くのだ。
宇宙にいたのはたったの一時間と五〇分弱の短期旅行。だが、不時着するまでの時間はとても長かったことだろう。
何しろ自分が死ぬかもしれないと思っていたのだから。だが、颯太は違った。
死ぬかもしれないと思っていたが、次の瞬間、目を開ければどこかの公園のベンチにいるのだ。
見知らぬ曲を聴いて、見知った景色を眺めている。
駅前の公園だ。学校とは正反対の場所。
どうやってここに来たのか。そんなことは見当もつかなかった。
腕時計は一二時を指している。
颯太は彼の人生史上初めて学校をサボったことを自覚する。
駅前のビル群の合間に生えた電光掲示版には今日のニュースが流れている。
戦争は始まった。
質の悪いジョークだ。




