第十話 第一次空襲警報 未確認飛行物体 前編
そこかしこの木で短い命を歌う虫たちが、夏に鳴いていた。その命の儚さをかき消すような力強い声だった。
まだ夏は始まったばかりだ。
「うぉ!」
足元に落ちていた蝉の死骸に藤田由香里は逞しい悲鳴を上げた。それを見て、神崎颯太は、もう少し女の子らしい悲鳴を上げろ、と心の中で命令した。
「えー、もうそんな時期かよ」
蝉の死骸は夏の死骸だった。夏が終わる頃、蝉たちは木に掴まる力すら失い、意識を失ったように人々の足もとで横たわっていた。
山村達人は靴のつま先で蝉の死骸を蹴った。
夏は始まったばかりだ。
山村に起こされたように蝉は羽をばたつかせた。
「これ知ってるか?」
得意げに山村は三国直子を振り返った。人一倍、その大きな体で夏を味わっている三国は汗を掻きながら、嫌そうな顔を向けた。
「セミファイナルってな」
まだ夏は始まったばかりだ。
幸村理恵は煙草を買った。
小さな田舎街の煙草屋のおばあちゃんはおせっかいが大好きだった。
若い女の子が煙草なんて吸うもんじゃないよ。あたしゃいいんだよ。もう老い先短いんだから。あんた、どうせ結婚もまだでしょ。これから子供だってうんたらかんたら。
煙草を買うのも一苦労だ。
やれやれと苦労して手に入れた煙草を唇に挟む。苦労の先に手に入れた煙の味はうまい。
『幸村』
頭の中にノイズが響く。いつもなら嫌な顔を浮かべていたところだが、頭の中に響いた真剣な声色に幸村もその空気を読み取った。
「こちら幸村」
蝉が鳴いている。
『エイワックスが攻撃を受けた。作戦を中止する』
その言葉に幸村は傍にあった電柱に拳をたたき付けた。
「このタイミングでアメリカに帰れっての!?」
アメリカ、という言葉に近くにいた人々は眉を顰めた。その視線に気づき、幸村は何食わぬ顔で歩き出す。
「結衣ちゃん、どうする気よ」
恋という漢字を覚えたのだ。その意味を教えてあげると、天川結衣は嬉しそうに笑ったのだ。
『天川には悪いと思うけどな。だが、ロシアも厳戒態勢に入る。ここに天川は置いておけない』
真田は悔しそうにつぶやいた。
この男の実態は不明だ。雲で出来たような男だ。
数年前に突然行方をくらました。そして、日本での潜入作戦が実行されるとなると突然現れた。
上層部も真田には逆らわない。ほとんど言いなりだった。
「それを何とかするのがあんたの仕事でしょ。野暮なことすんなって言ったのはあんたでしょ」
怒鳴りつけてやりたかったが、必死に感情を抑えた。
『あぁ、わかってる。でも、手は尽くした。日本の上空にアメリカの管制機が飛んでんのが散歩だと思うか?すぐにロシアのネズミ捕りが始まるぞ』
煙を吐き出す。
「なんでバレたのよ」
真田とは古い付き合いだ。士官学校に通っていた頃から知っている。頭もキレるし、身体能力、戦闘能力、共に士官学校でも一番だった。
あるとき、突然士官学校に通っている最中にも拘わらず、特殊任務に就いた。
どんな任務か知らない。ただ、帰ってきた真田は中尉という肩書を面倒くさそうに背負っていた。
『さぁな、タロンか。シルバーフィッシュじゃないのは確かだ。ロシアは俺らがゴーストと組んで日本を攻撃したと思っている』
その言葉に幸村は再度怒りを覚えた。
「どういうこと!?そもそもあいつらがゴーストと組んでたんでしょ!?なんで今更そんなことに!?」
通信という手段が失われた日本において、無線機を所持する警察以外の人間が、虚空に向かって怒鳴っている姿は滑稽な姿にしか見えない。
人々の視線は幸村に釘づけだった。だが、怒り心頭していた幸村には、そんなものを気にしている余裕はなかった。
『知るか、とにかく奴らは』
ぶつっと通信が切れた。頭の中を激痛が走りぬける。
「真田?おい、真田。くそ、ジャミング?」
遠くからパトカーのサイレンが聞こえた。その音に周囲を見回した時、初めて周囲の視線が幸村に向けられていたことに気付いた。
その目はただの不審者を見るような目ではなかった。恐怖と不安が入り混じり、わずかな敵意が突き刺さる。
ようやっとサイレンが自分の元に向けて近づいてきていることに気付き、幸村は走り出す。
街中でアメリカとか叫ぶもんじゃない。ましてや通信が使えない状況の中、道端で一人ででかい声を出しているなんて、自らアメリカのスパイだと名乗っているようなものだ。
道端に寝転がる蝉を踏みつけた。それは悲鳴を上げることもなく、ぐしゃりと潰れた。
最悪という言葉以外に浮かんできたのは真田の顔だった。
無事に逃げ切ったら真田の顔も靴底で踏んづけてやろうと決めたのだった。
「うわ、まじかよぉ」
コンビニの前で山村は叫んだ。そこには「電力不足のため休業」と書かれていた。
電力が不足しているとかの問題ではない。停電しているのだ。
ここで五件目だった。
大手のスーパーはもちろん、小さな商店までしまっていた。まるで、ゴーストタウンだ。
「どうすんの」
あきれたように三浦は言った。チョビヒゲを持たない三浦は普通の女子だった。
どこにでもいるような普通の女子は退屈そうにつぶやいた。
「花火くらい電気無くても売れって話だよなぁ」
吉野圭一は閉じられた扉をじっと睨み付けた。夏の光を反射したそれは吉野のメガネまで反射させた。
「電気がないとレジも動かないでしょ」
三国はあきれ果てたように声を出す。
「あ!」
大きな声に振り返ると、アラブこと斎藤琢磨が油田でも掘り当てたかのような顔をしていた。
視線の先に目を向けると、駄菓子屋があった。昔からそこにある小さな小屋みたいな建物には、懐かしの駄菓子がいくつも並んでいる。その先頭に少量だが、花火が並んでいた。
「花火!」
全員の声が重なる。
由香里が走り出すと、その背中を追いかけるようにみんなは走り出した。
店番をしているばあさんはすでに耄碌しているのか、皺とも目ともつかない目元の線をうっすらとゆがめた。
「おばあちゃん!お店やってる!?」
山村がかみつくような声で吠えるとばあさんはこっくりと頷いた。
見るとレジには故障中の張り紙が張られ、ばあさんの手元にはそろばんが置かれていた。
「さすが、おばあちゃんの知恵袋ってとこだな」
颯太が言うと隣で桐野柚葉がうん、と一つ頷いた。
ジャミングにより、通信という通信がすべてダメになった。簡易基地局の中でも、ジャミングに対処するものは多くいたが、その中で真田は真っ先に衛星との通信に目をやった。
「織田!キャットはどこだ!」
地上簡易管制塔。小さな掘っ立て小屋みたいな建物の扉を開けた。建物の天辺には大きなパラボラアンテナが付いている。
小屋の中にはぴかぴか光るランプを付けた鉄の塊がいくつも乗せられている。
織田は黒いスーツをびしっと着こなし、疲れたような顔で首を横に振った。
その動作を見て真田も織田の目の前にあった機械へと目を向けた。
そこには丸い円だけが映っている。本来なら、そこに光る点があり、経緯と緯度で光る点の座標を表している。
現状は点滅するものはなく、何も映っていない。
「エイワックスのレーダーもやられた。このままじゃ奴らに対抗できないぞ」
織田の声の焦りよりも、真田は感じていた。
「そっちよりこっちを動かすことに集中しろ」
真田もまた機械を正面からいじくりまわす。ヘッドフォンを片耳に当てるが、聞こえてくるのは砂嵐のような悲鳴だけだった。
「お、おい。敵の動向がわからないと」「このままじゃ」
真田は織田の声を遮る。疑問符を浮かべる織田に真田は告げる。
「ウッドペッカーが逃げるぞ」
「こちらウッドペッカー。管制塔、どうぞ」
天川は嘴《嘴》の中にいた。
車の窓ガラスのような正面。HUDに映るものは、ロストの文字。
「こちらウッドペッカー。真田、聞こえる?」
頭にセットしたサングラスのディスプレイには何の文字も出ない。しばらくしてからシグナルロストと表示された。
操縦桿を操作する。
嘴は滑るように走り出し、雲を切り裂いた。
互いの声が聞こえない。管制塔もまた天川に声を掛けているということは想像できた。
大気圏に突入した鉤爪のような形をしたタロンを数体撃破し、旭山市に帰還しようとしていた。
ジャミング自体は稀にあることではない。こうなってしまうと電波障害が回復するまで空で待機することしか出来ない。
いつしか地球を照らす太陽は、ゆっくりと顔を隠そうしていた。今頃、旭山市は夕闇の中だろう。
「そうた」
ふと彼女の頭を埋め尽くすのは恋という文字だった。やっと書き順を覚えたのだ。
それを伝えたい。
手の届く距離にいたのだ。にも拘わらず伝える手段を知らなかった。
好きという言葉が日本ではライクだけではなく、ラブとしても使わているということを知ったのはつい先ほどだった。だから、ひたすら恋という字を見せつけてやろうと考えていた。
何度も何度も頭の中のペンで恋という文字を描きだす。その一文字に浮かんだ心がくすぐったい。
ふと、散歩にでも行こうと思った。
天川は基地とは違う方向へと操縦桿をひねる。嘴の先が向けられたのは学校だった。
そこに行けば、颯太がいるような気がしていた。
天文学部の活動をしていることだろう。幸村が先生だから、今頃学校の屋上で空を見上げているだろう。
突然着陸したら颯太は驚くだろう。そして、天川の顔を見ていつも少し恥ずかしそうに目をそらすのだ。
いつもなら天川が目をそらすのだが、パイロットスーツを着ている時だけは颯太が目をそらすものだから、颯太の顔を覗き見る隙がある。
今の恰好ならば、恋という字を見せることも、その文字に隠れた意味も教えてあげられるだろう。
「あーあー」
発声練習。
いつも肝心な時に声が出ないのだ。別れ際には何とか声は出るのだが、面と向かって話す時はいつも緊張する。
向かおうとした時、東の空に花火が舞った。ふと、そこに颯太がいるような気がして、灯りに導かれた羽虫のようにふらふらと嘴の先をそこへと向けた。
小さな駄菓子屋のばあちゃんはハイスペックだった。
花火が欲しいといい、みんなの財布をひっくり返して、店頭に並べられた花火を買い占めた。だが、手持ちの花火しかなく、なんとも寂しい感じがした。
「もうないんですか?」
颯太が問いかけるとばあちゃんはニヤリとほくそ笑み、店の奥へと歩き出した。
ひん曲がった腰が奥に消えたかと思うと、扉の向こうから様々な物音が聞こえた。
金属が擦れ合う音、何かが落ちる音。あったあった、とばあちゃんの嬉々とした声が聞こえた。
がらり、と扉が開き、そこには一.五リットルのペットボトルと同じくらいの大きさの筒があった。
それがなんと大特価の二五〇〇円。直径一〇センチのそこらへんの店では売ってない特別な花火。本来なら資格のある人間しか扱うことが出来ない。だが、そもそも旭山市の人間にそんな資格を持っている人間はいない。
「やるな!ばあちゃん!」
アラブが荒ぶる。
「ぶちかましてやんな」
ばあちゃんは小粋に笑った。
空に夜の帳が落ちてきた。真田は苛立ちを隠せなかった。
右足は何度も地面を踏み、煙草は次から次へと灰へと変わる。
真田の目は空を見ていた。その向こうには小さなヘリが飛んでいる。
通信も出来ない中、単独でヘリが飛ぶということは危険だった。それは誰もが承知していながら、それ以上の危機を悟っていた。
もしも、ウッドペッカーのパイロットにつけられた発信機が機能していないことを本人が知ってしまったらどうなるか。
どこまで逃げても逃げることが出来ないはずの鳥が、鳥かごの外にいることを知ってしまったら、どうなるか。
通信もレーダーも機能していない今、頼りになるのは人間の目だけ。
ヘリコプターに乗って、どれだけ目を見張ろうと、ステルスを起動されていたら、目視することは出来ない。
仮に目視することが出来たとしても、捕まえる手段はない。
「神崎の居場所は?」
逃げた鳥を捕まえる方法は、一つではない。
鳥が向かう宿り木があるのなら、そこで待っていればいい。
「はい、今は旭山の麓の公園にいます。進路はそのまま山を登ろうとしているみたいです」
織田が応える。
「車を回せ。確保しろ」
藍色の空の向こう。きらりと輝く何かが見えた。




