六十五話 是ト否ノ三
「《選定者》よ、汝が選ばぬというのであれば、それで構わぬ。だが《選定者》が我の世界で長く生きることは不可能」
雷華たちの会話などまるで意に介さない、というより聞いていないかのように、世界は淡々と言葉を紡いでいく。
「なんでだよ」
クレイがクアラリエスを睨みつけた。
「我が《選定者》に与えた力。人の子の器のままでは耐えられぬ。数年の歳月が限界」
「方法はないのか」
ロウジュの問いに対する答えをすでに雷華は持っていた。二人きりの世界。二人きりの生活。二人きりの……幸福。そのために必要なのは、
「……この世界の人の生命」
「は?」
絞り出すように言った雷華の言葉に、キールの眼が点になる。意味を悟ったルークやリオンは、さっと顔を強張らせた。
「然り。我の力に耐えうるためには、人の子の器を捨て、我と同様の存在になる他ない。そのためには我の世界に生きる人の子の半数、共に在る存在を要するならば、さらに半数」
この世界に生きる人間全てを犠牲にして得られる、愛と悠久の生命。果たしてそれは幸せと言えるのだろうか。永遠に終わらない毎日に喜びなどあるのだろうか。
「ひどいですっ!」
マールから悲鳴に近い声が上がる。
「今のが愛ってことよね。じゃあ不変を選ぶとどうなるのよ」
広間の岩壁に凭れかかり腕組みをして、クアラリエスに挑発的な視線を向けるディー。彼はいつも通りにやけた表情だったが、金の瞳には明らかな怒りの感情が宿っていた。
「私は元の世界に戻り、これまで通りの生活を送る……何も変わらないってことなんだと思う」
雷華は夢で見たままを答えた。刑事の職務をこなしていた自分の姿。
彼女は知らなかった。雷華がいなくなったあと、この世界がどんな歩みをするのか。だからクアラリエスの言葉を聞いたとき、彼が何を言っているのか一瞬分からなかった。
「然り。《選定者》は記憶を留めることに我が与えた力を使い果たし、我が送りし世界で鼓動を止めるまで生きる。我の世界は何も変わることなく……まもなく広範囲にて戦火が上がる」
「馬鹿な! 四つの国は均衡を保っているのだぞ!」
「そうですね、世界を統べようとたくらんでいたイシュアヌの宰相は捕らえられ、己の国を壊そうとしたクルディアの公爵も審問を待つ身です。危機は回避されたと思うのですが」
大きく手を振るい反論するルークの後を、冷静なリオンが引き継ぐ。
「我が定めた事象を人の子が覆すことは不可能」
「つまりいくら避けようとしても戦は起きるってことかよ」
苦々しげに呟くクレイ。
「是」
「そんな……」
額に手を当て雷華は呻く。自分が元の世界に帰り刑事生活に戻るのと同様、この世界もこれまで通り平和が続くのだと、選ばなくてはならないのならこれだと、そう思っていたのに。
変わらなければ大規模な戦が起きる。つまり、大勢の人間が、死ぬ。戦いに赴く人間も、身を寄せ合って脅える人間も。ここにいるルークたちや、雷華がこれまで出会った人たちだって例外ではない。
「……人の子の力では無理だと言いましたが、でしたらライカさんには可能ということですか? それが改変なのですか? もしそうであるならば……私は改変を望みます」
今まで黙ってクアラリエスの言葉を聞いていたエルが、静かに口を開いた。
「ディナム!」
ルークが声を荒げ、エルに掴みかかった。彼にはエルが、雷華に犠牲になってくれと言っているように聞こえたのだ。
「落ち着きなさいルーク。彼の指摘は間違っていません。私も同じことを考えましたから。それに、私たちはクアラリエスが示す三つの選択を全て知る必要があります。そうでなければ正しい答えなど出せないでしょう?」
リオンが、冷静になれと幼なじみの王子の腕をぽんと叩く。ルークは少しの間、エルとリオンの両方を睨みつけていたが、やがて大きく息を吐くと掴んでいた手を放した。
「殿下……」
解放されたエルが何か言おうと口を開きかけたが、ルークはそれを手で制した。聞かなくても分かっていた。彼が何を思ってあんな発言をしたのか。それは、国を護るために他ならない。雷華と国の平和を天秤にかけ、エルは国を選んだのだ。国を護ることに命を賭す騎士として、その選択は正しい。だが、それを受け入れることがルークには出来そうになかった。
「《選定者》は、我の与えた力を使い、己が生を受けた世界を変えることが可能。その影響により我の世界は現在とは異なる刻を刻むことになる」
「つまり……どういうことっすか?」
「《選定者》は最初から異なる世界に生を受けたことになり、我の世界との繋がりが消失する。それにより我の世界がいかに転変するか、汝は垣間見たはずだ」
クアラリエスの無よりも無な視線を受け、雷華は弱々しく、だがはっきりと頷いた。
「ええ、皆幸せそうだったわ」
命を落とした人も生きていた。レヴァイアもフェリシアも、ディーの大切な人も、皆が幸せそうに暮らしていた。世界は喜びに満ちている、そんな夢だった。だが、そこに雷華はいない。雷華という存在を知る人間はいない。
滝裏の洞窟に一陣の風が吹く。衣服がはためき、髪が舞い上がった。冷たくも温かくも乾いても湿ってもいない風。いま立っている場所が、本当は違う場所なのではないか。自分たちは世界から切り離されてしまっているのではないか。そんな不安や焦りを呼び起こさせる風は、しばらく広間に留まったあと、まるで初めから存在しなかったかのように忽然と消え失せた。
「ライカを犠牲にして成り立つ平和など欲しくない! そんな世界は間違っている!」
風が消えるのとほぼ同時にロウジュは大声で叫び、持っていたカンテラを投げ捨て、短剣をクアラリエスに向けた。世界の否定。それがロウジュの選んだ答えだった。




