六十四話 戒メ解ク腕
再び沈黙が広間に訪れる。重苦しい、息が詰まるような沈黙。クアラリエスの言葉の意味を、全てではないにせよ、理解出来たのは雷華だけだったが、他の面々も彼女が何かを選ばなくてはならないということだけは分かった。それも、気軽に選択できるものではない何かを。
「我は汝に示した。選択の未来を」
「な、んのこと。私そんなの――」
知らない。その言葉が雷華の口から紡がれることはなかった。頭の中にかかっていた霧が突如として消え、何度も見た三つの夢が脳裏に甦る。
誰かと二人で永遠に近い歳月を過ごす夢。元の世界で刑事の職務を全うしている夢。そして、自分はどこにもいないが皆が幸せそうに生活している夢。
「あの夢が……じゃあ、じゃあ選択っていうのは」
雷華は眼を見開き、青褪めた顔で口に手を当てた。痛いほどに心臓が早鐘を打っている。抑えようとしても身体が震える。確かにおかしな夢だとは思っていた。誰かに見させられているような感じがした。だが、まさかそんな理由だったとは。
「然り」
雷華の考えを読んだかのように、クアラリエスはゆっくりと首を縦に動かした。その動作は、人間らしい仕草であるにも拘らず、無機的な印象を全員に与えた。温もりも冷たさも、何も感じない。
「だが、汝の答えを聞く前に――」
クアラリエスは何の感情も宿っていない白と黒の眼をルークに向けると、ゆっくりと右腕を持ち上げ、そして、
「《案内役》の役目を終わらせよう」
言い終わると同時にルークの身体が黒く発光し始める。光は広間全体に広がり、眩しさで全員が彼から眼を逸らした。
「っ!」
「ルーク!」
「皆さん! 光が収まっても眼を開けないで下さい!」
手で顔を覆って叫ぶリオンの声に、クアラリエスの発言で茫然自失に近い状態だった全員が、はっとなった。ルークの役目が終わる、つまり人間の姿に戻るということは、彼が全裸になるということを意味する。咄嗟にそのことに気付けたのは、どんな状況にあっても冷静でいられるリオンだからこそだろう。雷華でさえ思い至らなかったのだから。
しかし、幸いなことに、リオンが危惧した事態にはならなかった。
「いや、開けても問題ない」
光が収まったのを感じ、雷華はおそるおそる眼を開けた。足元でこちらを見上げていた小さな黒犬はいなくなっていた。代わりに背の高い男が雷華を見下ろしている。
「戻ったのね」
顔を歪めて雷華はルークの腕に触れた。人の温もりを感じる。泣きたいほどに嬉しくて、そして切なかった。
「ルーク、お前その格好」
「どうしたというのです」
クレイやリオンが驚いた顔をしながら近づいてくる。
「神の御慈悲ってやつじゃないの?」
ディーの言い方はとても皮肉めいていた。何故彼がそんな言い方をしたのかというと、ルークがクアラリエスと同じ灰色のローブを身に纏っていたからだ。ディーは白と黒の存在が気に入らないらしい。
「《選定者》よ、答えを聞こう」
性別も年齢もない声に、全員がそちらに眼を向ける。この世界を制御し、この世界そのものでもある存在。雷華をこの世界から異なる世界へと移し、再び戻らせ選択を求めてくる残酷な神。
愛か、不変か、改変か。
(私はこんな辛い選択をさせられるために生まれてきたの?)
俯いて強く唇を噛みしめる。そうしていないと大声で叫びそうだった。
「私は……私には――」
「待ってほしいっす!」
「キール?」
顔を上げると、双子の片われが強張った顔で雷華を見ていた。彼の身体は小刻みに震えていた。
「ライカ姐! ライカ姐が選ばなければならないものってなんなんすか!? そんなに大事なことなんすか!? 教えてほしいっす! 俺、あんまり頭良くないけど、どれが一番いいか一所懸命考えるっすから! だから、だからそんな辛そうな顔しないでほしいっす!」
全身で叫ぶキールの言葉は、熱くて、馬鹿正直で、真っ直ぐで、これ以上ないほど胸に響いた。
「そうですライカ姐様! 一人で悩まないで下さいー! 私たち、姐様の力になりたいんですー!」
キールの隣りでマールも拳を握りしめて叫んだ。
「マール……」
「皆の力を合わせればきっと解決できます。私も微力ながらお力になります」
視線を動かせば、優しげな顔で力強く頷くエルの姿が映る。
「エルさん」
「一人で問題に立ち向かうことも大事ですが、ときには誰かに相談することも同じくらい大切なことですよ」
「力になるぜ!」
美しい笑みを浮かべるリオンと、にやりと勝ち気な笑みを浮かべるクレイ。
「リオンさん、クレイ」
「おっさんの誓い忘れちゃった? ライカちゃんの剣となり盾となるって言ったでしょ」
片眼を瞑ってディーは、雷華の胸元で紅く光る首飾りを指差した。
「ディー」
「気に入らないけど、双子の言うとおり」
ロウジュは雷華の右肩にぽんと手を置いた。
「ロウジュ」
「……ライカ、話してくれ。俺が、俺たちが、お前を助ける」
ロウジュと反対側に立ち、左肩に手を置いてくるルーク。
「ルーク、みんな……」
一つ一つの言葉が心に染み渡っていく。身体から力が湧いてくるのを感じる。
ここにいる九人が力を合わせれば、出来ないことなんてないのだと彼らは信じていた。しかし、クアラリエスが示した絶望的なまでの選択肢を知ったとき、彼らもまた雷華と同じように苦悩するのだった。




