五十七話 私ノ俺ノ路3
雷華は宿を出て目的もなく村の中を歩いていた。そこらで青白く光る星花は幻想的で美しく、そして儚い。どんな花にもある芳しい香りがこの花にはなく、根が土から離れればすぐに枯れてしまうのだとか。ここにしかない、ここでしか咲けない、光ることでしか己の存在を主張することができない花。だからこそ、なおさら美しいと思うのかもしれない。
そんなことを考えながら歩みを進めていると、どこからともなく風に乗って歌が聞こえてきた。透き通った女性の声。雷華は声に導かれるように風上へと足を向けた。
星は巡り 季節は巡る
眼を閉ざし 心を凍らせ
ただ過ぎ去る日を 見送った
近づくにつれてはっきりと聞こえてくる。知っている歌だった。マーレ=ボルジエの酒場で聴いた、恋の歌。
愚かな私は 気付かなかった
貴方の想い 貴方の優しさ
だから私は この歌を歌う
月の輝く 夜空の下で
どうか明日も 続きますようにと
酒場で歌っていた艶やかな女性とは違う、透明感のある澄んだ声は、雷華の心に新たな感動をもたらした。初めて聴いたときは暗い場所で光るカンテラのようにじんわりとした暖かさを感じた。だが今感じているのは草原に吹く風のような爽やかさだ。同じ歌であるのに、全く異なる印象を与えてくる。
歌声の主は一軒の家の裏手の木の上にいた。太い枝に腰掛け、村を囲う森に向かって歌を口ずさんでいる。背後から近づく雷華に気付いた様子はない。
夢は儚く 消えゆくもの
新たに生きる 勇気を得るため
今日も私は この歌を歌う
「えっ?」
「え?」
雷華の声が聞こえたらしく、木の上にいた女性がくるりと振り向いた。そして下に人がいることが分かると、枝から飛び降りて近づいてくる。声では分からなかったが、星花の仄かな明かりの中で見る女性は若かった。まだ少女と呼んでもいいくらいだ。マールと同じくらいの年齢だろう。癖のある長い赤髪とくりっとした茶色の瞳がなんとも愛らしい。彼女が着ている白い服の上には、複雑な文様が描かれた帯が幾重にも巻かれていた。
「ごめんなさい、うるさかったですか?」
赤髪の少女はぺこりと頭を下げて謝ってきた。大人びていた歌声とは違う、高めの可愛らしい声だ。
「ううん、違うの。とても上手だったわ。いま貴女が歌っていた歌はこの国に古くから伝わっている歌よね」
「そうです。お姉さん、よく知ってますね。ヴィトニルの人間じゃないのに」
初対面の少女にはっきりと断言され、雷華は目を丸くして驚いた。
「そうだけど、どうして私がこの国の人間じゃないって分かったの?」
「服装ですぐに分かります。それにもしお姉さんみたいな綺麗な人がヴィトニルの人間なら、絶対にどこかの町で噂になってますよ」
わたし国中を回ってますから、と少女は赤い髪を揺らして頷く。
服装で分かるというのは、派手な色の服を着ていないからということだろう。確かにこのハーシュ村でもほとんどの村人が青や黄などの目立つ色の服を着ている。
「そ、そう。ところでさっきの歌なのだけど、最後の部分が私が聴いたのとは違っていた気がするの。私が聴いたのは、えっと確か、想い出胸に……とかだったと思うのだけど」
服装についてのみ納得し、綺麗な人というのは聞き流すことにした雷華は、話題を歌に戻す。歌の歌詞を思い出そうとするのだが、いかんせん一度しか聴いていないため記憶から消えかかっていた。
しかし、少女には雷華が言いたいことが伝わったようで、「ああ、こっちの方ですね」と言うと、眼を閉じ大きく息を吸い込んだ。
そして、歌が紡がれる。
命尽きる その日まで
想い出胸に そっと抱きしめ
今日も私は この歌を歌う
歌い終えると少女はゆっくりと目を開けた。
「うーん、やっぱりこっちは上手く歌えませんね。まだまだ修行不足です」
腕を組んで可愛らしく頬を膨らませる少女。己の歌声に納得がいかないらしい。だが、雷華には違いが分からなかった。
「そうなの? 私はとても上手だと思ったのだけど」
「全然駄目です。シャルーネ姉さんには遠く及びません。お姉さんが聴いたのもシャルーネ姉さんの歌でしょう? ヴィトニルの外を旅しているのは姉さんだけですから」
「そう、確かそんな名前だったわ。貴女、彼女の妹さんだったのね」
頷きながら眼の前の少女を改めて見る。確かにシャルーネも赤い髪だったし、文様の入った帯も巻いていた。言われてみれば顔立ちも似ている気がする。
「はい、エフィーナといいます。私たちはヴィトニルの伝承を歌で語り継ぐ、吟遊詩人の一族なんです。と言っても、私はまだ修行中の身なんですけどね」
はにかみながら笑う少女に雷華も名前を名乗り、一番疑問だったことを訊ねる。
「どうしてさっきの歌には歌詞が二つあるの?」
「それは、昔々にこの歌を書いた人がどちらも残したいと思ったから、だそうです。私にもよく分かりません。本当はもう一つあったそうなのですが、歌詞が後世に語り継がれることはなく、ただあったということだけが伝わっています」
エフィーナはそこで言葉を区切ると表情を一転させ、眉尻を下げて思い悩んだ顔になった。
「“貴方”を忘れ新たに生きていこうとする歌と、“貴方”との想い出を支えに生きていこうとする歌。私にはいなくなってしまった人を想い続けるという感情がよく分かりません。だから上手く歌えないのだとシャルーネ姉さんには言われるのですが……もう逢えないと分かっている人を想い続けることなんて出来るのでしょうか? お姉さん、ライカさんはどう思いますか?」
風が吹き、森の木々が寂しげな音を奏でた。銀と赤の髪が空に舞い、ほんのわずかな間、夜の世界に彩りを添える。
「わたし、私は……」
エフィーナの問いかけに雷華は答えることが出来なかった。むしろ雷華の方が誰かに訊きたかった。
忘れることと、想い続けること、どちらが幸せなのかと。




