五十話 線ニ消ユ茜
「明日の昼にはケイラーダに着くそうです。天気も晴れが続くみたいですし、良かったですね」
三日目の夕方、甲板でルークと地平線に沈む夕陽を眺めていると、リオンがそう言いながら近づいてきた。後ろにはエルの姿も見える。
「そうですか。リオンさんたちも夕陽を眺めに甲板へ?」
風になびく髪を手で押さえながら、雷華は海から眼を離した。
「というより風に当たりにですね。船室でずっと将軍殿の相手をしていましたから」
新鮮な空気が吸いたくなったんです、とリオンは白い顔を茜色に染めながら優雅な仕草で肩を竦める。
「お疲れ様です。どちらが勝ったんですか?」
リオンとディーは昼過ぎから、船室で戦戯盤をしていた。釣竿と同じく、ディーが船員から借りてきたのだ。初日から三日目の今日まで毎日釣りをした結果、どうやら釣りの才能には恵まれていないことに気付いたらしい。ディーが三日間で釣り上げたのは、掌の大きさの小魚が一匹だけだった。
因みに、一番大物を釣ったのはマールで、エルに手を貸してもらいながらだが、なんと彼女の身長とほぼ同じくらいの大きさの魚を釣り上げた。雷華とロウジュは、そこそこの大きさの魚を七、八匹釣り、瀕死状態のキールと釣りに興味がないと言ったリオンは不参加だった。
「三勝一敗でリオン様の勝ちです」
「さすがリオンさん」
エルの言葉に大きく頷く。雷華も一度ディナム侯爵家でやったことがあったが、なかなか難しかったと記憶している。サイコロという運要素もあるのだが、それよりも先を読む力の方が重要で、何も考えずに駒を動かせばあっという間に負けてしまう。リオンのような頭の回転の早い人間に勝つのは容易なことではない。
「ま、でもリオンさんから一勝するなんてディーもなかなかやるわね」
「運が良かっただけだろう」
ふん、とルークが鼻を鳴らす。彼の言い方が面白くて、雷華はぷっと吹き出した。
「ライカさん、私と勝負しませんか?」
何を思ったのか、突然エルがそんなことを言い出した。
「わ、私ですか?」
「父と兄から貴女が強いと聞いて、一度対戦したいと思っていたんです」
「いや、多分私も運が良かっただけだと――」
「それは興味深い。私もライカさんのお手並みを拝見したいですね」
顔を引きつらせて両手を振りながら断ろうとする雷華だったが、無情にもリオンがエルの後押しをした。
「えーっと」
助けを求めて足元のルークを見る。しかし、そこで気がついた。彼は今黒犬の姿をしている。ということはつまり、二人を止める発言をしてくれても、彼らにそれを伝えなくてはならないのだ。
(ルークが私を誘うのを止めろって言ってます……なんて、言えないわよね。説得力がないし、何より間抜けだわ)
それに、仮にルークが人間の姿をしていたとしても、リオンに口で勝つことはまず出来ないだろう。となれば、雷華に残された道は一つ。
「分かりました……」
素直にエルの申し出を受けるしかないのだった。
すぐに行くと言って、リオンとエルに先に行ってもらい、再び視線を夕陽に戻す。あと少しで太陽は地平線の彼方へと消え、世界は夜へと変わる。昼と夜の狭間の、ほんの短いひととき。
「綺麗ね」
太陽に眼を向けたまま、徐に口を開く。すぐに「そうだな」という返事が返ってきた。
「太陽も月も私の世界と同じに見えるのに、どうしてここは私の世界じゃないのかしらね」
どこにあるのかも分からない、自分の世界。この世界と近いのかそうでないのかも、知る術はない。
「ライカ……」
「もし、私が……ううん、何でもない」
この世界に生まれていたら、と言おうとして思いとどまった。言ったところでお互いの心が軋むだけだ。
「俺はライカと会えたことを後悔していない」
雷華の心を読んだかのように、ルークが波音にかき消されそうなほど小さな声で呟いた。
「私も後悔していないわ」
同じように小さな声で返す。確かな繋がりがそこにはあった。
太陽が沈んで再び昇ってくることと同じくらい確かな繋がり。生きていく世界が違っても、消えることなどない。繋がりに距離などないのだ。
「ライカ、聖師が呼んでた」
ロウジュがカンテラを持って歩いてくる。ちょうど太陽が隠れたところだった。暗闇の中で彼の持つ灯りはとても明るく見える。
「ありがとう。行こうか、ルーク」
「ああ」
二人と一匹は並んでまっすぐ前を見て歩き出す。
朝の海は希望に満ち、昼の海は活力に溢れ、夕方の海は哀愁が漂い、夜の海は決意が訪れる。
最後の場所で《色のない神》と対面したとき、きっと迷うだろう。だが、ルークやロウジュ、他の皆がいてくれれば正しい答えが導き出せるはずだと、雷華は確信していた。




