四十九話 青イ海ノ長
青い海、青い空、白い雲。青と白だけの世界は、とても美しかった。美しいという言葉だけでは表現できないほどに。
心地良い爽やかな海風が雷華の頬を撫でていく。穏やかな海は見ている人間の心も穏やかにしてくれる。と、思ったのだが、そうでない人間もいるようだ。
「うえぇぇぇ、ぎもぢわるいっすぅぅぅぅ」
穏やかとは程遠い真っ青な顔で、キールが船の手摺りにへばり付いている。当然のことながら二日酔いではない。イシュアヌからクルディアに渡る船でも終始こんな様子だったと、リオンが教えてくれた。どうやらそれが初めての航海だったらしい。初航海で船酔いを経験したにも拘わらず同行を申し出るとは。二回目なら大丈夫とでも思ったのだろうか。感心するべきか呆れるべきか、迷うところだ。
「マールは平気なのにねえ」
双子の弟の背中を適当にさすっている姉は、至って元気そうだ。船酔いしている気配は微塵もない。対称的な双子の様子を、少し離れた場所で雷華は苦笑しながら眺めていた。
そこに一人の男が近づいてくる。
「あいつは海の男にはなれねえなあ。姉ちゃんは平気かい?」
「ええ、私は大丈夫です」
雷華が頷くと男は、ばかでかい声でがっはっはっはと笑った。
彼はディーが用意してくれた船の船長で、名をダンザという。陽に焼けた肌、無造作に伸ばされた髭、筋肉質の身体。そしてなにより特徴的なのが、声。とにかく大きいのだ。そして割れているため、聞いていて心地良いとはお世辞にも言えない。むしろ至近距離で喋られると鼓膜がおかしくなりそうになる。とはいえ、何度も聞いているうちに平気になったが。身体が彼の声に順応したのかもしれない。
(リオンさんとエルさんが言葉を濁すわけだわ。多分、今までこんな人に会ったことがなかったんでしょうね)
特にリオンなど未知の体験だったに違いない。ダンザのような、豪気、豪胆、豪傑の三拍子そろった、まさに海の男との出会いはさぞ衝撃的だっただろう。ディーが意味深に笑っていたのも頷ける。港で彼と初めて会ったとき、リオンがさりげなくディーの後ろに隠れるように立っていたのを見て雷華も笑いそうになった。
「ヴィトニルの港町ケイラーダには、だいたい四日で着く。風向きなんかで多少違ってくるがな。ま、ゆっくりしてくれ」
「ありがとうございます。あの、本当に代金を払わなくていいんですか? 無償で乗せてもらうなんて申し訳なくて気が引けると言うか……」
操舵室に戻ろうとするダンザに、雷華は躊躇いがちに訊いた。
船に乗る前に料金を払おうとすると、“親愛の証”を持つ人間から金など取れるかと言われたのだ。どういうことかと訊ねようとしたのだが、ディーにいいからいいからと背中を押されて船に乗せられ、すぐに出航準備に入ったため、話がそれきりとなっていた。
「あのな、紅い“親愛の証”を持つあんたは、言わば国の英雄みたいなもんだ。英雄から金なんか貰えねえ。そんなことすりゃ俺は町の通りを歩けなくなっちまう」
「はぁ」
体型に相応しい太い指で首飾りを指差ダンザにあいまいに頷く。それほどにこの首飾りには価値があるのか。指でつまんで顔の前に持ってくると、陽の光を反射して紅玉石がきらりと光った。
「それによ、もしあんたがそれを持ってなかったとしても、やっぱり金は取らなかっただろうよ」
「どうしてですか?」
「ディーには昔助けてもらったことがあってな。受けた恩は必ず返す。それが海の男ってもんだ。そうだろてめえら!」
「おうよ!」
ダンザがひと際大きな声を出すと、甲板を走り回っていた船員――船にはダンザのほかに五人の船員が乗っている――が一斉に反応した。船長は大きな身体を揺らして豪快に笑いながら、操舵室へと入っていった。
「……海の男、ねえ」
「ライカ」
呆気にとられていた雷華に、甲板に上がってきたロウジュが声をかけてくる。
「え、ああ、ロウジュ。どんな様子だった?」
操舵室から眼を離し、ロウジュの方に顔を向ける。彼は、船倉に入れられている璃寛と木蘭を見に行ってくれていた。
「二度目だし、平気。大人しくしてる。最初のときもそんなに暴れなかった」
ロウジュは瀕死状態になっているキールを一瞬だけ見て、すぐに視線を雷華に戻した。
「そうなんだ。あの二頭は賢いだけじゃなく船にも強いのね」
彼が何を言いたいのか察した雷華は、笑いを噛み殺さなければならなかった。
二人で海を見ながら取りとめのないことを話す。しばらくすると今度はディーが釣竿を持ってやってきた。確か彼は先ほどまで甲板の隅で船員の一人と話していたはずなのだが、どうやら釣竿を借してくれと頼んでいたらしい。
「ライカちゃーん、これ貸してもらったから一緒にやらない?」
「釣りかぁ。うん、やろうやろう。ロウジュもするよね?」
ディーの提案に一も二もなく賛成する。いかに海が綺麗だとはいえ、ずっと見るだけでは流石に飽きてくる。四日間何をして過ごそうかと、ロウジュと話していたところだった。
「いいよ」
ディーから釣竿を渡されると、ロウジュは慣れた手つきで釣り糸を海に垂らした。
「よし、じゃあ勝負よ!」
とりゃあっと威勢よく竿を振って釣り糸を飛ばす。そうして、三人による釣り対決が始まった。




