四十話 崩ル岩ノ塊
読み終わると同時に石碑が激しく発光する。全員が眼を閉じ、しばらくして眼を開けると、石は何事もなかったかのように、静かに淡い輝きを放っていた。
「今度は何が起こったのだ」
「ルークが人間の姿に戻ってないということは、私なんだろうけど……」
雷華は身体を見回し、何か変化が起きていないか確認する。
「何も変わったところはないみたい」
「なになに、身体検査なら俺が、いだっ! ちょっと、兄さん何すんのよ!」
上品とは言えない笑みを浮かべながら、怪しい手つきで雷華に触れようとしたディーの膝裏に、ロウジュが手加減なしに蹴りを入れた。よほど痛かったのだろう。将軍は地面に膝をつき、涙目になっていた。
「刺されないだけありがたく思え。ライカ、俺が見てあげる」
「お前もライカに触れるな!」
今度はルークがロウジュに飛びかかる。
「二人とも、こんな狭くて暗い場所で暴れないでよね。リオンさん、何かありましたか?」
じゃれ合っているように見えなくもない一人と一匹に呆れながら、石碑を調べていたリオンに話しかける。
「ええ、これ見て下さい。何かに似ていると思いませんか」
リオンはそう言って手にしていたカンテラを、石碑の裏側に近づけた。そこには、雷華の胸の高さほどの不自然な形の岩が、地面に突き刺さっていた。
「えーっと……あ、そうか。ここ、ですね」
ぽんと手を叩いて雷華は地面を指差す。もの凄く細長くて高い山をひっくり返したような形の岩塊は、ヴィシュリに乗って見た楔の形を想起させる。リオンは雷華の答えに、嬉しそうに頷いた。
「そうです。私たちが今いる楔を縮小したら、おそらくこれとそっくりになると思うのです。実際にここの全容を眼にしたわけではありませんので、絶対にそうだとは言い切れないのですが」
「仮にこれが楔を模したものだとして、問題は、何故こんなものがここにあるかだろう」
楔の模型らしき不安定な形の岩塊を、前足でちょんちょんと触りながら、ルークが尤もな疑問を口にする。
「……すいません、ライカさん。その犬が何と言ったか教えてもらっても?」
吠えているようにしか聞こえないリオンは、美しい顔を顰めながら雷華に通訳を頼んだ。
「あ、はい。どうしてこれがここにあるんだろう、って言ってます」
「確かに」
頷きながら岩塊の前に屈むリオン。何か手掛かりがないか調べていた彼が「おや」と呟いたのは、岩と地面が接触している部分まで目線を下げたときだった。
「ここに、文字が彫ってありますね。ところどころかすれていて読み難いですが……がん、か、い……くず、れし、ときご、うお、んと……とも、にれい、ごく……のお、わり、き……た、れり……。“岩塊崩れし時 轟音とともに冷獄の終わり来たれり”でしょうか」
指で岩をなぞりつつ、リオンが彫られている文字をゆっくりと読み上げる。その言葉に真っ先にディーが反応した。
「え、じゃあこれを壊せば凍土が解けるってこと!?」
「そういう意味、になるんでしょうね。およそ現実的ではありませんけれど」
興奮するディーに首を傾げながらもリオンが同意を示す。しかし、雷華の頭には嫌な予感がよぎった。もしこの考えが当たっていた場合、リオンの言うとおり現実的ではないが、凍土の地はなくなるだろう。それはクルディアの人にとっても雷華にとっても望むものであり、異存などあるはずもない。ないが、気になるのは岩塊に記されていた“轟音”という言葉で、それの意味するところは、途方もなく大きな音。つまり、目の前にある小さな岩が崩れるような音ではなく、もっと大きな、例えば今いる楔が崩壊するような……。
「何でもいいって。これで凍土の地がなくなるんなら」
「ディー、ちょっと待っ――」
「ほいっと」
雷華が制止するも間に合わず、ディーは大剣を鞘ごと楔の形をした岩塊に振り下ろした。がらがらと音を立てて小さな楔が崩れていく。
「これが轟音? なんか随分小さいわね」
大剣を肩に担ぎ直したディーが、地面を転がっていく小さな岩の欠片を眼で追いかける。その時、地面が小刻みに振動し始めた。
「おい、揺れていないか?」
「地面が揺れてる」
ルークとロウジュが辺りを見渡す。振動は徐々に大きくなっていき、頭上からぱらぱらと砂のような細かな石が振ってきた。
「ああ、やっぱりー!」
予感が的中したことを悟った雷華は、頭を抱えて叫んだ。
「どういうことだ、ライカ」
「楔の形を模した岩の塊は、楔そのものだったってことよ!」
「そうか、だから轟音なんですね」
「え、意味がよく分かんないんだけど」
遠くの方で大きな音がする。揺れも大分大きくなり、立っているのがやっとだ。
「ディーが壊したのは私たちが今いる冷獄の楔なの!」
「……じゃあ、ここは」
ようやく今起きている現象を理解したディーが、さあっと顔色を変える。
「もうすぐ崩れるのよ! だからちょっと待ってって言ったのに!」
「……ごめん」
「言い合っている場合ではありません。早くここから出なければ」
「そ、そうですね。行きましょう」
よろめきながら走り出す。揺れている上に灯りはカンテラが二つだけ。何度も躓いて転びそうになる雷華の手を、ロウジュが掴んでしっかりと握る。雷華よりも足元が覚束ないリオンは、ディーに腕を引かれていた。
苦労して上がった穴を飛び降りる。通常であれば躊躇うような高さだが、逃げなければという思いの方が強く、何の抵抗もなく降りることができた。揺れは激しくなり、地響きのような音がどんどん迫ってくる。走ることを止めれば、崩壊する楔に飲み込まれ、生きてここから出ることが叶わないだろうことは明らかだった。
振り返りたい気持ちを抑え、ひたすら前だけを見て走り続ける。足をくじくこともなく、出口まで辿りつけたのは奇跡に近かった。




