三話 陽ヲ仰グ時
「……ん…………んん?」
顔に当たる太陽の熱を感じて、雷華は眼を覚ました。
一体ここはどこだ。何故自分は夜でもないのに寝ていたのか。ところどころ剥がれ落ち、ひびが入っているくすんだ色の天井をぼんやりと眺めながら、記憶を探ろうとすると、頭がずきりと痛んだ。
「いった……もう、何がどうなってるっていうの? どこなのよ、ここは」
顔を顰めながらベッドから起き上がる。傷んでいるのは天井だけではないようで、足を下ろすと床がみしりと軋んだ音をたてた。人が住まなくなって久しいと思われる部屋だが、自分が寝ていたベッドのシーツは新しい。と、そこで自分がドレスを着ていることに気がついた。
「何でドレスなんか……そうか、私、クレイと一緒に生誕祭に行ったんだった」
ベッドの淵に腰掛けて痛む頭でゆっくりと考える。生誕祭でヒューゼヴェールトに祝辞を述べて、クレイと話して、それから――
記憶に靄がかかっているようで、どうしても肝心の部分が思い出せない。攫われたらしいということは想像がつくのだが。
「ここは一階で窓もある。私が逃げたらどうするつもりなのかしら」
眼の前にあるひびの入った窓から外に出ることは容易い。逃げないという確信があるのか、逃げられても捕まえる自信があるのか。おそらく両方だろうなと雷華は思った。状況も分からず闇雲に逃げるなど危険すぎるし、ドレス姿では思うように走れない。後先考えない人間ならともかく、まともな思考の持ち主ならまず逃げようとは思わないだろう。それに何より頭が痛い。
まずはこの頭痛をなんとかしなければと、眼を閉じて額を指で強く押していると、控えめに部屋の扉が叩かれた。返事をすべきか迷っていると、か細い女性の悲鳴のような音を立てて扉が開いた。
「失礼します。神子様、お目覚めでいらっしゃいましたか」
入ってきたのは一人の女。彼女は雷華が起きていたことに驚いたようだった。
「誰? えっ……貴女は確か……どういうこと?」
首だけ動かして扉の方を見る。今度は雷華が驚く番だった。何故なら雷華は女を知っていたからだ。
「申し訳ございません、私の口からは申し上げることができないのです。喉は渇いていませんか?」
女は眉尻を下げて首を振ると、露骨に話題を変えてきた。どうやら口止めされているらしい。
「あ、ええ、お願いできますか」
説明してもらえないのは残念だが、仕方がない。それに、水が欲しかったので女の申し出はありがたかった。水分補給をすれば、頭痛も少しはましになるだろう。
「畏まりました。少々お待ち下さい、今お持ち致しますので」
女は一礼して部屋から去っていった。きぃぃ、とまた扉が悲鳴を上げた。
窓に向き直って、今の会話を思い返す。攫った人間に対してとる接し方とはとても思えない。こちらが下手に出るのならば理解は出来る。攫われた側なのだから当然と言えば当然だ。なのに何故、攫った側であるはずの彼女が、こちらが上であるかのような対応をするのだろうか。もしかすると彼女も――?
「さすがにそれはないか。じゃあ考えられるのは……そういえば彼女、変な言葉使ってたわね。ミコサマとかなんとか。あれ、何だったのかしら」
首を捻りながら立ち上る。少し迷ったが窓を開けることにした。外にさえ出なければ大丈夫だろうと判断したからなのだが、幸いにして開けた途端に弓矢が飛んでくるということはなかった。
「うーん、気持ちいい」
少し冷たい風が、起きたばかりの身体を覚醒させていく。背伸びしたり腕を回したりして身体を動かしながら、何度も深呼吸を繰り返した。
「ずっと寝てて身体が凝ったのが頭痛の原因かな。一体どれくらい寝ていたのかしら」
「丸二日だ」
「っ!?」
突然背後から男の声がして、雷華は心臓が止まりそうになった。くらくらと眩暈がして寒くもないのに身体が震えだす。気配を全く感じなかった。先ほど女が出入りした時にした、扉が軋む音も聞こえなかった。だが、そんなことは今の雷華にとって些末なことだった。男の声を聞いた瞬間、全ての記憶が甦ったのだ。
(思い、出した)
「頭が痛むのか」
固まったまま動こうとしない雷華に、男がもう一度話しかける。
「…………どうして」
言えたのはそれだけだった。背中を向けたまま小さな声で呟く。夢ではないと分かっていても、認めるには勇気がいった。冗談だと、ただのいたずらだと言ってほしかった。
「水とパンを置いておく。あと半刻で出発する」
だが、男は無情にも雷華に現実を突きつけた。
「話を逸らさないで! 私は理由を訊いているのよ! 答えなさいよっ、ディー!」
振り向いて叫ぶ。そうだ、王城のテラスで自分は会った。一緒にイシュアヌ王都のリムダ山に入って悠久の理を探した、賞金稼ぎのディーに。調子がよくて胡散臭い男。しかし、あのときは誰か分からないほど冷たい眼をしていた――今と同じように。
「……俺はクルディア国将軍、バルディオ・ヴェルクだ」
すっと眼を逸らし、問いには答えず低い声でそれだけ言うと、ディー――バルディオは雷華に背を向け部屋から出ていった。
「訊いてないわよ、貴方の名前なんて……」
扉が奏でた哀しげな音は、はたして誰の心情を代弁したものだったのか。
とまあこんな感じでしばらくの間は、雷華さんとルークさんが交互に登場します。読み難いかもしれませんが、ご了承下さいませ。