三十七話 翼ノ竜ト空
リオンの神のお告げのような発言から四日後、雷華は文字通り空の人となっていた。
「寒いいぃぃぃ、痛いいいぃぃぃ、凍えるううぅぅぅ」
かちかちと歯を鳴らしながら、今の心境を声に出す。容赦なく向かってくる風と雪で、とっくに顔の感覚はない。防寒着を着ていても、体の芯から冷えきっている。鼻水どころか吐息さえも凍りつきそうな寒さだ。腹に抱えているルークが今は羨ましくて仕方なかった。何故なら今の彼は、
「いいわよねえぇぇ、ルークは毛に覆われていてえぇぇぇ」
黒犬の姿に戻っていた。
リオンの言う「空を飛ぶ」とは、つまり翼竜に乗るということで、具体的に言えば、双子の賞金稼ぎと共にクルディアの港町ザーラグに逗留している騎士、エルクローレンの力を借りるということだった。
雷華は、当初この案に反対した。リオンをクルディアに連れてくる最速で最良の手段だったとはいえ、自分のことで巻き込んでしまい、ただでさえ申し訳ないのに、これ以上迷惑はかけられないと思ったからだ。
しかし、ルークをはじめとした部屋にいた全員から、他に方法はない、翼竜であれば三日とかからずに行って帰ってこれる、などと説得され、最終的には同意した。
翌日、シェラルダとの会談の際に、凍土の地の調査という名目で翼竜で楔に向かう許可を貰い、同じ場でディーが案内役として同行したいと自ら申し出、これも許可された。
昼過ぎに馬車で王都エクタヴァナを出立し、三日目の夕方、つまり昨日の夕方にザーラグに到着した。
「ライカ姐、無事だったんっすね!」
「姐様! 良かったですー!」
飛びついてくる双子の頭を撫で、心配をかけたことを詫びる。次いで現れたエルにも謝罪し、感謝の意を伝えた。
「いえ、ライカさんには私の家がお世話になりましたから。協力は惜しみませんよ。貴女が無事で良かった。そういえば、父が是非もう一度会いたいと言っていました。どうやら父は貴女のことをかなり気に入っているようでして、私に嫁にどうだとまで言ってきましたよ」
「ディナム侯爵……」
困ったような笑みを浮かべるエルに、引きつった笑みを返す。冗談だと思いたいが、侯爵の場合は本気で言っている気がしてならなかった。
何せ、会って間もないうちから自分の下で働かないかなどと言い出すのだから。雷華はエルに失礼にならないよう言葉選びに四苦八苦しながら、丁重に断りの意を伝えた。後ろでルークとロウジュが、エルとその父親に殺意を燃やしていたのは言うまでもない。
エルにディーを紹介し、簡単に事情を説明した後、おそるおそるといった態で本題に入ったのだが、彼はすんなりと了承してくれた。彼曰く、マーレ=ボルジエの温暖な気候しか知らない相棒が、寒冷なクルディアに来てから大層機嫌が良いのだとか。
雷華には初めて見たときと寸分違わないようにしか見えなかったが、エルが言うのだから間違いないのだろう。問題は、翼竜に乗れる人数だった。
翼竜に乗れるのは最大五人。双子を除けば雷華たちは六人で、一人多い。その問題を解決したのが、リオンの「犬に戻りなさい」の一言だった。おそらく本人もそう言われる気がしていたのだろう。もの凄い嫌そうな顔をしながらも、何も言わずに幼なじみの言葉に従った。
これで万事解決、と思われたが、一つだけ全員がうっかりしていたことがあった。エルにルークの事情を話していなかったのだ。敬愛する特務騎士が突然、胴長短足の黒犬になったのを目の当たりにした彼は、眼を点にしたまま動かなくなってしまった。
「ルークウェル様が黒犬に……殿下が犬……犬が殿下……」
「エルさん! 戻ってきて、エルさん!」
遠く彼方に飛ばされたエルの意識を呼び戻し、彼に《黒い神の宿命を持つ者》の話をし終えるころには、辺りはすっかり闇に閉ざされていた。
「また俺たち置いてけぼりかよー」
「文句言わないの。私たちは無理矢理ついてきただけなんだから」
「本当にごめんね、二人とも」
朝日がぶ厚い雲の隙間から僅かに顔を出している、朝三の刻。文句を垂れるキールと、彼を窘めるマールに謝り、雷華は鈍色の背に跨った。外套の隙間からは、ちょこんとルークが顔を出していた。
「ライカさん、大丈夫ですか? そろそろヴィシュリを休ませたいのですが、ヴェルク将軍殿、どこか適した場所はありませんか?」
一番前で手綱を握るエルが振り返って、風に負けないよう大きな声で叫ぶ。彼の眼の下にはくっきりと隈ができていた。
「うーん、そうだねえ、もう少し行った先に山があるんだけど、その中腹に確か洞窟があったんじゃないかな。かなり大きいから翼竜でも大丈夫だと思うわよ」
エルの後ろにいるディーが右斜め下前方を指差す。エルは頷き、前に向き直った。
「分かりました。では少し高度を下げます」
言うなり、手綱を操りヴィシュリに合図を出す。翼竜はぐおおん、と低い声で吼え、大きく翼をはばたかせた。
「ひぁぁぁっ、落ちるうぅぅぅ」
見渡す限り雪と氷に覆われた大地の上空に、翼竜の翼の音と、雷華の悲鳴が響き渡った。




