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黒犬と旅する異世界 ~黄昏と黎明~  作者: 緋龍
旅の終わりを感じるに至った理由
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三十六話 炎ノ尾ノ虎

 活動報告に新しいおまけ話を載せています。よろしければご覧下さい。感想お待ちしております。

「――そう、わかったわ。ところで、ディーはくさびという言葉に聞き覚えがある?」


 ヴェルク将軍ではなく、ディーの口調で、アドラーレの意識は戻ったがミレイユの意識はまだ戻らないこと、謁見の間での全ての会話は他言無用であること、明日の昼一の刻にシェラルダが内密の会談を希望していることを、ルークとロウジュの矢のような鋭い視線を受けながら、それを全く気にすることなく話し終えた彼に、雷華が訊ねる。


「楔? それってシキルリラ公爵が言ってた楔のこと?」


 無精髭の生えた顎をさすりながらディーが訊き返す。


「ええ。彼、二本目の楔って言ってたでしょ。それって一本目があるってことよね? 実際にどこかに存在しているの?」


「あー、あるわよ」


「本当に!? どこ? どこにあるの?」


 あっさり肯定するディーに、雷華は腰を浮かせて詰め寄る。その様子に、長椅子の肘掛の部分に腰を下ろしていた彼は、若干仰け反りながら答えた。


「えっと、確か、この国の最北端かつ最東端の場所だったかな。どうしてそんなこと知りたがるわけ?」


 不思議そうに首を傾げるディー。だが、彼の問いに雷華が答えるよりも前に、リオンが口を開いた。


「教えていただきたいのですが、その楔には何かいわれでもあるのですか? ……そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。私はマーレ=ボルジエの聖師リオン・グレアスといいます。どうぞお見知りおきを、バルディオ・ヴェルク将軍殿」


 リオンは立ち上って優雅に一礼する。透き通った薄い緑色の髪が、さらりと彼の顔にかかった。


「ご丁寧にどーも、グレアス聖師殿。謂れというか伝承がありましてね。――遠い遠い昔、傲慢にも自分は神になるのだと豪語した一人の男がいたんだそうです。この世界全てを手中に収め、おのがものにするのだと。男の振舞いに神は怒り、巨大な楔を天から落とされた。楔は男を大地に繋ぎとめ、さらに、万が一にも男が動き出すことがないようにと、雪を降らせ周囲を凍らせた。男の身体は凍りつき、二度と温かさを取り戻すことはなかったが、神になりたいという執念だけは、今も消えずに楔の下で渦巻いているため、楔は大地を凍らせ続けているのだ。ってまあ、こんな感じの話だったと思うけど」 


「傲慢な考えを持つと神の怒りに触れるという教訓ですね。大変興味深いです」


「また悪い癖が……そんなことより、問題はどうやってそこに行くかだろう」


 眼を爛々と輝かせるリオンを苦い顔で見ながら、ルークが話を元に戻す。


「は? 行く? 冗談でしょ?」


 変なものを見るような眼でディーがルークを見る。


「それが冗談じゃないのよ。私だってそんな寒いって分かりきってる場所に、出来れば行きたくなんかないんだけどね」


 何故そんなところに行かなくてはならないのか。それは、次の目的地としてイシュアヌの石碑に記されていたからだが、何の目的で世界各地を回らされるのかは、依然として謎のままだ。しかし、《色のない神》――もしくはまた別の存在が、どんな思惑を抱いているせよ、示された場所を巡らないことにはこの旅が終わらないことだけは確かだった。


 (それにしたって、何も極寒の地に行かさなくてもいいじゃない)


「くっついてればいい」


「ロウジュ……それじゃ身動きが取れないでしょ」


 的外れなことを言うロウジュに、的外れな言葉を返す。そこにまともな意見を突っ込んだのはディーだった。


「いやいや、ライカちゃん。楔は凍土の地の最奥にあるのよ? 徒歩なんて論外だし、かと言って馬でも無理ね。辿り着く前に凍え死ぬわ」


「そ、そんなに厳しいの。どうしよう、やっぱり行きたくないなあ」


 頭を抱えて項垂れる。今ほどこの旅を止めたいと思ったことはない。もし、行かずに済む方法――そんなものがないのは百も承知だが――を誰かに提示されれば迷わず飛びついただろう。

 暖かい部屋に冷たい沈黙がおりる。暖炉で火が爆ぜる音が、急に大きく聞こえ出した。


「……つまり、凍える前に辿り着けばいいんですよね」


 座ったまま窓の外を見ていたリオンが、静かに口を開く。その声には自信のようなものが感じられた。四人の眼が一斉に彼に向けられる。


「そりゃそうだけど、そんな足の速くて寒さに強い生き物なんて地竜くらいしかいないわよ。雪深い村のなかには、紅燐虎こうりんこなんていうおっそろしい獣を飼い慣らしてたりもするけど、俺たちにゃとても乗りこなせないしね」


 無理無理、と言ってディーがひらひらと手を振る。地竜は知っているが紅燐虎は初耳だ。どんな生き物なのだと雷華が訊くと、人間の身の丈の二倍は軽くある、獰猛な虎だという答えが返ってきた。雪のように白い体毛の持ち主だが、尾だけが血のように紅く、その尾を炎のように揺らせてみせることで、人間をおびき寄せ喰らうのだとか。極度の寒さの中、焚き火が見えれば誰でも行こうと思うだろう。人間の心理をついてくる恐るべき獣だと、雷華は聞いていて背筋が寒くなった。


「火を見ても迂闊に近付けないわね」


「大丈夫、ライカは俺が守る」


「絶対に傷つけさせたりはしない」


「ありがとう、二人とも。それで……リオンさんの言う、凍える前に辿り着く方法とは、どういったものなんですか?」


 互いに睨み合う黒髪二人に礼を言って、リオンに続きを促す。すると彼は、艶然として窓の外を指差し、こう言った。「空を飛べばいいんですよ」と。

 聖師のほっそりとした美しい指の先で、星が煌いて暗闇へと落ちていった。

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