十五話 風ヲ切ル声
「……自らの意思で、この国の力になると?」
「私にはやらなければならないことがある。だから早く自由になりたい。でも、貴方たちからは逃げられそうにないし、それにこのまま知らない振りをするのも気が引ける。となれば、さっさと問題を解決するしかない。どう、簡単な理屈でしょ?」
本当は不安もあったが、悟られないようにこりと笑ってディーを見る。
この場にルークとロウジュがいたならば、不安を感じることもないのだろうなと思いながら。彼らはきっと、ディーたちに協力する必要などないと反対しながらも、最後には雷華の意思を尊重してくれるのだ。
優しくて頼りになる二人。
彼らに早く会いたいと雷華は強く願った。
「そうか」
小さく呟いてディーは顔を歪めた。何かを考えているようにも、何かに耐えているようにも見える。ゼフマーもフォレスも押し黙ってしまい、会話が途切れた。
そうすると、今まで気にならなかった風の音がいやに大きく聞こえだした。
雷華が頭を下げるために立ち止まったせいで、全員の歩みが止まってしまっていた。歩いて温まっていた身体が冷えて、肌寒くなってくる。
そろそろ歩き出したいと思い、雷華はディーにそれを伝えるべく口を開きかけた。
しかし――
「な、なにしてるの!?」
ディーのとった行動に悲鳴に近い声を上げ、大きく後ろに後ずさる。なんと彼は跪いて雷華に頭を垂れたのだ。
「今までの非礼な振舞い、衷心よりお詫び申し上げる。そして、我らに力を貸してくれること、衷心より感謝申し上げる。俺、いや私は陛下に忠誠を誓った身ゆえ、神子に誓いをたてることは出来ない。だから、クルディア国将軍バルディオ・ヴェルクとしてではなく、ただのディーとして誓う。剣となり盾となり、命を賭して貴女を守ると」
「ちょっ、ちょっと待って、いきなり何を言い出すの」
当然だが、雷華は誰かに跪かれたことなど生まれてから一度もない。
どう反応すればいいかも分からない。破裂するのではないかと思うほど鼓動が速くなる。
助けを求めようとおろおろしながらゼフマーとフォレスを見ると、彼らもまたディーと同じく跪いて頭を垂れた。
雷華の口から言葉にならない悲鳴が漏れる。
「私も全力で貴女を守ります。どうかこの国を御救い下さい、神子様」
「いや、だから」
「俺も神子様を守ります!」
「いい加減にして!」
状況に耐えられなくなった雷華は、叫びながら駆け出した。
全身が燃えるように熱い。肌寒いと感じていたのが嘘のようだ。
後ろからディーの止まれと叫ぶ声が聞こえ、さらに走る速度を上げる。
緩やかな坂を一気に上りきると、大小の岩が散らばっている下り坂の先に、細い川が見えた。
このとき周りをよく見ていれば、岩陰に潜む気配に気付いただろう。だが、ディーたちから離れることしか考えていなかった雷華は、周りに注意を払うことをしなかった。
上りよりもやや急な坂を転がるように駆け下りる。
「閻狐だ! 避けろライカ!」
「えっ? きゃああぁっ!」
ディーの珍しく焦った声が聞こえたと思ったときには遅かった。
岩陰から飛び出してきた黒い影に横から突進され、不意打ちをくらった雷華は、地面に叩きつけられた。衝撃で一瞬、呼吸が止まる。
「ごほっ、な、なにが、っ!?」
ぶつかってきたものの正体を見た雷華は戦慄した。
赤と黒が入り混じった毛の巨大な獣が、恐ろしく尖った牙を光らせて自分の両肩に前足を乗せ、唸っていた。
金色の瞳と眼が合ったと思った瞬間、口を開けて襲いかかってくる。咄嗟に持っていた袋で防いだものの、獣はもの凄い力で、とても敵いそうにない。
「くうっ……」
布が裂ける音がする。袋を牙が貫くのは時間の問題だった。
(こんなところで死ぬわけにはっ)
一か八か、反撃するべく獣の腹を蹴ろうと、雷華は足を上げた。
そのとき、
「動くな!」
空気を切り裂く鋭い音がして閻狐がよろめく。力が弱まったのを感じた雷華は、力を振り絞り噛みつかれた袋ごと閻狐を横に振り払った。
素早く立ち上り、構える。
閻狐の横腹には弓矢が二本突き刺さっていた。が、逃げる様子は全くない。それどころか、咆哮を上げて怒りを露わにしている。
再び襲いかかってこようとした閻狐に終わりをもたらしたのはディーだった。
雷華の横をすり抜け、大剣を躊躇なく振り下ろす。胴体を斬られた閻狐は、辺りに赤い血を撒き散らしながら、大きな音を立てて地面に倒れ、何度か痙攣したあと動かなくなった。
こと切れた獣は、恐ろしい形相で雷華を睨んでいた。
「怪我はないかっ」
「え、ええ。ありがとう、助かったわ」
閻狐の身体から流れる血から眼が離せないまま礼を述べる。
殺すか、殺されるか。
それは人間同士に限ったことではないのだと、動悸が治まらない中で考える。彼らがいなければ殺されていたのは自分の方なのだ。
「俺に誓いを破らせるつもりか」
溜息とともに、肩に腕を回され片手で抱き寄せられる。獣しか見ていなかった雷華は、よろめいてディーの分厚い胸板に顔をぶつけた。
「いたっ、えっ、なに、どうしたの? また何かいた?」
鼻をさすりながらディーを見上げる。
「傍を離れるな」
「ごめんなさい。でも、ディーが変なこと言うからでしょ。二度と止めてよね。何度も言うようだけど私は神子じゃない。私はそんな偉い人間でも敬われるような人間でもないのよ」
ディーの温もりに動揺しつつ、やや早口で喋る。
「……分かった。だが、先ほどの言葉は嘘ではない。俺は必ずお前を守る……ライカ」
名を呼ばれ肩に回された腕に力を込められる。
心臓がどうしようもなく高鳴り、眩暈さえ感じたが、全て獣に襲われたせいだと雷華は自分に言い聞かせた。