十四話 先ヲ憂ウ思
長時間馬で走ることに慣れていない雷華を気遣ってくれたのか、しばらくの間徒歩で移動することになった。
硬い地面を踏みしめながら、やや早足で広い平原を進んでいく。空気は冷たかったが、歩いているせいかさほど寒さは感じなかった。
「宿屋で何があったの?」
ミレイユから渡された水筒の水で喉を潤す。宿を出てから水分を補給していなかったため、一気に半分ほど飲んでしまった。
ドレスの入った袋をゼフマーが持ちましょうかと訊いてきたが、大丈夫だと言って断った。
「主人が死んでいた。喉に矢が刺さっていたから殺されたのは間違いない」
「そう、だから急いで宿を出たのね」
受付にいた男の顔を頭に浮かべながら俯く。人の死を聞くとどうしても気分が落ち込んでしまう。
だが、ふと疑問を感じて隣りを歩くディーを見上げた。
「どうして最初に私を狙わなかったのかしら」
「邪魔になると思ったからだろうが……確かに少し変だな」
雷華に言葉を返しつつ、ディーが首を微かに捻る。
暗殺者の心理など分かるはずもないが、もし自分が暗殺者の立場なら標的だけを狙う。余計な人間を殺すなど、見つかる危険が増すだけだろう。
殺しに来る途中で偶然出くわして、咄嗟に殺したということも考えられなくはないが、可能性は低いように思える。
雷華の許に誰も来なかったからだ。となれば、
「最初から宿屋の主人だけを殺すつもりだった……? だとすれば何故?」
そこに謎があればそれを解き明かし、真実に辿り着きたいと思うのは職業病だろう。しかし、今の段階でこれ以上の推理は無理だと判断した雷華は、次の質問に移ることにした。
「宿の主人のことはとりあえず措いておくことにして、あと気になったのは、えっと……ああそうそう、シキルリラ公爵家って? さっきフォレスさんが言ってたわよね。それが私を狙っている人なの?」
「……ああ。エレミヤ・リム・シキルリラ公爵夫人。この国を争いに導こうとしている女の名だ」
ディーは、真剣な顔で独り言を呟きながら宿の主人の死について考える雷華をじっと見つめ、何か言いたそうにしていたが、結局何も言わずに彼女の問いに答えた。
「確か……貴族の中で一番位が高いのが公爵だったわよね。まあ女王のお姉さんなんだから当然の嫁ぎ先か。ん、でもちょっと待って。どうして妹が女王? 今まで深く考えなかったけど、クルディアではそれが普通なの?」
「誰が王になるかは先代の王がお決めになるから、おかしなことではない。と言っても、長子が即位することが多いがな」
「長子以外の方が王になられるのは百二十年振りだと、侍従をしております私の父が申しておりました」
後ろを歩くゼフマーがディーの説明を補う。振り返って頭を下げてから更に質問を重ねた。
「姉を選ばなかった理由は?」
「理由が明らかにされることはない。おそらく陛下もご存知ないのではないかと思うが……それがどうかしたか」
何故そんなことを訊くのかとディーの顔が訝しんだものになる。
もしかしたら姉が選ばれなかったことが、対立の原因の一因になっているのではないかと思ったのだ。
理由が分からないからこそ、納得できないし、不満が募る。
何故自分ではなく、妹なのか、と。
だが、それを今この場で言うのは控えるべきだと、雷華は首を振って何でもないと誤魔化した。
「少し気になっただけ。あともう一つ。二人が争うようになったのは広がり続ける凍土の地が原因なのよね? じゃあ、それを解決できれば争いは収まるの? この国は平和になる?」
雷華の問いかけに三人の動きが止まる。虚を衝かれたといった感じだ。
強い風が吹いて、外套が大きな音を立ててはためく。
顔をそむけて髪を押さえた雷華の眼に、耳の長い兎が二匹、草むらの陰から走り去っていく姿が映った。
「それは……おそらく」
一番早く驚きから立ち直ったディーが、口を手で覆いながら呻くように呟いた。彼の中で様々な感情が渦巻いているのが見てとれる。
「神子様には、あの凍りついた大地を元に戻せる御力があるということですか!?」
先頭のフォレスは興奮のあまりか、ずいっと雷華に近寄って大声で捲し立ててきた。手綱を引っ張られた彼の馬が嫌そうに首を振る。
「フォレス!」
「も、申し訳ありません!」
ゼフマーの鋭い声で我に返ったフォレスは、慌てて歩き始めた。またしても引っ張られる形になった彼の馬は、鼻を鳴らして怒っていた。いい加減にしろと言いたいのだろう。
「違うわ。私は神子じゃない。未来を視る力なんてない。この国のこともよく知らない。でも……私に出来ることがあるのなら、力になりたい……。何が出来るのかは今のところ全然思いつかないけど。それでも、いいかな?」
首を傾げて、ディーを見上げる。
解決できる根拠などどこにもない。少し人とは違う“力”を持っているだけで、無力なことに変わりはない。
だけど何故か、なんとかなると思った。
未来を視る力などないはずなのに、この広大な道の先には平和があるのだと、予感がした。