十二話 暗キ屍ノ森
すぐにここを出ますとミレイユに言われ、フードのついた外套を渡される。外套を身に纏うと、雷華は唯一の持ち物であるドレスが入った袋を持って、彼女の後に続いた。
一からではないにせよ自分の身体に合わせてアリーシャが仕立ててくれたものだ。邪魔になるだけかもしれないが、置いて行きたくはなかった。
片手で袋を抱え薄暗い階段を下りると、受付の前にディーが立っていた。前にも見た極太の剣を手にしている。
他に人影はない。しんと静まり返っていることが、逆に雷華の不安を掻き立てた。
誰もいない受付から奥に行き裏口から外に出れば、赤色の髪の兵士が抜身の剣を構えながら辺りを警戒していた。
傍には鞍をつけられた三頭の馬が、大人しく佇んでいる。そのうちの一頭は黒翔馬だ。
「ゼフマー」
「発見には至っておりません。フォレスとシルグが先に門に向かいました」
「そうか」
報告してきた兵士に低い声で短く言葉を返すと、ディーは大剣を黒翔馬にくくり付け、さっと飛び乗った。ミレイユとゼフマーも慣れた手つきで馬に跨る。
馬の上からディーに差し出された手を握ると、雷華もあっという間に馬上の人となった。
「落ちないでね」
「わ、わかってるわよ」
後ろから耳元で雷華にしか聞こえない声で囁かれ、心臓が大きな音を立てる。思わず袋を抱える手に力が入った。
「行くぞ。警戒を怠るな」
「はいっ!」
「はっ!」
ディーの言葉を合図に三頭の馬が駆け出す。静寂に包まれたリュネーの町に、石畳と蹄がぶつかる音が響き渡った。
色々訊きたいことがあるが、舌を噛みたくはないので、馬が止まるまで我慢する。腹部に回された腕や、背中から伝わる温もりに、緊張と安心を感じながら、雷華は馬から落ちないよう、腹に力を入れた。
路地を抜け広い通りに出ると、来たときには通らなかった巨大な門が見えた。門は堅く閉ざされており、数人の力ではとても開きそうにない。
どうするつもりなのだろうかと首を捻ってディーを見上げれば、彼はにやりと笑って門のすぐ横を指差した。視線を前に戻してぐっと眼を凝らすと、外壁とよく似た色の扉があるのが分かった。
「扉をくぐってリュネーを出れば、すぐに死屍の森だから」
「死屍の森……」
ジグレイドが言っていた、方法を知らなければ絶対に出られない森のことだろう。出られなかった人間がどうなったのかがよく分かる名前だ。気味が悪くて背筋が寒くなる。まさか自分が通ることになるとは夢にも思っていなかった。
「森に入らないという選択肢は?」
無理だと分かってはいても、微かな希望を抱かずにはいられない。だが、やはりあっさりと希望は打ち砕かれた。
「ないよ」
「……ですよね」
がっくりと項垂れる。ただでさえ夜の森は昼より何倍も不気味に感じるのに、名前からして嫌な予感しかしない森に入らねばならないとは。
何事もなく無事に出られますように。雷華は心の中で何度も祈った。
ディーが示した門から外に出ると、いなかった二人の兵士、濃い茶髪のフォレスと金髪のシルグが騎乗して待っていた。彼らの傍には一匹の白い大きな犬がおり、それを見た雷華は無性にルークに会いたくなった。
「この辺りには誰もいません。森で待ち伏せされている可能性が高いかと思われます」
「カンテラを使用せずに行きますか」
「ああ。わざわざ居場所を教えてやる必要はない。白狼を放て」
「はっ」
シルグが短く口笛を吹くと伏せていた白い犬の耳がぴくりと動き、次の瞬間森の中へ駆け出した。五頭の馬が一斉にそれを追うように走り出す。
(迷わずに森を抜ける方法ってあの犬……じゃなくて狼について行くことなのね)
尻尾を振りながら前を駆ける動物は、どう見ても大きな犬にしか見えない。眼つきの鋭さだけで言えば、ルークの方がよほど狼らしいだろう。体型は程遠いが。
そんなことを考えている間にも、白狼とそれを追いかける馬は、森を奥へ奥へと進んでいく。
暗くてほとんど見えないが、不気味な森ということはすぐに分かった。
時折、地獄の底から這い出てきた怨霊の叫び声のような、思わず耳を塞ぎたくなるほど気味の悪い音が聞こえてくるのだ。おそらく風の音なのだろうが、聞いた者は皆、呪われるか祟られるかされるのではないかと、半ば本気で不安になるほど気持ち悪い。ずっと聞き続けていると頭がおかしくなりそうだ。
早くこの森を出たいと涙目になりながら願っていると、突然ディーに頭を押さえつけられた。
「わっ! な、なに――っ!?」
驚いた雷華がディーを見ようと頭を動かしかけたそのとき、すぐ近くで空気を切り裂く鋭い音が聞こえた。そして、とすっ、という木に何かが刺さる音も。
「伏せていろ」
「え、ええ」
ディーの言葉に素直に頷く。音の原因が何かなど訊かなくても分かる。誰かが弓矢を自分たちに向けて放ったのだ。どこから、などと考える暇もなく、次々と矢が飛んでくる。
「右に三、左に四。フォレス、ゼフマー」
「はっ!」
「お任せを」
ディーに名前を呼ばれた二人の兵士が、素早く左右に別れた。彼らの手には小型の弓が握られていた。すぐに姿が見えなくなる。
白狼は弓矢などお構いなしの様子で走り続けている。消えていった二人はちゃんと合流できるのだろうかと、雷華は不安になった。