十一話 或ル夢ノ形
雷華とディーを乗せた馬車は、町に入るとしばらく大通りを進み、細めの路地を折れ進んで、目立たない場所にある宿屋の前で停止した。差し出された手を取らずに外に出る。予想以上に空気が冷たく、ドレスのままの雷華は両手で腕をさすりながら足早に『水晶の草』と書かれた宿屋の扉をくぐった。
宿の人間とは話がついているらしく、一人浮いた格好をしている雷華を見ても何も言わなかった。受付にいる男――おそらく宿の主人だろう――に兵士の一人が小声で話しかけ部屋の鍵らしきものを受け取っている。鍵と交換されたのが二分の一金貨だと気付いた雷華は、眼を丸くして驚いた。
(こんなぼろぼろの宿屋にそんなに払うなんて。口止め料なんでしょうけど、それにしても多過ぎるんじゃないの?)
灯りは必要最低限、床板はところどころ腐っている。ディーに促され二階の部屋に行く際、階段を踏み抜くのではないかと本気で心配になった。
「ここは一番西にあるリュネーって町。今、ミレイユに服と飯を用意させてるから、ちょっと待ってね」
ディーの言葉通り、窓から真っ暗な町を眺めていると、扉が叩かれてミレイユが入ってきた。机に食事の載った盆を置き、ベッドに服の入った袋を置くとすぐに出ていく。空腹も感じていたが、とりあえず先に着替えることにした。動き難いし、何より寒い。
「よし、っと」
鏡が見当たらなかったので仕方なく窓に自分の姿を映し、おかしなところがないか確認する。ミレイユが持って来たのは厚手の服で暖かく、着心地も良かった。
「あれ、チョーカーがない……って違うわ、あれは外したんだった。ないのは蒼色の首飾りだわ。どこで落としたのかしら」
ドレスを仕立ててもらったときに半ば強制的に渡されたものだったが、結構気に入っていたのだ。がっくりと肩を落として自分の首に触れる。いつもは気にも留めないのに、いざ無くなってみるととても心許なく感じた。
「……ご飯食べよ」
とぼとぼと椅子に座り、深皿に入ったスープを口にする。寒い国だからなのか少し辛めの味付けになっていた。
喋る相手もいないのですぐに食べ終わると、雷華はベッドにもぐり込んだ。この先どんな行動を起こすにせよ、体力が必要になるのは間違いない。寝れるときに寝ておいた方がいいだろう。それに、長時間馬車に揺られていたせいで身体中が痛かった。
(ベッドは清潔みたいで良かった。それにしても……二回も誘拐されるってどうなの? 情けない、こんなんじゃ刑事失格だわ……いや、もうすでに違ってるのかな)
この世界に来てかなりの日数が経過しているうえに、まだ戻れる日は遠そうだ。確実にクビになっているだろう。戻った後のことを考えて憂鬱な気分になりながら、雷華は眠りについた。
『……い……おい、聞いてるか紫悠!』
名前を呼ばれ、はっと前を見ると、先輩刑事がもの凄い形相で睨んでいる。雷華は慌てて返事を返した。そうだった、自分と先輩は殺人事件の聞き込みをしている最中に偶然、拳銃密売容疑で指名手配中の男を発見してここまで追ってきていたのだった。
『ったくぼうっとしてんじゃねえよ。奴はこの廃墟ビルの中だ。お前は裏の非常階段から回れ』
頭を小突かれビルの裏手を指し示される。雷華は頭をさすりながら頷いた。
『分かりました。でも先輩、応援を待たなくていいんですか』
『あんな奴、二人で充分だろ。それともお前は自信がないのか?』
『まさか。一応訊いただけです。先輩がびびってるんじゃないかと思いまして。じゃ、行きますね』
口角を上げてにやりと笑う。先輩刑事は一瞬顔を顰めたが、すぐに真剣な表情になった。
『相変わらず口の減らない奴だな……油断するなよ』
『はい!』
全力で走ってビルの裏側に回る。軽口を叩いてみたものの、緊張で心拍数はかなり上昇していた。錆だらけの階段を、足音を立てないよう気を付けながら上っていく。廃墟となって久しいらしく、コンクリートの支柱以外の遮蔽物はほとんどない。隠れている人間がいるかどうかを捜すのは容易だった。
(いた……)
男がいたのは最上階の四階だった。部屋の隅で身を屈めてごそごそ大きな黒いバッグの中を漁っている。こちらに気付いている様子はない。雷華は一度壁に身を隠し呼吸を整えると――
「動くなっ! …………って夢か」
自分の声に驚いて眼が覚める。心臓がばくばく煩い。容疑者を追い詰める夢を見るなど、元の世界のことを考えながら寝たせいだろうか。それにしても驚くほど現実味に溢れていた。本当にあった出来事のような気すらしてくる。実際には廃墟ビルで容疑者と対峙したことなどないのにだ。
「先輩刑事と容疑者を追跡、ねえ。でも私が一緒に行動していたのって課長がほとんどなのよね。なんで課長じゃなかったのかしら。それに……」
枕の上で首を捻る。夢の内容は細部に至るまではっきりと覚えているのに、先輩刑事として登場した男の顔だけが何故か思い出せないのだ。頭の中で夢を再現してみても彼の姿だけぼやけてしまう。
「一課の皆の顔は忘れてないけど、誰とも違うような気がするし……」
捜査一課の厳つい顔を順に思い浮かべていると、控えめに扉が叩かれた。
驚いて窓の外に眼を向けると、まだ暗闇に包まれている。
ということは、何かあったに違いない。
雷華はすぐ動けるよう、返事をしながら上半身を起こした。
「申し訳ありません、神子様」
扉を叩いたのはミレイユだった。何かよくない事態が起きているようだ。雷華は素早くベッドから下りて緊迫した様子の彼女に近づいた。
「どうしたんですか?」
「強硬派に気付かれましたっ。ここは危険です!」