九話 儚ク脆イ地
「クルディアはここ五年ほど、女王と王姉の二つの勢力が対立していてね。でも今までは拮抗を保っていたから、そんなに問題じゃなかった。国としては、っていう注釈がつくけどね。だけど、ある日を境に王姉派が勢力を強めた。陛下が病に臥された日を境にね。言い換えれば、王姉派の人間が陛下に薬を盛った日とも言えるわ。ここまで言えばもう分かったと思うけど、俺が悠久の理を探していたのは、陛下をお救いするためだったのよ」
薄暗い馬車の中、ディーが静かに語り出す。薄暗いのは中だけではない。陽も大分傾いて、空は茜から濃紺へと刻々と変化していた。
雷華は黙って話を聞いていた。女王という言葉が出てきても驚きはしない。ディーの正体を知った時点で予想はついていた。
それよりも、自分の感情に戸惑う。怒りと呆れと、それに安堵がごちゃまぜになって一気に押しよせ、雷華の頭はかなり混乱していた。意識してディーの話に耳を傾けなければ、聞き逃しそうになるくらいに。
「対立の原因は何なの?」
眉間に皺を寄せながら疑問を口にする雷華。ディーが気分でも悪いのかと訊いてきたが、大丈夫だと首を振って続きを促した。
「ならいいけど。クルディアの国土はイシュアヌやマーレ=ボルジエと同じくらいの大きさなの。でも、その半分は一年中雪と氷に閉ざされている。作物とは無縁の大地。何もかもが凍りつく、神から見放された場所。それでも、何とかやってきたんだけどね。増え始めたんだわ……氷の大地が。二十五年くらい前から徐々に、本当にゆっくりとだけど、春になっても雪が解けない場所が増え出した。最初は誰もが些細なことだと気に留めなかった。でも十年くらい前かな、次第に事態を重く受け止める人が増えだしてね。原因を探るべく何人もの人間が雪と氷の大地に向かったんだけど……誰一人突き止められなかった」
(一年中雪と氷に覆われた土地……つまり凍土の地ってことね)
つい冷獄の楔を知らないかと訊きそうになり、慌てて雷華は手で口を押さえる。それを見たディーが、吐き気を我慢しているのだと勘違いしたらしく、本当に大丈夫かと何度も訊いてきた。
「無理だと思ったらすぐに言うのよ、馬車止めるから。えっと、それでどこまで話したっけ」
「だから違うって言ってるのに。氷の大地が増え始めた原因が分からなかったってところまで聞いたわ」
「そうだったそうだった。結局国は諦めたのね、原因を突き止めることを」
「でもそれじゃあ増え続ける一方じゃない」
雷華の言葉にディーは頷いて、太くてごつごつした指を二本立てた。
「そう。だから新たな解決策を模索した。その結果、二つの策が浮上したんだけど……それが対立する原因になっちゃったのよね。他国に協力を求める事で解決しようとする穏健派と、他国の領土を奪うことで解決しようとする強硬派。その頂点に立つのが、女王陛下と王姉殿下ってわけ」
「なるほどね。で? それでどうして私がここにいるの? 貴方の国の事情は分かったけど、それと私に何の関係が?」
ディーの長い説明で、クルディアの内情は理解した。だが、何故自分が攫われることになったのかが、全く説明されていない。
「ライカちゃん花を見つけてくれたでしょ。あの花のおかげで陛下は劇的に回復なされた」
「良かった。間に合って本当に良かったわね、ディー」
突然話題が変わったにも拘らず、自然と笑みが零れる。じっくりと見たわけではないが、ディーの過去で見た女性は、かなり衰弱しているように見えた。見つける事が出来たとはいえ、悠久の理に本当に万病に効く効果があるのか、疑問でもあった。ディーの口から訃報の知らせを聞くことにならなくて良かったと、雷華は胸を撫で下ろした。いつか誰もがそうなると分かっていても、人の死は悲しい。
「……ありがと。それでね、回復された陛下が仰ったの。ライカちゃんは神が自分に遣わした神子に違いないってね。で、俺に命が下ったってわけ」
「だから何で私が神子ってことになるの。って、まあそこは措いておくことにしても、どうして誘拐? 普通に呼べば済む話じゃない。こんな強硬手段に出る必要がどこにあるのかしら」
行きたいか行きたくないかは別にして、頼まれれば断れない雷華の性格上、招待されればおそらく行ったはずだ。誘拐などという犯罪行為に及ぶなど、危険なだけで利点などないと思うのだが。しかし、ディーは真剣な顔で首を横にゆっくりと振った。
「必要はある。最初に言ったよね、陛下は薬を盛られたって。病状は一向に良くならず、穏健派の誰もが諦め、強硬派が今か今かとそのときを待っていたのに、陛下は奇跡的に回復した。神から遣わされた神子によってね。これを知った強硬派はどんな動きに出ると思う? まず間違いなくライカちゃんを殺そうとするわ。神子が助けたとなれば、民は女王が正しいと思うに決まってるからね」
強硬派に悟られるわけにはいかなかったのだと謝るディーの顔は嘘を言っているようには見えない。だが、雷華は納得出来なかった。王姉率いる強硬派に命を狙われているのだとしても、他にも方法があっただろうと思うのだ。
「納得、って顔じゃあないわね。ま、仕方ないか。でも質問は後にしてね、もうすぐ着くから」
いつの間にか夕闇の空が、夜の空に変わっていた。変わり映えのしなかった景色もようやく終わり、窓の外には広大な平野が広がっている。馬車の速度は相変わらず速かったが、揺れは少なくなった。
もう頭は混乱してない。感情が整理されると今度はディーが何を考えているのかが気になり始めた。自分を攫ったのはただ命に従っただけなのか。それとも――
「どうかした?」
「ううん、何でもないわ」
小さく首を振って窓の外に眼を向ける。空に佇む欠けた月を眺め、どこで見ても変わらないことに少し嬉しくなり、そして少し哀しくなった。