商売
駄文注意。
ゴミ溜の様な裏路地、朝日も入らない薄暗いそこで、その子と出会った。
「よう、なにしてるんだ」
「これを混ぜているのです」
そう言って少女が見せてきたのは、バケツと、その中に入った何かだった。白い、何かの生地の様な物だが、わからないから『これ』なんて答え方をしたのだろう。
「仕事か?」
「いいえ、ただの義務です」
「そうか」
少女の服装はおせじにも良いと言えなかった。
絵に描いたような、袋のような布に穴をあけた、そんな服だった。
「飯は、もらってるのか?」
「はい」
「どれくらいの頻度で?」
「1日に二回ほど。たまに、1回」
ホイホイと答えるが、本当かどうかの確証がない。が、身体の細さを見ていると『たまに』は嘘なのだろう。
「俺に、そんな風に答えてもいいのか?」
「えぇ」
「そうか」
これ以上詳しく聞くのは、何か憚られた。
「これ、やるよ」
そう言って今朝コンビニで買った携帯食とペットボトルのミネラルウォーターを渡す。
「同情ですか?」
「ただの情報料だ」
嘘だ。だが、こうでも答えないと受け取らないと思う。
「そうですか。では、ご主人に献上しておきます」
「献上されても困るだろうな、その御主人サマは」
「とはいえ、私のものはご主人のものですから」
「勝手にしろ。俺はお前にやった。それをドブに捨てようが、猫にやろうがブタにやろうがお前の勝手だ」
「ありがとうございます」
「ふんっ」
俺はそう言って踵を返す。『仕事』には間に合うも間に合わないも自営業で客も来ないような店だ。いつ開こうが、いつ休もうが俺の勝手だ。そもそもは趣味程度で始めたものだが、今となっては飽きた。
そんな店に行く必要があるのかといわれると、何とも言えないが、この場所にはあまり長くとどまりたくなかった。
「いってらっしゃいませ」
と、後ろで声がしたので見てみると、少女は微笑んでいた。いや、会った時からずっと微笑みは絶やさなかったが、たった今それが人間らしくなったとでも言うべきか。
「……また会おう」
そう言って振り返らずに歩きだした。
誰もいない店内で、俺は一人紅茶を飲んでいた。ティーパックを何度も再利用しているせいで、色も味も薄く酷いものだった。
やることもなく、壁にかけてある『商品』を眺めながら紅茶を一口飲む。
ふと、今朝あった少女の顔が思い浮かんだ。
裏側に入れば当然そんなこともある。片足を突っ込んで嫌というほどわかったはずだ。女だろうが男だろうが、子供だろうが老人だろうが、今まで見て見ぬふりをしてきたはずだ。
「何を今更……」
そう言いながら、俺は少し汚れたティーカップを口元に運ぶ。だが、口内には何も入ってこない。
カップを見ると、カラだった。気にせずポットを持ち上げて傾けるが、ほぼ透明な液体が一滴カップに落ちただけだった。
ため息を一つつき、呟く。
「少し、高い買い物になりそうだな」
その日、『店』には客は来なかった。
夜、光り輝きながらも街が眠る時間、俺は店を出る。鍵は閉めた。金もある。カバンも持った。
店からそう遠くない場所で歩いていける。だが、この時間は裏道に入れば安全の保証はどこにもないと知っている。
表通りに出ると、街では車が走り回り、男女が腕を組みながら歩いて行く。通行人に声をかける奴もいれば、歩道で座り込み生気のない目をした奴もいる。
「お兄さん、こっちに一緒に来ない?」
と、美人と言って差し支えのない女性が大胆な服装で誘ってくる。
こういうのは大抵スリか雇われの引き込み係だ。路地に引き込まれる場合もあるのを考えるとまだマシな部類だ。
俺は女を無視してそのすぐ脇を通る。さらりとズボンのポケットを探られたが、財布はソコに入れていない。後ろで舌打ちをしたようだが、そんなものを気にしてもしょうがない。警察に通報しようが、こういう奴も裏側に少なからず詳しい。撒かれて終わりだろう。何より俺の身元がバレるのも避けたい。
表通りを少し離れ、裏路地に入る。
そのまま、朝の記憶を頼りに街の灯の入らない路地を歩く。
以前はライトをつけながらゴキブリやネズミに怯えて歩いていたが、今はそうでもない。むしろ今はライトがないほうが好都合だ。ライトは音よりも自分の居場所を明確にする。路地でライトをつけるのは自殺行為だ。そして何より今では明かりの無い事の安心感があった。
裏路地を少し奥に入ると、今朝少女と話していた場所に出た。
今朝と変わらず少女はそのゴミ溜めのような場所にいた。ただ、今はゴミ箱の影で横たわり、規則的に体を上下させていた。
「良い子は寝る時間だもんな」
俺はそう言いながら、少女のすぐ脇の建物のドアを開けた。
開けたドアからは光が溢れ、思わず目を細めた。
部屋の中は、蛍光灯が適度に並べられた、オフィスのような場所だった。ただし、机もなく、椅子もなく、あるのは部屋の中心においてある電話機。それと、その奥の階段。それだけだった。
電話機にはご丁寧に、
『御用の方はこちらの電話で001と押してください。要件によってはその場で消えてもらいますので、お手を煩わせないようにお願いします。
俺は数秒考えた後、周囲を見る。天井にはスプリンクラー、階段の奥行きには電話機を見るように監視カメラ。
ため息をひとつついて、受話器を手に取る。
言われたとおり、001番にコールすると、5秒とせずに相手が出た。
「珍しいお客さんだ。表のもんかい?」
と、いかにも太っていそうな声が聞こえた。
「残念ながら、一応裏側だ。商売を主にやってる」
「何をしに来たか、聞くまでもなくなったな。上がってこい」
「不用心だな」
「フレンドリーだと言ってくれ」
気にせずに受話器を戻し、階段を登る。
2階で1つしか無いドアの前に立ち、ノックをしようとすると中から「鍵は空いているぞ」と聞こえてきた。
「失礼するよ」
と、ドアを開けて見た光景は、スチール製の机と椅子、その椅子からはみ出んばかりの巨体だった。
「よく来たな。ゆっくりしていけ。茶は出さないがな」
「なるべく手短に済ませるつもりだ。茶はいらないよ」
「お互い、早期決着を望んでるわけだな」
「そのようで」
そう言い合うと、太った男は椅子に座り直そうと体を浮かせるが、その巨体に大して椅子が小さすぎるせいで座る位置は変わらなかった。
「さて、先に聞かせてもらおう。お前『ぜげん』だな」
「裏の用語を使う必要もないだろう、人売りって言っちまえばいいじゃないか」
太い顔を更に横に広げるように、そいつは嗤った。
裏としての礼儀はなっていないが、そこそこやってきたのだろうか、雰囲気だけは違う。
「そいじゃ、ひとつ聞くがソコで転がってたのはお前の商品か?」
ソコと言った時に外を親指で指す。
「あぁ、あのガキか。商品だが、売れ残りだ。半分死んだ目が逆に気持ち悪いだとか、そんなふうに言われて買い手がつかねぇよ」
「お前の『おもちゃ』にすればよかったんじゃねぇか?」
「商品には手を出さない主義だって言って信じるか?」
「信じれないね」
こういう奴は売れ残りは大抵遊んで捨てる奴だ。それ以外の奴は無理やりどこかに押し付けるだろう。
「俺から見ても、あいつは気持ち悪い。俺のことをご主人様ご主人様と呼び続けて言われたことを機械のように続け、殴っても蹴っても笑い続ける、気持ち悪いだろう?」
「裏の世界じゃよくあることだ」
ただし、それでもかなり少ないのは事実だが。
「そうか、じゃあお前が買うか? 安くしとくぜ?」
「いくらだ?」
「いくら出せる?」
質問に質問で返すと質問で返ってくる。こういう時は、先に切り出したほうが負けだ。だが、俺はあえて切り出す。
手に持っていたカラのカバンを少し前に放り投げる。
「カラじゃねぇか」
触りもせず、音だけで中身を理解し男はその顔を不快そうに歪めながら俺を見てくる。
「いつ誰がそれに金が入ってるって言った」
「なんだと?」
「その中に札がいっぱいになればいいよな」
「夢の話か? こいつァカラだぞ?」
「俺はそれをいっぱいにできるだけの金を払える。それ以内なら嬉しいんだがな」
と、俺がわざとらしく言うと、男は黙りこみ、俺を見てくる。その目はさながら『本気か?』と訴えかけてきていた。
「信じる信じないかはお前次第」
「いいだろう、コレに半分だ。それを明日同じ時間に持って来い」
俺はニヤリと笑い、言った。
「交渉成立だな」