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夢ノ手記  作者: 澤幸太
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行間①

俺は今からプロットを捨てる。これは実験小説だ!!!

 もしもこれまでの人生を振り返った時、最も幸運な日があったのだとしたら、きっとあきらはあの日のことを答えるだろう。それは入学式から数日した後の、初々しい緊張が解かれ、なんてことない日常が浮かび上がったことに微かな落胆を覚えた時のことだった。


 利発で、人とよく話し、人の話をよく聞く彼女は、その誰にも分け隔てなく接する柔軟な態度も相まって、既に自前のグループを形成し、時を同じくして勃興した彼女以外のグループとも良好な関係を確保していた。この時すでに、クラスのほぼ全員が「草野あきら」を『優秀な人物』として一目置いており、ゴールデンウィーク明けのクラス最初の団体イベントである体育祭では、彼女が中心人物として音頭を取るのだろうという確信がおおいに漂っていた。また、彼女自身も、衒いも自慢もなく、おそらくそうなるだろうと思っていた。


 学校生活という幾度となく環境が変化していく社会において、彼女は常に「デキる」人間という勲章を与えられた。それは持ち前の人当たりの良さと、物事を他人よりも少ない時間で他人よりも熟達することのできる『器用さ』からであった。二つの才覚を秘めた彼女は、幼いころから惜しみない賞賛と尊敬をくべられた。時がたつにつれ、それは彼女にとって賞賛から平凡に変わり、刺激のある香ばしい料理が、胃もたれするくどい味わいに変わるような、幸福な嫌悪感をもたらしていた。


 彼女にとって人間関係や物事の挑戦とは、学期末に行われるペーパーテストと何ら変わりはなかった。大事なのは練習と経験で、その蓄積を棚卸しして、適切な回答をはめ込むだけの児戯であった。そこには安心という名の鈍感な手ごたえ以外には何もなく、ただただ退屈であった。しかし、優秀という烙印でクラスに身を置いている彼女にとって、それを手放すことは学校生活という社会から関係を断つことと同義であり、孤立を避けるためには、彼女は自分自身の退屈を飲み込まなくてはならなかった。



――そんな彼女の前にある日『太陽』は突然やってきた。




 小柄で華奢な体躯に不釣り合いなほど、大人びた小さな顔と、耳元の雫の形をした鈍色のピアス、他人を威圧する針のような雰囲気。教室のドアを開いてやってきた彼女に、あきらは目が離せなかった。それは決して『思わず見惚れていた――』とか『カリスマな雰囲気にあてられた――』とか小説やマンガにありがちなロマンチックな邂逅ではなく、単に他教室からヤバいであろう人物が乗り込んできたことへの戦慄であったため、触らぬ神に祟りなしとでもいうのか、数秒後には彼女を見て見ぬふりして自分の席の周りに群がる友人と談笑を続けていたのだが、彼女の目的がほかでもない自分で、出席番号順で運良く手に入れた窓際の一番後ろの自席に近づいてくるのが分かったら、あきらは半ば強制的に覚悟を決めて、彼女と向き合った。


「ねえ、紺中の草野あきらってアンタ?」


 少女はあきらを取り囲む有象無象を退けると、あきらの机に身を乗り出してそう訊いた。


「そうだけど」


 予想よりもしっかりとした発声であきらは答える。内心の焦りを悟られないよう、細心の注意を払いながら、彼女は目の前の少女と相対した。


「聞いたんだけど、アンタ、何でもできるんだって? ギターは弾けるのかしら?」


「ああ、一応、基本だけ。中学の時助っ人を頼まれて、その時覚えたんだ」


「ふうん」とあきらの回答に、小柄な少女は鼻を鳴らして、意味深な笑みを浮かべた。彼女が一体何を企んでいるのか、皆目見当もつかず、あきらは身構えて固唾を呑んだ。少女はキョロキョロと周りを見渡すと、煩わしそうな目であきらの取り巻きを見て、


「……ここじゃ人が多いわ。場所変えるからついてきて」


 と、言って、踵を返した。「待って」とあきらが慌てて止めると、仏頂面をした少女がこちらを振り返った。


『なによ? 質問なら違うトコロで聞くわよ。今は黙って私に従ってサッサと来なさい』


「いや、そうだとしても、いきなり『楽器やってる?』って聞いたかと思えば『こっちにこい』って言われても、意味わかんないし、正直、ついて行く気になれないというか……」


 そう言って、ヘラヘラと愛想笑いを作るあきら。少女はそんな彼女の様子を見て、侮蔑の表情で舌打ちして、しばらく黙り込んでから、再び口を開いた。


「私は小早川楓。軽音部でボーカルやるつもり。アンタに声をかけたのは、私の作る最強のバンドにアンタが必要だったから」


「最強のバンド? それってどういう……?」


「最強は最強よ。メジャーデビューして武道館やら東京ドームやら、とにかくすごいところで演奏しまくって、私たちの曲を聴いた人が全員私たちのトリコになるような、そんなバンドよ」


「……そんなバカな」


 あきらはあまりに荒唐無稽な話に、思わずせせら笑った。


『バンドで有名になりたい』という高校生など、全世界を探せば星の数ほど出てくるだろう。その中で本気で取り組む者は、大言壮語をせず、水滴が石を穿つような努力をずっと続けている。それは器用さ故に極める愉悦を知らないあきらが唯一、こなせない事柄でもあった。しかし、目の前の少女があきらの器用さに目がくらんで、その先にある、器用(それ)だけでは到達できない領域に至るまでの努力を知らない。だからこそ、多くの凡人はあきらを求める。あきらが努力すれば、努力をしさえすれば、容易に届いてしまう領域だと、ハードルを遥かに低く見積もっているからこそ、そんな発想になるのだと彼女は思った。


「悪いけど、誘うなら他の人にした方がいいよ。あなたも絶対に私じゃなきゃダメってわけじゃないんでしょ? ギターが弾ける器用な人間なんて、軽音部にはたくさんいるんじゃないの?」


「だとしても、アンタ以上の人材はいない。私の見立てではね、最強のバンドにはアンタが絶対に必要なのよ」


「……それ、本気で言ってるの?」


「本気よ。だからアンタの()をみて、こうして話してる。私は()()()()()()()()()()


 そう言って、楓はじっとあきらを穴が開くほどにらみつけた。ドクン、と心臓が高鳴るのを感じた。


「言っとくけど、私はアンタの何でもできるところが欲しいわけじゃない。そんなの、()()()()()()だし。そんな打算的な理由じゃなくて、私はただただアンタが欲しいの、言っているイミ、わかるわよね? 私の言いたいことこれで終わり。以上」

 

 そう言って、楓はあきらを人差し指で指した。まるで脅迫されているような心地がして気圧されていると、本当に楓は「終わり」の宣言通り踵を返して、教室を後にしようとしていた。


 彼女の後姿が遠ざかることに、あきらは自分でも驚くぐらい焦っていた。


 誰の周りにもいるように、あきらの周りにも大それた夢を描く人物は一定数存在したし、実際にその輪の中に誘われたりもした。しかし、それはほとんどの場合、そうした夢を宣言することで自分のアイデンティティや希少性を得て、そのことに陶酔している所謂「カッコつけ」の戯言であった。そして最後には、覚えの良いあきらを『天才』だと崇めたて、自分を理由にして夢をあきらめる。

 

 しかし、彼女――小早川楓については違った。彼女は『東京ドームで来た人全員を虜にする』などというふわふわで抽象的な願望を彼女は本気で叶えようとしていたし、そのために、他でもない自分(凡才)を巻き込もうとしていた。


 冗談じゃない。自分のような人間を、そんな夢物語に誘わないでくれ。 そうあきらは心の中で激号する反面、胸の内から、たぎる思いが溢れてくるのを感じていた。それは退屈を打ち破ってくれるかもしれないという淡い期待と、彼女のいう抽象的な栄光を求める、ミーハーな憧憬であった。


 数秒、彼女は席から立ち上がろうかどうか躊躇したが、少女の姿が完全に見えなくなったところで、まるでカタパルトから投石される大岩のように、勢い良く立ち上がって廊下に向かって走っていった。待ったをかける取り巻きの少女たちを無視して、あきらは楓を追いかけていた。



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