捕虜
ハヤルとカレタンの2カ国間では政治的緊張が高まり、いつ戦争が起きてもおかしくない状況であった。国境付近ではお互いの軍隊が常駐し、いつどちらが攻撃を仕掛けてもおかしくない状況がしばらく続いていた。
トレッダはハヤルの兵士である。いつも少しぬけたような顔をしていて、まるで覇気が感じられない。また一旦口を開くと周りが黙るくらいに喋り続けるところがある。
彼は上官からの命令によりカレタン軍の状況を偵察して報告するため、1人でその上空を飛行機で飛び回っていた。
しかし飛行機は敵軍陣地内の真っ只中で不時着し、トレッダが外へ出た時には敵軍数名に囲まれていた。彼は敵軍の司令官のもとへと連れていかれた。
カレタン軍の司令官はテリヤという男で、体格が良くその眼光は鋭い。言葉を交わさずとも相手を威嚇するようなオーラを纏っていた。
「飛行機に乗って何をしていた?」
テリヤは渋くて低い声でトレッダを問い詰めた。
それに対してトレッダが
「敵軍の偵察をしていました」
とえらく正直に答えたものだからその場にいた者たちは呆気にとられた。
「えらく正直にいうんだな?」
とテリヤも驚きを隠しえなかった。
「いやなんとか嘘を言って切り抜けようとも思ったんですがね、こんな状況ではどんな嘘ついてもどうせバレちまうと思いましてね。この際正直に言ってしまった方がお互いいいのかななんて思いまして」
ここでトレッダの喋りグセが発動した。どんな緊迫した場面で彼が追い詰められていたとしても、彼の話し口調は一旦それを宙に投げてしまうようなところがある。
トレッダはまだ喋り続けた。
「いや偵察をしているといってもあれですよ、僕はそんなことしたくないんですよ。そもそも僕は戦いなんてしたくないんですよ。血を見るのだって嫌いな性格なんですから。でも上官の命令だからするしかないんですよ。うちの上官はすごい恐ろしい男でね、それに筋肉がこれくらいあるんですよ。あれはゴリラの生まれ変わりじゃないかという説がハヤル軍の中では密かに囁かれているんですがね、僕はそれを事実として疑っておりませんでしてね」
ここでさすがのトレッダも周りが全員ぽかんとしていることに気づき、
「すいません、喋りすぎました。で何の話でしたっけ?」
テリヤが呆れたように話し始めた。
「お前は偵察でこの軍の何を知った?」
「何も知りませんよ。飛び立ったらすぐに落下したんですから、何も分からずじまいです。僕は飛行機の操縦なんて全然できないんですよ。なのにあのゴリラ、じゃなくて上官は僕にやらせるんですからね。あの上官は筋肉がでかい分、たぶん脳味噌はこれくらいしかないんですよねきっと」
「上官の話はもういい。これからお前をどうするかについてだ」
「えっ、帰してくださるんですか?」
「帰すわけないだろ。どこでそう判断したんだ?」
ここで何名かくすくすと笑う者が現れた。皆必死で笑いを噛み殺しているが、この捕われている男がおかしくて仕方がないのだ。
このトレッダという男、ふざけて場を濁そうとしているのかと思えば、よく見ればとてもそんな知恵が働く男にも見えない。素でやっているにしても、そこまで計算してやっているにしても、いずれにせよ場の空気を掌握する天才といえる。
「とりあえずお前には牢に入ってもらう。お前の処置は今後決める」
「ありがとうございます。ところでその牢ですがご飯は頂けるんでしょうか?」
「3食ちゃんと用意してやる」
「美味しいご飯ですか?僕かなり食にはこだわる方でして、前から有名なカレタンの鍋料理を食べたかったんです。2国間の関係がよかったら旅行に来て食べたいと思ってたんですが、なにせこんな状態ですからね、もしよかったら食べさせてもらえたりとか、いや無理ですよね、捕虜の立場で調子に乗りすぎました。じゃあ牢に行きましょう」
カレタンの兵士は彼が喋り終わるのを待って、彼を引っ張っていった。
彼は捕われの身でありながら人気者であった。牢には彼と話をしようと多くの者が訪れた。ハヤル人のことを憎んでいる者でさえ、不思議と彼だけは例外として話し込んだ。
テリヤの部下でキーラという男がいる。彼もトレッダと話し込んで仲を深めたうちの1人である。彼はテリヤにある話をもちかけた。
「両軍の膠着状態が続いて何ヶ月と経ちますが、兵の士気も下がってきています。できることなら両軍が撤退することが理想なのではないかと思われます」
「もちろんそれはそうだが、敵が撤退しない以上は我軍も撤退はできん」
「そこで先にハヤル軍に撤退させるのです」
「そんなことができるのか?」
「あのトレッダを使えばできるかと思われます」
「何?あいつを使うのか?」
「あのトレッダという男、あれだけの魅力がある男ですからハヤル軍の中でも人気者であるに違いありません。あの男の口からハヤル軍に撤退を頼ませるのはいかがでしょうか?我が陣営内の小高い丘は敵側からも見ることができますし、スピーカーを使えば声も届けられます。そこで我々の意図をあの男に伝えさせるのです。もしハヤル軍が撤退すれば、大人しく我軍も撤退すると」
「それで敵が信じるかは分からないが、やるだけはやってみよう」
キーラは牢にいるトレッダのもとへ向かいその旨を伝えた。
「我々とて戦争などしたくない。お前の手でやつらを先に撤退させてほしい。そうすれば必ず我々も撤退する。しかし簡単には信じてもらえないだろう。だからお前のその喋りでなんとか説得してもらえないか」
「なんとかやってみますよ。しかしキーラさん、あなたにも協力をしてもらいたい」
「協力とは何をするんだ?」
翌日トレッダは丘の上に登らされた。周りはカレタン軍の兵士数名が囲んでいる。
やがてトレッダがスピーカーを使って話し始めた。
「ハヤル軍の皆さん、僕は不覚にもカレタン軍に捕らえられてしまいましたが、ここでカレタンの人たちと話をするとみんないい人です。戦争をしたがっている人なんていなくて、みんな嫌々ここへ来ている。だから軍を撤退してください。ハヤル軍が撤退すればカレタン軍も撤退すると司令官が直々におっしゃっています」
トレッダは意外にも真面目な口ぶりで自軍へと演説した。
するとハヤル軍の司令官もスピーカーを使い返事をしてきた。
「もちろん我々とてできることなら戦いたくはない。だが撤退はできない。もし我々が撤退をしてカレタン軍が攻めてきたらどうするか?私は責務上そんなことはできないのだ」
当然の回答であった。ここで再びトレッダが話し始めた。
「もちろんそうでしょう。お互い戦う気はなくても、敵が攻めてくる恐怖がある以上は退くわけにはいかない。ならばいっそ両軍同時に撤退したらどうでしょう。そうじゃないとお互い納得はできないですよね?」
テリヤは呆れた。そんなことを言えとは言っていない。ハヤル軍からも何の返事もなかった。ここでしばらく重たい沈黙が続いた。全ては無駄に終わったかに思われた。
その時だった。トレッダが急に服を脱いで上裸になった。上だけではなくズボンまで脱ぎ、パンツ一丁の姿になった。
両軍ともに呆気にとられた。この男は気が狂ったのではないかと思われた。
するとトレッダはダイナミックに体を動かし見たこともない踊りを始めた。見たこともないだけではない。とても上手とか言い難い、滑稽な踊りであった。もともと運動神経の悪い彼は踊りなど上手く踊れないのである。しかし本気である。全く手を抜かずに踊るさまはおかしいとともに感動的ですらあった。
最初は何が起こったのか理解するのに時間がかかっていた両軍の兵士たちの中にも、笑い始めるものが現れた。やがてその笑いはだんだんと大きくなり、両軍は爆笑に包まれた。
「さあハヤル名物のトレッダ踊りをご覧いただいたところで、カレタン軍のキーラさん、ちょっとこちらへ上がってきてください」
ハヤルがそう告げると、後ろで待機していたキーラが彼の隣に立った。
トレッダが続けた。
「ハヤルとカレタン、どっちの国が優れているかどうしても決めないといけないんなら、今から僕たち2人が漫才で話し合いましょう。それで決着をつけようじゃありませんか。それを決めるのにわざわざ武器を持って殺し合うことなんてありませんよ。そうですよね、キーラさん」
「しかたがないですね、のりました」
両軍から大きな拍手が起こった。中には酒を飲みながら聞いている者もいる。
「ではお互いの国のいいところをそれぞれ言っていきましょう。まずトレッダからいきますよ、なんといってもハヤルは女の人が綺麗です。これに関しては世界中のどの国も勝てないですね」
「ちょっと待ってトレッダ君、それに関しては絶対にカレタンの女性の方が綺麗です。断言してもいい」
「これは全ハヤル国民を敵に回しましたね。ハヤルの女性の美しさの前には山々もひざまずくといわれています」
「それをいうならカレタンの女性の前では海の水も干からびるといわれてますよ」
「そんなことされたら迷惑ですよね?そんなことになったらこれから海水浴に行けないじゃないですか」
「そこなのか?問題は」
「例えば僕の奥さん、とんでもなく美人です。まあ気性はだいぶ荒いですけどね。この前も洗濯物を干してないだけで死ぬほど怒られました。でも可愛いんですよ。それでいうならキーラさん、あなたの奥さんはどうですか?お綺麗な方なんですか?」
「僕はその…」
「ああ言葉に詰まってしまいましたね。僕の奥さんの方が綺麗ということでいいですかね?」
「いやあの、僕独身だから…」
「ああそうなんですね…なんかすいませんね…じゃあこの勝負は僕の負けということで…」
「嬉しくないわ、そんな勝利は」
両軍ともに大歓声、大爆笑の嵐であった。そしてなんとその日が暮れるまでに両軍は撤退を終えた。
両国の首脳のもとに両軍が撤退したという知らせが入った。お互いに意味が分からなかった。なぜそんなことが起きたのかは不明である。しかしいずれにせよこれは和平のための絶好の機会である。
両国の和平はそれからしばらくもせず成立した。




