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第三話 ナカノ

 一夜が明けた。全く異常なことだ。僕はまだ子供とはいえ、第二次性徴の始まった立派な男ではある。それが昨日出会ったばかりの少女と二人きりというのは。しかしこの家で二人きりなのも世界で二人きりなのもそう変わらない。


 朝ご飯を二人で食べた。他人と一緒にご飯を食べるというのはすごく久しぶりの経験だった。小学校四年生までは給食の時に四人班で食べていたのに、いつの間にかそういうこともなくなっていたな、と思い出す。


「小学校に行かなきゃいけない」

 ご飯を食べ終わり、僕はそう宣言した。


「小学校?」

 トトは僕にそう聞き返した。


「先生がいろんなことを教えてくれる場所。クラスメイトがいて、ほかの先生もいて、そういう――場所」


「そういうことを聞いてるんじゃなくて。その『先生』とか『クラスメイト』とかっていうの、もういなくなっちゃったんじゃないのか」

「……」

「それでも、行くの?」


 僕は何も言い返せなかった。確かにその通りだ。本当は小学校に行っても何も得られない。本当に求めるべき救いは、探すべき味方は、ただ小学校で待っていてもやっては来ない。


 しかしそれならどこを探せばいいというのだ? この市を取り囲むあの高い壁の外側から空を飛んでヒーローが現れてくれるとでも言うのか? あるいはあの長いこと使われていない線路に突然列車が現れて、僕を乗せていってくれるとでも言うのか?


 どの可能性にも現実味を感じることはできなかった。だから僕は、諦めたい自分と現実に向き合うべきだと諭す自分に折り合いをつけるために、小学校に行くことだけはやめないことにしたのだ。

 それはとても理性的とはいえない、ただの逃げでしかないとわかっていながら。


 でもトトは僕のそういう姿勢をなんとも思っていないようで、だからこの質問はトトの純粋な興味による質問だった。その無関心はありがたくもあり、同時にトトの不気味さも強調していた。


「……ま、行けば? 私、待ってるから」


 何も答えない僕を見て、トトは頷いてからそう言った。僕はそこで解放されたことにまず安堵した。トトにこれ以上受け身で待っているだけで何もしない僕の姿勢を見られることは、僕には耐えられなかった。


 そういうわけで、僕はトトを家においたまま家を出た。鍵は僕が元々持っていた合鍵しかない――ほかの鍵は家族がいなくなってしまったとき家族とともに消えてしまった。だから、トトにも僕が帰ってくるまでは家を空けないように言ってある。


 まあ世界に誰もいなくなってしまって、空き巣の類いがあるとは思えないが――


 *


 今日は学校図書室で借りてきた漫画を読むつもりでいた。もちろん図書室は小説が中心ではあるのだが、この図書室には学習漫画に混ざってなぜか手塚治虫の漫画が何冊か置いてあったのだ。しかし数冊読んで飽きてしまった。一年間こうやって人と会話せずに本を読んだりゲームをしたりするだけでは、集中力が衰えていくのかもしれない。一日の睡眠時間が昔より随分増えたような気がするな――と思った。


 うとうとしながら、今朝のトトとの会話を思い出す。なんのために僕は家を出ているのか?


 僕はしばらく考えた後、イスから立ち上がった。一年間出会えなかった生存者がまだ存在したのだ。もしかしたらトト以外にも、生き残った誰かがいるかもしれない。諦めるのはまだ早い。


 僕以外の運動靴が一足も残っていない下駄箱で上履きを運動靴に履き替え、僕はまず向かいの中学校に歩を進めた。こんなに身近に人が集まりそうな場所があったのに、以前の僕は中に入ってみようと思ったことすらなかった。


 土足の学校だから下駄箱はなく、玄関を見ただけでは誰かがいるのかどうか分からない。


「し……失礼します」

 僕はもぬけの殻となった事務室にそう声だけかけて、学校内に踏み込んだ。


 本来はあと一年来ることのないはずだった空間。入っては行けない場所に入るという優越感に胸が高鳴っているのを感じる。優越感と言うよりは緊張かもしれない。人がいることを期待してここまで来てしまったけれど、もし本当に人がいたら何を言えばいいのだろう?


 まさか今回もブルーハーツの歌を全く同時に歌う奇跡を起こす訳にはいかない。


 誰かがいた場合に主導権を向こうにとられたくなかったから――そして僕が単に臆病だったからというのもあるが、僕はそろりそろりと廊下を歩いた。一階、二階には人の気配は感じなかった。二階には図書室があった。小学校よりも蔵書が多そうで、また来てもいいな、と思う。


 三階にさしかかって、僕は違和感を覚えた。僕が使っていたのと反対側の階段側に、ほこりがつもっていない場所がある。誰かが歩いて移動したような跡だ。もしかしたら――と、僕は少し駆け足になった。


 一つの教室の後ろ側のドアだけ、明らかにほこりが積もっている量が少ない。人がいるとしたらここだ――と、僕はドアを勢いよく開けた。怖くて中を見ることはできないけれど、それでももし人がいたなら少しでも相手を驚かせてやろうという僕なりの戦闘意欲だった。


 その挑戦は一応は成功だったのだろう――と思う。なぜならーー


「きゃああああああああああああああ!!!」

 と叫んで倒れた一人の少女が僕の前にはいたからだ。彼女は――全裸だった。


 *


 僕のコートを羽織らせて、話を聞くことにした。


「……なによ」


 上目遣いで僕を見る彼女を、僕は直視できない。敵意のこもった視線で僕を睨む彼女の目は潤んでいて艶めかしかった。彼女は僕のコートを一枚羽織っただけで、中には何も着ていないということも想像してしまい、僕の胸の奥を嫌な脈がドクドクと打っていた。


 こうやって睨まれると僕が悪いような気がしてくる。本来自分の教室で裸を見せるなんて異常な行動をとっていたのは彼女の方で、僕はただその場に来てしまった被害者なのに。


「えぇっと……なんで……服、着てないの」

 僕はそう尋ねる。


「それは……その……あの」


 泣き出しそうな彼女。


「言いたくない?」

「……」


 しばらく僕を睨み付ける彼女。そして、

「そういうことに、……興味があったからよ。悪い?」

 と僕に言った。


 見事なまでの開き直りだった。

「興味?」


「本来みんな服を着てくるべき場所で全裸になったら面白いかなって思ったのよ。みんながいなくなって一年……もう、この世には誰もいないだろう、って思えてきて。じゃあこの世に誰もいないからこそできる面白いことをするしかない、って。それで……こう。……私、おかしくなっちゃったのかな? ねえ……一年前まで私こんなことするような子供じゃなかった。もっと真面目な子供だったはずなのに、ねえ、私どうしちゃったんだろう。君は何者なわけ? ねえ……なんで私が裸になった途端に来たの……もしかして、私の裸を見にーー」


 恥ずかしさから吹っ切れたのか、彼女に勢いよくそうまくしたてられ、僕はたじろいでしまった。

 しかしこのまま放っておけば僕にあらぬ疑いが向きかねない。どうしたものかと考えていると、彼女は急に話を転換した。


「なんだろう、自己紹介とか……する?」


 話の移り変わりについていけない。自分の教室で裸? 単純な興味で? しかし僕の次の発言を許さず、彼女は自分の名前を言った。


「私、中埜千里。ナカノって呼んでくれればいいから。君は?」

「僕……僕、悠人。悠人、です」

「ふむ。悠人。悠人……とりあえず、ここで見たことは忘れてね。じゃあここで見たことを忘れてもらうために、私は何ができるかな?」


 そう言ってナカノは僕の上に馬乗りになって、僕の下腹部に手を添えて、顔を近づけて、僕のズボンのチャックに手を伸ばして――


「ちょ、ちょっと」

 僕が多少性に早熟な子供だったからそれは脅しとして機能したけれど、そうでなかったら何が起こったのかわからないまま彼女のペースに呑まれてしまったかもしれない。トトも何を考えているかわからなくて恐ろしいところはあるが、ナカノの恐ろしさはその比ではない。


「あら。しないの?」

「し、しませんよ」


 僕は彼女を払いのけた。


「ここで見たことは誰にも言わない、金輪際忘れるから、だから――」


 僕のその必死の抵抗に、ふふ、と笑って彼女は僕の上から離れた。楽しそうな、それでいてどこかさみしそうなナカノの横顔を、僕はどこかで見たことがあるような気が、した。


 こんな自分のクラスで全裸になるような露出狂と以前に関わりがあるはずはないのに――どうしてなのか、自分でもよく分からなかった。

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